19.研究所(3)

「これは『アビリティシリンジ』の生産ラインじゃ」

 忌野が透明な壁の向こう側を眺めながら言った。


 視線の先には、相当な広さの空間が広がっており、何十台もの大きな機械が設置されていた。

 それらの間を、蜘蛛の巣のようにベルトコンベアがつながっている。


「小春君の協力のおかげで臨床試験も終わり、つい先週、ようやく量産化までこぎつけた」


 忌野は、比較的近くのベルトコンベアを指差した。


 その上をゆっくりと流れる砂時計のような形の容器の中には、ワインのような真っ赤な液体が入っている。


「あのたくさん並んでいるのがアビリティシリンジ。約1億個の『ナノマシン細胞』が中に入っている注射器じゃ」


「ナノマシン細胞?」

 小泉玲奈が訊き返す。


「ナノマシン細胞とは有機物を原材料に構成したオートマトンのようなもの。それを人間に投与して身体に定着させると、体内のナノマシン細胞が生み出す力により、現在の科学では証明できないような、とんでもない能力が覚醒する。そうした超能力者のことを『アドバンスドAセルCキャリアC』と呼んでいる」


「小春ちゃんも、ですよね?」

 加賀瑞樹は、トラックを動かした木村小春の能力を思い出しながら尋ねた。


 忌野は「うむ」と頷いてから、続けた。


「だが……。正確には、ACCには『先天性』と『後天性』の2種類がある。ワタシのように後天的にACCになった人間以外にも、ごくわずかだが、なぜか生まれつき体内にナノマシン細胞を持つ人間、つまり先天性のACCがいる。彼らは、『ラビリスの末裔』とも呼ばれておる。そのひとりが小春君なのじゃ」


「生まれつきのACC……? そんなこと信じられない」


 加賀瑞樹は、忌野の話が嘘だと思った。


 生まれた時から体内にナノマシンが存在するなんて信じられない。

 もしナノマシンが遺伝するのだとしたら、その人の親もACCということじゃないか。


「ワタシも信じなかったじゃろうよ。5年前に、あの女が小春君をここへ連れてくるまではな」


 忌野は木村小春に歩み寄ると、頭を撫でた。


「その女から『超能力がある』と言われて、小春君の身体を詳しく検査したのじゃ。そしたら、体内に未知の細胞が存在することがわかった。それも生物の構造というよりは、もはやナノマシンと呼ぶべき機械のような構造の細胞だった。その影響で、小春君が超人的な能力を発揮していたのじゃ」


 今度は中沢美亜の方に目をやり、話を続ける。


「それ以降、その女とワタシと美亜君が中心となって、小春君から抽出した細胞をもとにナノマシン細胞を作成し、他の人間に移植する研究を極秘裏に始めた。それで、ようやく完成して、誰でもACCになれるようになったというわけじゃ」


 その話を聞き終えると、急に小泉玲奈が目を輝かせ、「ってことは、あの注射器を打てば、私も小春ちゃんや所長さんと同じ超能力が使えるようになるってことですよね?」と訊いた。


 その質問には後ろから中沢美亜が答えた。


「それは半分正解だが、半分間違っているな。得られる特殊能力アビリティは、人によって異なる。アビリティシリンジを打てば、誰でもアビリティは使えるようにはなるが、どんなアビリティかはACCになってみないとわからない。例えば、所長が持っている『観測のアビリティ』は、『外界からの任意の影響を無視できる能力』だ。だから、重力の影響を無視することで空中に浮くことができる。だが、私の『先見のアビリティ』は『未来を予知・予測できる能力』だから、空中に浮くことはできない」


