27.始まり(1)

 七夕の日。

 よりにもよって梅雨らしい天気だった。


 朝、9時前にアルファレオニスのオフィスに着くと、珍しいことに、すでに3人全員が揃っていた。


「おはようございます。みなさんどうしたんですか?」

 みんながテレビにかじりついている様子に加賀瑞樹が尋ねた。


「オマエ、今朝ニュース見なかったのか」

 隣で立っていた山下拓が腕を組みながら言った。


「北海道が占領されたんだってさ。極東軍に」

 ソファーで足を組んでいた佐々木優理が、ちらっとこちらを見る。


「うーん、そろそろ玲奈ちゃんにバイトに来てもらおうと思ってたけど、しばらく延期した方がいいかなぁ」

 ジャージを着た伊達裕之が、テレビの目の前で体育座りをしながら独り言を漏らした。

 その姿は、紛れもなく中学生だった。


「極東軍が占領? え、どういうことですか?」

 言葉の意味を理解できず、一瞬頭が止まっていた加賀瑞樹が訊き返す。


「言葉の通りさ。昨晩のうちに、極東軍が北海道内の主要施設を全て同時に占拠したらしい」

 山下拓が答えた。

「まぁ、ちょっとテレビ見てみろ」


 促されて加賀瑞樹はソファーに座り、アナウンサーが状況を解説しているテレビに目を向けた。


 画面には『極東軍、北海道を占領』というテロップが流れていた。


 ほどなくして画面が切り替わると、黒い髪が肩にかかるくらいの長さの若い女性が画面中央に映し出された。


 極東軍の白い軍服を着ており、マイクの前に立っていた。


 加賀瑞樹は、その女性を見て呆然とした。

 思わずソファーから立ち上がった。


 テレビ画面の下部に表示された文字には『極東軍副総帥 加賀菜月かが なつき』とあった。


「姉さん……?」


 加賀瑞樹がぽつりと言った。


「なぜ姉さんが、そこに?」


 テレビに映っていたのは、間違いなく加賀瑞樹の姉―――加賀菜月の姿だった。


 部屋にいる加賀瑞樹以外の3人が、同時に驚きの声を上げる。


「本当に、加賀の姉貴なのか?」

 山下拓が訊く。


「……はい、間違いないです」


 あまりにも唐突過ぎて自分でも信じられない気持ちだったが、自分が姉の姿を見間違えるはずもなく、頷くしかなかった。


「なぜ今まで黙ってた?」


「いや、僕も全く知りませんでした。姉とは、ずっと何年も連絡が取れてなかったので」

加賀瑞樹は、混乱した頭の中を必死に落ち着かせながら答えた。


 テレビでは、加賀菜月のスピーチが放送されていた。


「私は、極東軍副総帥の加賀菜月である。北海道全域は事実上、我々極東軍の支配下となった。日本国政府に告ぐ。ただちに、極東軍の北海道の自治権を認めよ。札幌だけではなく、すでに、千歳、苫小牧、泊などの重要施設は我々の管理下にある。拒否という選択肢はない」


 加賀瑞樹が今まで見たことのない姉の凛々しく綺麗な姿だった。


 最後に姉と会ったのは、姉が高校を卒業した日。

 もう5年も前のことだ。


 その当時と顔かたちは変わらないが、その姿は美しい大人の女性になっていた。


「極東軍の目的はなんだろう? 国でも作ろうとしているのかな」

いつのまにかデスクに座っていた伊達裕之が、パソコンの画面を見ながら呆れたような声で言った。


 加賀瑞樹は伊達裕之の背後まで行くと、肩越しにパソコンの画面を見た。


 画面上には北海道の地図が描かれ、いくつか赤い丸が光っている。その赤い丸にカーソルを当てると、その場所の写真と詳しい情報がポップアップウィンドウに表示された。


「ほら見て。占領されたのは、空港、石油コンビナート、発電所。それに、自衛隊の基地まで。住民のライフラインに関連する施設は全て押さえられている。もう、北海道に住んでる人たち全員を人質に取られたような状態だね」


