二十五
薄暗い中、ダンカンはベッドの上に仰臥していた。
考えていたのは、やはりあの短剣、名工スリナガルの作のオーク殺しだった。
城で生活していれば、生活費は引かれるが、別段他に金を使うことも無かった。兵士達の間で行われる賭け事も魅力的だったが、諦め、その輪に加わらなかった。無難に貯金をしてゆこう。武器屋に通い、かの短剣が売れ残っているのを見る度、そう思ったのだった。
突然、錆びつき始めていた扉のノブが微かな音を上げて回った。
ノックも無しに来るとは何らかの侵入者かもしれん。
敵の放った暗殺者、または泥棒か。ダンカンは素早く起き上がり、寝巻のまま立て掛けてある剣に飛び付いた。
扉が開かれるとそこには見知った顔があった。
「カタリナ?」
ダンカンはその名を口にした。
「来ちゃった」
カタリナが答えて微笑んだ。
薄手の黒い上着姿のカタリナはいつ見ても官能的な魅力が漂っている。二つの大きな双丘、引き締まった腰が際立っていた。
「ど、どうしたんだ?」
ダンカンは訳が分からず問うとカタリナは言った。
「ねぇ、隊長。いつまで待たせる気?」
色気たっぷりのねっとりした声がダンカンの心を撫でた。
「何を待っているんだ?」
ダンカンは相手の声と身体に自身が興奮しているのを制御しつつ答えた。
「いつになったら私達は結ばれるの?」
カタリナが伏し目がちに尋ねて来る。
ダンカンは困惑し、意を決して尋ね返した。
「それはどういうことだ? もしやお前も私のことを愛していてくれたのか?」
カタリナは頷いた。
「私、もう我慢できないの、隊長」
カタリナがダンカンに抱き付いて来た。
ダンカンはカタリナに押されベッドに仰向けにすっ転んだ。
目を開けるとカタリナが妖しく微笑んでいる。
「隊長、私を抱いて下さらない?」
「ええっ!?」
ダンカンは驚いて声を上げた。
「まずは私の服を脱がせて。ね? 隊長?」
「ふ、服を!?」
「そうよ」
「わ、分かった」
ダンカンは手を伸ばそうとする。だが、精神が歯止めをかける。これで良いのかダンカン。こんな結ばれ方で良いのかダンカン?
「もう隊長ったら奥手なんだから。だったら私の方から隊長を気持ちよくさせてあげる」
するとカタリナの唇が近付いて来て……。
ダンカンはハッとして跳び起きた。
狭い寝室の窓を覆うカーテンの隙間から日が差し込んできている。
「朝か」
そして思い返した。
「夢か」
安堵すると同時に、幾分惜しくも感じた。あのまま事が進んでいたらどうなっただろうか。
と、股間付近にねっとりとした嫌な感触を覚えて、ダンカンは溜息を吐いた。
「この年になって初めてこんな経験をするとは」
ダンカンは惨めに思いながら立ち上がった。
二
溜まっていたもので汚れた下着を洗うために、これまた溜まっていた洗濯物を抱えて、早朝、城がまだ寝静まっているさなかに、ダンカンは井戸のある中庭の一つ、洗濯場に来た。
置いてある洗濯板と石鹸で衣服を洗い始めた。
どうせ夢ならもう少し良いところまで見たかった。だが、夢も想像の産物。俺がカタリナの身体をもっといやらしく観察しなければ材料も揃わないだろう。
衣服をテキパキと洗いダンカンは思った。
これ以上は身体にも精神にも毒だ。さっさとカタリナに告白してしまおう。
だが、そのためにはあの剣が必要だ。
ん? それは変ではないか?
ダンカンは思い止まった。
俺は純粋な思いで、ただカタリナの喜ぶ顔が見たかっただけでは無かったのか。交際をチラつかせるために剣で釣るつもりだったのか?
