ハル

第1話  教師

 チャイムが鳴ると教室の張りつめた空気が心なしか少し緩む気がする。


「じゃあ、ここまでが今日の範囲なー」


教壇に立って教科書を開いて大きめの声で生徒に説明する。


「次の授業遅れないようになー、ケータイばっかいじってないで次の授業の用意しろよー、」


 クラスに次の授業の準備を喚起して、生徒の声を後ろ手に聞きながら教室を後にする。


 おれが学生のときは宿題の意味なんてまったくわからなくてやる必要なんかないだろうなんて散々偉そうに教師に対して口答えしていたが、

いざ、"教師"の立場になってみるとそれがどんな意味を持っているのかや、問題集の問題の意図、何をさせたい問題なのかなどが、学生の頃よりも手に取るようにわかる。

 しかし、それはきっと今のあいつらに言ってもわからないことくらい教師になると気づけるのだ。

 おれが学生の頃は怒られることや、呼び出しとかがダルい、という気持ちから、とりあえずやっとけばいいかなんて感覚で自分から積極的に宿題に取りかかった記憶は多くない。

 あのときのあの教師もこんな思いだったのか、なんて今になってはときどき考えることもある。

 人は日々成長するなんて、どこかで誰かが言っていたがそれはこういったことを指しているのだろうか。



 

 職員室に入り席に着くとノートを手に持った嶋崎先生に呼ばれた。


「あ、佐崎先生!」

「嶋崎先生。なんですか?」

「これ。さっき鶴木が遅れて提出って持ってきたんですよ。佐崎先生に渡しといてくれって。」


 小走りで近寄ってきてそう言った嶋崎先生に渡されたのはおれが担当している数学科のワークだった。

 提出期限は月曜日だったのに。今日はもう水曜日じゃないか。


 「あ、ごめんなさい、ありがとうございます。」

「いやいや、別にぜんぜんいいですよ、」


 嶋崎先生はおれよりも若い今年来たばっかりの女性教師。

 やわらかい雰囲気とは反対のどこか冷めている対応が生徒には結構人気な先生だ。

 ――おれは"冷めている"というよりかは"冷静"という表現の方があっていると思うが。

 英語科の英語 Ⅰ を担当していて、まだ担任は持っていない、おれのクラス1-Bの副担任。


 嶋崎先生から受け取った鶴木のワークを開いてみると。


「うわ、全然やってねーな、これ。」


ほとんどのページが白く、他のページは赤ペンで答えが書き写されていた。

 ――まったく。

 1-B鶴木 美湊みなと。おれのクラス1-Bの生徒。

 入学から2週間にしてすでにたくさんの先生方から目をつけられている、今期生切っての問題児と見ている先生方も少なくは無いのではないだろうか。


 中学校の頃は校内でも知られるほどの問題児だったようで中学校とは比べものにはらない不自由さがつらいと入学直後に行う面談でも話していて、

 『もうあの静かな空気とかしんどいから学校辞めたいんだよね。』と言っていた。

 もとい、辞めてどうするのかと聞いたところ、

『それはまだ考えてないけど』

と曖昧に答えたので辞めてもやることがないならとりあえず続けておけという俺の言葉で今のところはまだその空気感にも耐えているようだが。


 もっとも、コミュニケーションが取れない子ではないようだから友達ができないなんてベタな理由で辞めたい訳ではないのだろうが、人付き合いというか、人間関係があまり上手な方ではないのだろう。

