二十三
再び大通りに出ると、そこは人で混み合っていた。
王都に住んでいたころはこんな人混みを上手く避けて通れたものだが、それも感が鈍ったのか、人々にぶつかり、押され、揉まれ、カタリナだけが先行する形となってしまった。
知り合って間もない女性の名を呼ぶのは実に勇気がいることだった。しかし、このままでははぐれてしまう。ダンカンは勇気をもって口を開いた。
「カ、カタリナー!」
すると先を行く彼女が止まり、こちらを振り返った。
第二、第三の人の波に呑まれている様子を見て彼女は駆けて戻って来てくれた。
「隊長、不器用なのね」
カタリナは嫌味を言ったわけでなく、屈託の無い笑みを見せて言った。
「す、すまん」
ダンカンは人を避けながらそう応じた。
するとカタリナが手を伸ばし、ダンカンの右手を優しく握った。
ダンカンが驚くと相手は笑みを浮かべたままだった。
「行きましょ、これでお互いはぐれないわよ」
ダンカンは顔を紅潮させる前に、彼女の女神の様な優しさに心打たれ、感動で泣きそうになった。
「すまん、カタリナ」
「いいえ、ところで向こうに武器を扱っている店の暖簾が見えたの。行ってみない?」
「面白そうだな行こう」
歩きながら二人は話した。
「隊長って本は読むの?」
「いいや、ガキの頃、冒険譚や血みどろアッシュを読んだぐらいだな。本当はアッシュに憧れて傭兵になろうと思ったんだが、親の猛反対を喰らってな。結局、堅実な王宮勤めの兵士になったんだが、気が付けば最前線だ」
ダンカンは笑いながら話した。
「お前は何か読むのか?」
「私はそうね、ワニヤ女史著の本なら何でも好きよ。物語からエッセイ、論文までね。モヒト教授の詩篇集も好きだわ。今は手放しちゃったけどね。二人とも死して尚、こうして何百年と名を残しているのだから凄いわよね」
「そうだな、戦士で言えば、男の憧れ血煙クラッドのようなものか。興味があるな、今度、本屋でも覗いて見るか?」
「ええ、楽しそうね」
二人は武器の店に辿り着いた。外に上から下まで一式揃った鎧がお買い得品として売られている。
と、二人は同時に息を呑んだ。
名工スリナガル作の短剣が飾られていたからだ。
「おお、スリナガルのか」
ダンカンが思わず声を上げると、カタリナが言った。
「良いわね」
彼女はうっとりして短剣に見入っていた。
装飾など最低限の細工が施してある鞘に分厚い刃が輝いている。オーク殺し。と、記されていた。
「スリナガルの品って聴くだけでもう震えが止まらないけど、値段がね」
「値段?」
その価格は実にダンカンの給料四か月分だった。スリナガルの品にしてはとても安い部類だ。
手が届かないわけじゃ無い。しかし、今は無理だ。
カタリナが残念そうに溜息を洩らした。
「でも、お前は剣がスリナガルのだろう? 俺にしてみればそれだけで羨ましいよ」
ダンカンが宥めすかすように言うと、カタリナは応じた。
「そうね。隊長にプレゼントしてあげたいけど、ごめんなさいね」
「いいや、その気持ちだけで俺は心いっぱいさ」
二人は店の中に入り、あれこれ物色し始めた。
カタリナと笑いながら、興味深く、武器や防具を眺めてゆく。
奥の弓矢とクロスボウの試し打ちの場所では二人は競い合った。
カタリナは次々的に当てるが、ダンカンはてんで駄目だった。こんなはずはないと、何度も再戦をせがんだ。
「お客さん、買わないならそろそろ終わりにしてくれるとありがたいんだがね」
店の主が呆れた顔でそう言い、おしまいとなった。
「店主、砥石はあるか?」
「ありますけど」
「一つ、いや、二つ買おう」
ダンカンが言うと店主は曇っていた顔を輝かせて頷いた。
「毎度!」
二人は外に出た。ダンカンは砥石の一つをカタリナに渡した。
「良かったらどうだ? スリナガル作の短剣は買えなかったがな」
「私に? 隊長、ありがとう。嬉しいわ」
カタリナは大事そうに砥石を胸に抱きしめて、カバンにしまった。
気付けば夕日が傾いていた。二人は城へ戻ることにした。
王城への道は混雑していなかった。
番兵が二人いたが、ダンカンの顔を見て、手続き上、通行手形を見せると通してくれた。だが、カタリナの方はまだ顔を覚えられてはいなかったようだ。若い番兵の一人が顔を赤らめて通行証手形を見せる様に言うのをダンカンは見た。
イージスが言っていたカタリナを狙う者の一人だろうか。いや、新たにできた好敵手なのかもしれない。
二人は門を潜った。
「今日は楽しかったわ、隊長」
「あ、ああ、こちらこそ」
ダンカンは少々恥ずかしく思いながら応じるとカタリナは言った。
「あと、例の飲み屋さんに今度は隊のみんなで夜行きましょうね?」
「そうだな」
「それじゃ、隊長、おやすみなさい」
彼女は数少ない兵士の女性だ。兵舎では無く、侍女達が泊まる場所で寝起きしていた。
「ああ、おやすみカタリナ」
女性が去って行く。
ダンカンも自分の部屋へ戻った。
風呂に入り、兵舎の食堂で飯を食う。
ハンバーグ美味かったな。
ダンカンは今日の逢引きの様子を思い返していた。
カタリナに笑顔が多かったように思える。自分は少々ドジをやったりしていたが、それでも彼女は微笑んでくれていた。
ダンカンは寝室に戻った。
戻りながらも、戻ってからも考えていた。カタリナが手を引いてくれた感触は記憶に残っていた。呆れずに俺を導いてくれた、優しい女性だ。普段の部下達の面倒見も良い。良い母親になれるだろう。
だが、俺はどうだ? 彼女に憧れてはいるが、彼女にはもっと相応しい男がいるのではないだろうか。
分からん! 俺はどうしたら良いんだ!
ダンカンはベッドの上でゴロゴロ転がり暴れていた。
不意にカタリナの微笑む顔が思い起された。声も魅力的だ。落ち着いていて余裕が感じられる。
そして彼女に対して一つだけ強い思いがあった。
それは武器屋に飾ってあった、名工スリナガル作の短剣、オーク殺し。これだけは何としても彼女に贈りたかった。
何故か? 彼女の喜ぶ顔が見たいからだ。
世界で一番好きな笑顔だ。
自分が本当に恋をしているのかはまだ実感が湧かない。しかし、彼女の笑顔を見ることに幸福感を覚える。
そうしてダンカンは動きが止まり、いつの間にか暗い世界へ落ちていったのだった。
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