十八

 魔族の軍勢は追撃をして来なかった。

 ダンカンはかつてのオークの村落の近くで目を覚まし、全てが終わったことを悟った。

「バルド、すまんな。もういい」

 ダンカンはオーガーの背から地に足をつけると、部下と並び自らの足で撤退する軍勢の後を追った。

 イージスはいなかった。

「隊長、心苦しいでしょうがこれを」

 若者フリットがイージスのタグを差し出した。

「ああ。落としていたか。悪いな」

 これを無くすわけにはいかない。

 イージスは死んだのだ。

 不思議と彼の死を受け入れられる自分に驚いた。だが思う、本当に自分はイージスの死を受け入れているのだろうか。死を受け入れるというのはこんなに簡単なものなのだろうか。

 あの暗黒卿とかいう全身鎧ずくめの魔族の将はこれまで相対したどの敵よりも強かった。そしてその軍勢も御覧の通り精強だということを思い知らされた。

 ふと、ダンカンはエーラン将軍を恨みそうになっている自分に気付いた。

 バルケルの大将エルド・グラビスが、サグデン伯爵がすぐに撤退を進言したにも関わらず却下し、こうして多くの兵が失われ、傷ついている有様となったのだ。

 撤退は粛々と続いた。敵軍は今頃オークの城を制圧し終えたところだろうか。撤退の足取りは誰もが重かった。多くの同胞を失った悲しみに包まれている。ここで敵の追撃があれば脆くも全てが葬られるであろう。

 ダンカンは無言で足を進めた。



 二



 ヴァンピーアに戻ると、将兵はすっかり疲れ切り、ダンカンの見たところやりきれない顔でその門を潜った。

 出迎えた太守のバルバトス・ノヴァーの声でさえ、彼らの、ダンカンの気持ちを掴むことはできなかった。

「皆、御苦労だったな。解散だ」

 ダンカンは、部下達に向かって言った。

 ゲゴンガとバルドは無言で去って行ったが、フリットが残り声を掛けて来た。

「副隊長のことは残念でした。隊長、あまり気を落とさないでください。我々が生きているのは副隊長のおかげなんですから、その気持ちに応えましょう」

「そうだな、フリット」

 ダンカンは無理やり温和な声を絞り出してそう言った。

 フリットは敬礼し去って行った。

「イージス……お前がいなくて俺は寂しいよ。お前がいなくて任が務まるかもわからん……」

 ダンカンは思いを吐露すると、湯浴みに向かい、さっさと寝室に入った。



 三



 翌朝、ダンカンは城壁の上にいた。

 一人座り込み、剣を洗い、研いでいた。

 隣にいるイージスの姿が無いことを察したのか、番兵達はダンカンを気遣う様に距離を置いていた。

 無言で、夢中で剣に集中している。イージスの語らいが横から聴こえてこないものか、半ば期待している自分がいた。やはりそう簡単に忘れられるものでは無かったようだ。それはそうだ。背中合わせで何年とやってきたのだ。

 その日はそれで終わった。

 翌朝、フリットとゲゴンガが、ダンカンを見付けて声を掛けて来た。様子を窺いに来たのだろう。修練に誘われたが、ダンカンは自分でも後悔するほど冷たく断り、城壁へ上がって行った。

 晴天の下、今日は鎧を磨く。

 どれほど集中していたのだろうか、城壁を守る番兵が声を上げた。

「西の地から誰かが帰って来たぞ!」

 その声にダンカンは極々僅かに湧いた興味本位で城壁の下を見下ろした。

 人影が三つある。覚束ない足取りで城門に消えて行った。

 夕飯時、その三人が誰なのか耳に入って来た。

 ツッチー将軍と、ミッチー将軍、そしてバルケルの大将エルド・グラビスだった。

 兵達は大いに盛り上がったが、ダンカンは冷めた気分で食事を続けていた。

 イージスじゃないことは分かっていた。

 ダンカンは早々に夕食を終え、部屋に戻った。

 翌日、部屋の戸を叩かれ、寝ぼけ眼のダンカンが顔を出すと、そこにはフリット、ゲゴンガ、バルドが勢揃いしていた。

「バルド、腹の怪我は大丈夫なのか?」

「心配いらない。それよりも俺達が心配なのはあなただ」

 オーガーにそう言われ、ダンカンは自嘲気味に笑った。

 そんな様子を不安げにフリットが見ている。

「隊長、副隊長はもう戻って来ないでやんす。いい加減、本来の姿に戻って欲しいでやんすよ!」

 ゲゴンガが珍しく声を荒げた。

「ああ、善処はしている」

 ダンカンは力なくそう答えた。

「だが、もう少し休ませてくれ」

 ダンカンが言うと部下達はそれぞれ煮え切らない様子を見せて去って行った。

「イージス、お前がいなければ俺は……」

 ダンカンは城壁に上がった。

 そしてもう充分だというのに今日も剣を磨いた。

「お主が分隊長のダンカンか?」

 不意にまだ若い声に名を呼ばれ、顔を上げると、そこには猫を模した鎧武者が立っていた。

「あなたはツッチー将軍」

 ダンカンは普段なら急ぎ敬礼するところだが、彼は自分でも分かるほど、悲しみに酔いしれ、自分可愛さにそのまま反抗的に座っていた。

「分隊長殿! 無礼ですぞ!」

 城壁の見張りの番兵にそう言われ、ダンカンはわざわざ起き上がって敬礼して見せた。

「何か私に御用でしょうか?」

「この剣を渡そうと思ってな」

 ツッチーが差し出したのは、間違いなくイージスが愛用していた剣、ビョルンだった。

「これをどこで!?」

 途端にダンカンは瞠目して尋ねていた。

「無論、戦場でだ。この剣の持ち主は立派な最期を遂げた。息を引き取る間際、偶然、私が居合わせた。ダンカン分隊長にこれを渡して欲しいと、彼はそう言って息を引き取った」

 ダンカンは心が感動と悔しさ、悲しさで震えるのを感じた。涙が零れ落ちて来る。

「ツッチー将軍、ありがとうございました!」

 ダンカンは力強く敬礼した。

「ああ。……ダンカン、頑張れよ」

 ダンカンは感謝の念でツッチー将軍が去って行くのを見守った。

 ビョルンは酷い汚れだった。

「さぁ、お前を磨いてやらなくちゃな」

 ダンカンは持参したバケツの入った水に布巾を入れ、濡らすと血錆を拭き取り始めた。

 途端に自分がやらなくてはならないことを悟った。まず自分が直々にイージスの家族に手紙をしたため、この剣を同封するのだ。イージスには息子がいる。これを見て父が如何に立派な戦士だったのか思いを馳せて欲しかった。そしてさんざん気にかけてくれた部下達に冷たい態度を取ったことも反省した。最後は己の弱さだ。鍛錬を重ねて武を極めようと決心した。

「なぁイージス、俺はもう悲しまないぞ。お前はこうして戻って来てくれたのだからな。後のことは任せてくれ」

 磨かれた亡き副官の剣を見ながらダンカンはそう誓ったのであった。

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