第3章 VS 姉
23.送別会(1)
6月の3回目の土曜日。
今年は空梅雨になりそうだという噂通り、今日もよく晴れた。
小さな雲がカルガモの親子のように並ぶ空の下、多摩川の河川敷には、アルファレオニスのメンバーが集まり、バーベキューセットを囲んでいた。
「―――というわけで、今日は我らが加賀っちの送別会です。みんな、盛大に送り出しましょう!」
ビールの入ったプラスチックのコップを右手で握りしめた伊達裕之が、相変わらずのジャージ姿で涙をこぼしながら叫んだ。
「泣くな、ダテヒロ」
山下拓が早くも串焼きをほお張りながら、モゴモゴと言った。
いつもの紫のワイシャツを腕まくりし、ネクタイはしていなかった。
「だって、加賀っちが辞めちゃうんだよ! 涙をいくら流しても足りないよ!」
伊達裕之が左手で涙をぬぐう。
「別に死ぬわけじゃない。いつでも会えるさ」
山下拓は真剣な表情で、今度は新しい牛肉を炎で育てている。
「ダテヒロ、早くしてよ! お酒飲みたいんだけど」
肌の露出の多いセクシーな夏服を着た佐々木優理がビール缶を片手に文句を言う。
「ごめん、ごめん。それじゃあ、加賀っちへの感謝と新しい旅立ちを祝して! 乾杯!」
その場にいた全員が高々と飲み物を掲げた。
「乾杯!」
☆
「山下さん、たくさん食べますね!」
楽しそうに話す小泉玲奈は、上品な服装に反して、串焼きを片手に4本ずつ握っていた。
「食べなきゃ、強くなれないからな」
山下拓が串焼きを2本まとめて、かじりつく。
「そうですよね! 私もいっぱい食べて強くなります!」
小泉玲奈が、ニィっと少年のような笑顔を見せる。
「で、何でオマエがここにいるんだよ?」
山下拓が今度は串焼きを3本まとめて、かじりつきながら尋ねた。
「お前んところの社長が誘ってくれたんだよ」
赤と黒を基調とした私服をオシャレに着こなしている赤西竜也が赤ワインを片手に答える。
ワイングラスには、NT研究所のロゴが小さく入っていた。
「パーマたちが、私の命を救ってくれたそうだな。……感謝している」
隣にいた中沢美亜が川の水面を眺めながら言った。
高級感のある落ち着いた夏服が逆に大人の女性の色気を醸し出していた。
明るい長い髪が太陽にきらめき、さわやかな風に揺れる。
すると、山下拓の顔を見つめて続けた。
「ありがとう」
「別に、感謝されるようなことじゃない。ただ、オレがオレのために、そうしたかっただけさ」
串焼きを食べ終わっていた山下拓は、自分に言い聞かせるように空を見上げた。
「美亜お姉ちゃん、ジュースあげるね」
気を利かせたのか、中学の制服姿の木村小春がオレンジジュースの入ったプラスチックのコップを渡す。
「すまない」
受け取った中沢美亜は美しく暖かな微笑みを返した。
☆
加賀瑞樹は、少し離れた土手まで歩いて行くと、斜面に腰を下ろし、先ほどまで自分がいた方向を眺めた。
川辺では、中沢美亜が木村小春とビーチボールで遊んでいる。
意外と子供好きなのだろうか。
他のみんなは、パラソルの下でお酒を酌み交わしていた。
ゆっくりと仰向けに寝そべった。
そよ風が草の匂いと花の香りを運んでくる。
広い空には、大海の離れ小島のように、小さな雲がぽっかりと浮かんでいた。
加賀瑞樹は、NT研究所での出来事を思い出しながら、大きく、ため息をついた。
―――あの時、僕は、みんなを見捨てようとした。自分だけ助かろうとした。
自宅でオートマトンに襲われた時。
畑の中で
公園で
橋の下で赤西竜也の部下に捕まった時。
いつも、誰かが僕を助けてくれた。
でも、あの時。
研究所の建物が崩れかけた時、気を失っている人たちを見捨てて、自分だけ逃げようとした。自分だけ助かろうと思った。