「分からん。今一度、考え直してみよう」
「おはよう、ダンカン。本当に早いな」
男らしい声音が響き、ダンカンはハッとして顔を上げた。
太守バルバトスが鎧姿で、これまた洗濯籠に衣類の山を作って立っていた。
「これは太守殿!」
ダンカンは慌てて敬礼しようとしたが、バルバトスが止めた。
「洗濯は良いものだ。無心になって、心まで洗われるような気分になれる」
バルバトスが洗濯板と石鹸を掴んで衣類を泡立て始めた。
「は、はぁ。おそれながら侍女達には洗わせないんですか?」
「傭兵時代からのくせだ。考え事をしたいときには洗濯をしながら考える」
「そうですか」
ダンカンは自分も洗濯を続けた。
「カタリナはどうだ?」
「え?」
ダンカンは不意に尋ねられ答えた。
「き、綺麗です」
するとはバルバトスは豪快に笑った。
「あ、しまった!」
ダンカンは思わず口を押さえたがもう遅い。彼は全身が恥で熱くなった。
「そうだな、カタリナは綺麗だ。言い寄る男も多いらしく苦労しているようだ」
「そうなのですか?」
「ああ。時々会うとそう言ってくる」
ダンカンは焦りを覚えた。夢でイージスが告げた通り彼女を狙っている者は多くいるらしい。しかも一歩進んで言い寄っているとは――。
ダンカンはバルバトスの問いたいことに答えた。
「もう白状してしまいましたが、彼女は綺麗です。認めます。副官としてもよくやってくれています」
「潔いなダンカン。だが、そうか、副官としてよくやってくれているか。ならば俺も安心した。前線に配備されている兵には女はカタリナぐらいだけのものだからな。男達と考えが合わずギクシャクするのではと少々不安もあった」
「彼女は前副官のイージスと同等以上の剣術の持ち主です。それが周りを認めさせたのだと思います」
「そうか。カタリナの強さは私が保証する。しかしダンカン」
「なんでしょうか?」
「カタリナを好いているならお前もうかうかしていられんぞ」
「その話ですか……」
ダンカンは頬が熱くなるのを感じた。
「そうだと言うなら私は個人的にお前を応援するぞ。無論、身分があるからな、表立ってはできぬが」
「いえ、それで結構です」
ダンカンは急に自分の意識が固まるのを感じた。俺は彼女が好きだ。抱きたいほど惚れているのだ。名工の名とそれの剣などの力を借りるものか。
ダンカンは自分を追い詰め鼓舞するために宣言した。
「太守殿、今日、彼女に告白してみます。当たって砕けるならそれで諦めがつきます」
「そうか。幸運を祈るぞダンカン」
「はっ」
その時、侍女が駆け寄って来た。
「太守様、そのようなことは私どもに申し付け下さいと、いつも申し上げているではありませんか!」
半ば説教する態度にダンカンは注意する気も起きなかった。仕方が無いのだ。何せ太守はそういうことには無頓着な優しい色男だからだ。ふと、ダンカンは思ったことを尋ねた。
「失礼ながら太守殿は彼女をどうお思いなので?」
「ただの元部下だ。他意はない。俺には伴侶はいないが自慢の息子がいるしな」
腕まくりし額に布を巻いてやる気充分の侍女に洗濯物を任せるとバルバトスは言った。
そういえばグシオン坊ちゃんも恋のために、思いを告げるために旅に出た。
彼の城を発つときの姿を思い返した。
ダンカンは尚も気分が高まるのを感じた。
「ではな、ダンカン」
バルバトスが去って行く。
ダンカンは敬礼しつつ、再び心を固めた。
そうだ。当たって砕けろだ。この年になって失うものは何も無い!
「分隊長殿、手が止まってますわよ!」
侍女に指摘されダンカンは頷いた。
「うむ! ちゃっちゃっと片付けねばな! 俺にはやることができた!」
「まぁ、そうですか。幸運をお祈りしておりますわ」
別段興味も無さそうに侍女はこちらも見ずにそう応じた。
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