「そんな。それじゃあ、政府も極東軍の言いなりになるしかないってことですか」

 加賀瑞樹が不安そうに訊く。


 テレビ画面に映る加賀菜月を黙ってにらんでいた山下拓が「加賀の姉貴、マジでイカれてやがる」と、厳しい表情で嘆いた。


 ☆


「くそ、全然つながらねーな」

 それからしばらくした頃、山下拓は手に持ったスマホを凝視していた。


「誰に電話してるんですか?」

 さっきから気になっていた加賀瑞樹が尋ねる。


「誰でもいいだろ」

 珍しく、いらついた様子なのがわかった。


 ふと、山下拓が札幌出身だったことを思い出した。

 友達や知り合いが北海道にいるに違いない。きっと彼らの安否が気になるのだろう。


 佐々木優理が「SNSのメッセージは?」と訊いたが、山下拓は首を振った。


「拓ちゃん、やられたわ。極東軍に」

 パソコンで何かを調べていた伊達裕之が言った。

「海底ケーブルを止められてる」


「くそがっ」

 山下拓は、右手に握っていたスマホを投げつけようとしたが、途中で止めた。


「青函トンネルの光ファイバーはもちろん、室蘭・八戸間、苫小牧・下北半島間、石狩・秋田間の全ての海底ケーブルの通信が切断されてるみたい。これじゃあ、北海道に電話もネット回線もつながらないわけだよ。衛星回線以外は全滅じゃないかな。極東軍、よく考えたなぁ」

 伊達裕之は感心した様子だった。


「え? 携帯電話もダメなんですか? 電波だから海底ケーブルとは関係なさそうな気がしますけど」

 加賀瑞樹が質問する。


「携帯電話は、最寄りの基地局までの通信にしか電波を使ってないんだ。基地局と基地局の通信は基本的には光ファイバーを使用しているんだよ。だから、本州から北海道に電話をかける時は、絶対に光ファイバーの海底ケーブルを経由するんだ」

 伊達裕之が説明してくれた。


「今の時代、情報の漏えいが命取りだし、通信を遮断するのは賢い戦略かもね。地理的にも海に囲まれた北海道は守りやすそうだし。食料自給率も高いから、食べ物にも困らなさそう」

 佐々木優理が率直な感想を述べた。


「それだけじゃない」

 山下拓が遠くを見るような目をした。

「札幌の街は、要塞化されている」


「要塞?」

 聞きなれぬ言葉に加賀瑞樹が訊き返す。


7つの天災セブン・ディザスターの時、札幌はエージェントによって一度壊滅した。そのあと、政府が極秘でエージェントに対抗できるような頑丈な街を建設して、自衛隊関係の人間を住まわせた。だから今は、街というよりは基地のようなところなのさ。札幌は」


「そこを占領して支配下にしたとなると、今の極東軍の戦力は一国の軍隊に匹敵する、というわけか」

 伊達裕之が眼鏡を直した。


 テレビでは、首相の緊急会見が放送されていた。極東軍に対して「政府としての見解を1週間以内に回答する。それまで、冷静な対応を求む」という内容だった。


 部屋の中を歩き回っている落ち着きのない山下拓を見て、伊達裕之が「亜梨紗ちゃんなら、きっと無事だよ」と声を掛けた。


「心配してねーよ」

 山下拓が、ぶっきらぼうに言い放つ。


「亜梨紗さん?」

 加賀瑞樹が疑問を口にする。


「拓の昔の恋人」

 ソファーで紅茶を飲みながらくつろいでいた佐々木優理がと答えた。


「あ、もしかして小春ちゃんを連れてきた人ですか? 僕は会ったことないですけど」


 加賀瑞樹は、伊達裕之が木村小春を初めて連れてきた時のことを思い出した。たしか、秦野亜梨紗から木村小春を預かったと言っていた。


「うん、そう」


「でも、そしたら亜梨紗さんは関東にいるんじゃ?」


「ダテヒロから聞いた話だけど、何か月か前に札幌に転勤したんだって。こないだは、たまたまこっちに戻ってきてたんじゃない? 知らないけど」

 佐々木優理は興味なさそうに教えてくれた。


 その時、突然インターホンが鳴った。


 誰だろうと思う間もなく、玄関の扉が開く音が聞こえ、スーツ姿の中沢美亜が駆け込んできた。


 盛らずに下ろした長い髪は、雨で濡れていた。


「美亜さん?」

 その普通じゃない様子に、加賀瑞樹が声を上げる。


 息を整え終わると、中沢美亜が顔を上げて言った。


「頼む。力を貸してくれ」

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