そんな薄情な自分が、何事もなかったかのように、みんなと一緒にいて良いはずがない。
仲良くして良いはずがない。
無理して一緒にいても、自分がみじめで、つらい気持ちになるだけだ。
今なら、なんとなくわかる。
自分が中学・高校時代の友達と疎遠になってしまった理由が。
―――そうだよな。自分のことしか考えていないんじゃ、当たり前だよな。
相手を信頼しない。自分だけ良ければいい。
そんな僕が、友達から信頼されるわけがない。
仲間だと思われるはずがない。
これまでの友人と、表面だけの友達関係になってしまっていたのは至極当然に思えた。
――みんなと、『仲間』になりたかったなぁ……。
加賀瑞樹は、もう一度ため息をついた。
アルファレオニスのみんなを見ていると、罪悪感で心がズキズキと痛む。
これ以上、笑顔の仮面を被り続けていく自信がない。
今日でアルファレオニスを辞めて、みんなとの縁を切って、綺麗さっぱり全てのことを忘れて、初めから何もなかったことにして、この気持ちを忘れるんだ。
そうすれば、悩まなくてすむ。もう後悔しないですむ。
真っ青な空に一本の白い線が引かれていく。
加賀瑞樹は、一筋の飛行機雲を目で追った。
何も考えず、何も悩まず、何からも縛られず、一人で自由に生きていけたら、どれだけ楽だろうか。
どれだけ一人になろうとしても、全ての『しがらみ』からは抜けることができない。
学校の人間関係だったり、サークルの人間関係だったり、アルバイトの人間関係だったり。
生きている以上は、何かしらのコミュニティに縛られる。
空に線を描いていた飛行機が見えなくなった頃だった。
「加賀っち、何してるの?」
伊達裕之の顔が、視界にぴょこんと現れた。
一人で、土手に寝そべっている加賀瑞樹に気がつき、心配して声を掛けに来てくれたのだろう。
「少し考え事をしてました」
「そっか」
伊達裕之が隣に座ると、ゆっくりと背中を倒し、横になった。
2人は、しばらく無言のまま、空を眺めた。
しばらくして、思い出したように伊達裕之が声を上げた。
「そうだ。もう一度、加賀っちにお礼を言わなきゃ」
「え、何のことです?」
「小春や、みんなを守ってくれて。本当にありがとう」
予想外の言葉に加賀瑞樹は戸惑った。
「小春から全部聞いたよ。加賀っちが極東軍の敵を追い払ってくれたんでしょ。加賀っちがいなかったら小春は死んでいた。玲奈ちゃんも、美亜さんも」
「ダテヒロさんは、僕のことを買被りすぎです」
加賀瑞樹は、首を振った。
「いや、加賀っちが戦ってくれたおかげだよ」
「あれは、自分が助かりたかっただけです。感謝されるようなことはしてません」
加賀瑞樹は投げやりな声で続けた。
「むしろ、軽蔑されるべきです」
伊達裕之が顔をこちらに傾けた。
優しい表情で「どうして?」と理由を尋ねているようだった。
「僕は、みんなを見捨てたんです」
加賀瑞樹は自分に言い聞かせるように呟いた。
「倒れているみんなを見捨てて、見殺しにして、自分だけ研究所から逃げようとした。僕は裏切り者です」
加賀瑞樹は目を閉じた。
間違いなく伊達裕之から軽蔑されただろう。
これで、後ろ髪を引かれることなく、きっぱりとアルファレオニスのアルバイトを辞められる。
もう思い残すことはない。これでいいのだ。
少しの間のあと、「拓ちゃんの話を聞いてくれるかい?」と伊達裕之が穏やかな声で話を始めた。
「拓ちゃんはね、小学生の時に家族全員を殺されたんだ」
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