 印象的に好まない人、嫌いな人とは"徹底して関わらない"といった行動が多く見受けられるようだ。

 職員室のなかでも

『自分は何もしてないと思うが、ちょっと高圧的な対応をされた』

というようなことを他の先生方に言われた。

 そうなんですか?おれもちょっとわからないんで後で聞いてみますねー、

 なんて、その場では対応したが、鶴木のその気持ちが分からないわけでもないのできっぱり否定できないのはその先生にも悪いことをしたとは思う。


 「あぁ、本当だ、全然やってないですねー。」

「あとで、もう一回面談かな、これは」

「うちのクラスだけ面談終わりませんね。」


 軽口をしながらページをめくって確認していくが、きちんと自力でやりきっているページはほんの最初の4~5ページ程度。

 最初の方はちゃんと全部自力でやっていたからできないわけではないはずなのだが、今回はワークの提出は3回目。


 「徐々に手を抜いてるって感じですかね?」

「いや、3回目の提出でこれは一気に手を抜きすぎですよ、」

「そうですよね。」


 苦笑しながらおれが言うと嶋崎先生は楽しそうに目を細めて笑った。

 ――なんでちゃんとやってこないんだよ、やれるならやるに越したことはないだろう。


 「あれ?いや、そうでもないかもしれないな」

 もう一度最初から見直すと。


 「あー、そうですよ、やっぱり、ほら。」


 鶴木のワークを見ていくとそこには。


 「本当だ。美湊は美湊なりにがんばっているんですね。」

「ちゃんとやってるなら提出期限守れって。」


 まだ鶴木が学校を本当に辞めたい訳ではないことに気がついたおれは、なおさら面談をしようと思った。



 


 次の日。

1-Bの一限は数学。おれの授業か。


「はーい、じゃあ、教科書開いてー、12ページ」


 新入してきてまだ二週間とちょっと。新しいクラスに慣れないのは分かるがおれのクラスは静か過ぎて、正直やりづらい部分があるのは確かだ。


 本当に恐いくらいに静かで、6月に行われる文化祭の話し合いも大変でしょうがなかった。

 お陰でおれのクラスは文化祭の演し物がまだ決まっていないどころか、絞りきれてもいない。大変になりそうだな、本当に。


 「じゃあ、これをなんていうか。牛久保。わかるか?」


 教科書を手に持って黒板を指しながら適当に目があった牛久保 南実を指した。

 他のクラスはこういう場合、挙手制にして手を挙げた中からおれが選ぶやり方でも授業は進んでいくのだが、おれのクラス1-Bは挙手制にしてもなかなか手が挙がらない。

 慣れていないことも原因の一つなのかもしれないが、どうも他のクラスと雰囲気が違って、シーンとしている。

 ――手くらい挙げてはくれないものなのか。

 おれが一年生を持つのは特に今回が初めてというわけではなく、以前にもこの学校で一年生の担任を持ったことはある。

が、こんなに静かなのも珍しいだろう。

 前に担任を持った一年生は二週間でもそれなりに慣れていたような気がする。


 この学校、県立第一高等学校はこの辺りでは一番の進学校で、それもあってか、他の学校の生徒のような高校生特有の"元気"な感じはない。言い方は悪いが、"強いて言えば勉強ができる"ようなもの静かな子が多いのだ。


 授業も中盤まで進むと次第に姿勢が崩れていくものだが、この学校は真面目な生徒が多いこともあってか恐ろしく目立って態度が悪いなんて生徒はそうそういない。だが。


 「おい、姿勢。」


 最初の頃は新入生なりの"輝かしい期待"もあってか授業も頑張って受けていたのだが、今はつまらなそうに"かろうじて席についている"状況だ。浅くイスに座り、机の上で、きつめの濃いピンク色をしたシャープペンシルを弄んでいるだけ。

 ノートはとてもキレイに取っているみたいだが授業態度が悪い。

 注意をしても軽く座り直す程度。それでも姿勢が直った訳ではない。


 おれもなかなか態度が良いとはいえないし、口も悪いが――周りの人からはよく"ダルそう"と言われる――それが自分の評価を大きく左右することだとは知っている。

 面接などの目に見える評価はもちろん、内申書などの日頃の行いを評価するものでもそれは大きく印象を揺れ動かす。

 もとい、学校によって内申書の評定のつけ方は異なるのだが。


 ほんのちょっと前までは本当に頑張っていたのに、なんでこんなに急に態度が変わってしまったのだろう。

 今日は本当にダルそうに授業を受けるな。


 「じゃあ、今日の授業はここまで。ワークは、……ここまでやれるから早めに終わらせた方がいいと思うよー、知らない間にどんどん増えて行っちゃうからなー。」


 ワークを開いて見せながら宿題の説明をして。


 「鶴木、ちょっと来い」


 授業が終わったあと、おれはケータイ片手に教科書を閉まって次の授業の用意をしようとダルそうにゆっくりとリュックを開いていた鶴木 美湊を呼び出した。


 








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