「なるほどー。ACCになってみないとわからない、ということですね。そしたら、私も試しに1本打ってみてもいいですか? ね、所長さん♪」


 小泉玲奈が子猫のように忌野にすり寄った。


「うむむ。お嬢さんに1本あげたいところなのだが、親会社の太平洋テクノロジーの重要な商品なのでね。定価の代金をもらわなければ、渡すことはできないのじゃ」

 申し訳なさそうな表情で忌野が言った。


「定価はいくらですか?」


「1本あたり、税込みで2億円」


「高っ!」

 横で聞いていた加賀瑞樹が思わず声を上げた。


「良かったぁ。じゃあ、私の貯金で買えますね!」

 小泉玲奈が天使のような笑顔で微笑んだ。


「100億円は持ってるんで」


 一瞬、空気が固まる。


「嘘でしょ!? いくら玲奈の家がお金持ちとはいえ……。いや、でも、あれだけ大きな家だったし、もしかしたら……」


 途方もない金額に、加賀瑞樹の思考が追い付かない。


 ―――その時だった。


 突然、突き上げられるように部屋が大きく揺れた。

 ほぼ同時に、遠くから爆発音が聞こえた。


 忌野が体勢を崩し、片ひざと手を床につく。


「今の、何? 地震?」


 バランスを崩した小泉玲奈は、加賀瑞樹の右腕をつかみ、支えにしていた。


「……わからない。けど大丈夫だよ」

 何か嫌な予感がした加賀瑞樹は自分に言い聞かせるように呟いた。


 すぐさま、部屋全体が赤い光で包まれ、警報音がけたたましく鳴り響いた。


 加賀瑞樹のすぐ左隣にいた木村小春が「お兄ちゃん、怖いよ」と左腕にしがみつく。


「何事だ?」

 忌野が中沢美亜に尋ねる。


 中沢美亜は「今、確認します」と落ち着いた声で答えると、足を少し開き、両腕を下げると、大きく息を吸った。


「先見のアビリティ発動!」


 その掛け声と同時に、中沢美亜の両目に紫色の光が浮かび上がった。そして、身体全体も輝き出し、淡い紫の光を纏う。


「千里眼!」


 中沢美亜が「先ほどまで私たちがいたホールの入口が爆破され、何者かが2名侵入している。今、特殊任務室の部下20名が敵の排除に向かっている」とリアルタイムで実況する。

 どうやら、遠くの場所が見えているらしい。


「……何だと?」

 唐突に中沢美亜が驚きの声を上げた。


「どうしたのじゃ?」


「部下の半数が瞬殺されました」


「ばかな、あり得ない」

 忌野が呆れたように言った。


「美亜君の千里眼の調子が悪いのじゃろう」


「いえ、残念ながら本当です」


 中沢美亜の声に焦りの色が混じる。


「あの白い軍服は……。おそらく、敵2名は極東軍きょくとうぐんの幹部です。ああ、もう部下が……」


「極東軍じゃと? 犯罪者集団の分際で、神聖な我が研究所に足を踏み入れるとは」


 元々シワだらけの忌野の眉間に、深いシワが寄る。


 『極東軍』と聞いて、加賀瑞樹は映画館に行った日の小泉玲奈の言葉を思い出した。

 最近、日本国内で勢力を拡大している謎の犯罪組織だと言っていた。


「瑞樹、私たち、ここから早く逃げよう」


 小泉玲奈が加賀瑞樹の手を握って引っ張る。


「う……、うん」

 加賀瑞樹はどうするのが正解かわからず、あいまいな返事をする。


 その間に、小泉玲奈が部屋の入り口の扉を開くボタンを押した。


「開けるな!」


 そう中沢美亜が叫んだ時には、すでに手遅れだった。


 金属の扉が開くのと同時に小泉玲奈の悲鳴が部屋にこだました。


 とさっ。


 何かが地面に落ちた音がした。


 扉の方を見ると、部屋の入口に、ひとりの男が立っていた。


 茶色い長い髪。黒いシャツに真っ白なネクタイ。

 その上から、白を基調とした軍服のような上着を羽織っている。


「あれれ。壊す前にドアが開いちゃいましたか」


 茶髪の男が、サラサラとした長い髪を掻き上げる。


 その男に加賀瑞樹には見覚えがあった。

 さっき、建物のエントランスで出会った白い制服の警備員だ。


 茶髪の男の足元に視線を移すと、そこには小泉玲奈が倒れていた。


「玲奈!」


 加賀瑞樹が駆け寄ろうとする。


 次の瞬間、自分の腹部に茶髪の男の靴がめり込んでいた。


 直後、後方に身体が吹き飛び、この部屋と生産ラインの部屋を隔てていた透明の壁に背中から打ちつけられる。


 バリンっ。


 粉々に壁が粉砕し、そのまま突き破る。


 残念ながら壁の素材は強化プラスチックではなく、ガラスだったようだ。


 そして、多数の破片とともに、加賀瑞樹の身体が床に落下した。


 木村小春が「お兄ちゃん!」と悲痛な叫びを上げ、その場に、へなへなと座り込んで、うずくまる。

 ショックのあまり、どうやら気を失ってしまったようだ。


 何とか受け身を取れていた加賀瑞樹は、生産ラインのベルトコンベアを支えにしながら、すぐに立ち上がった。


 ガラスで切れた頬の傷から血が垂れる。


「女だろうか子供だろうが命はみな平等。差別する気はないんだよねー」

 茶髪の男が部屋の中を見渡してから低い声で言った。


「みんな、オレが天国に逝かせてやるよ」


 中沢美亜が忌野に「所長、アビリティ発動しておいてください。あの男、危険です」と小声で告げるのが聞こえた。


「くっ。ここまでアヤツらに侵入を許すとは、赤西は、いったい何をしておるのだ?」

 明らかにイライラしている声で、忌野が不満を漏らす。


「入院中です」


「……なぬ」

 忌野が苦い表情をして、唇を噛んだ。


 その時、茶髪の男の後ろから、金色の短髪の男が現れて言った。


「山田、爆弾のセットが完了した。あと10分で建物が崩壊する」


 そして、「それまでに、お前はあれを回収しろ」と生産ラインの終点に視線を送る。


 そこには何十個ものアビリティシリンジの完成品が詰められたケースがあった。


「俺には、もうひとつ仕事がある」


 『山田』と声をかけられた茶髪の男は、「はいはい。まったく、総帥は人使いが荒いんだからー」と両手の手のひらを上に向けながら明るい口調で答えた。


 加賀瑞樹は、その二人のやり取りが視界に入っていた。

 しかし、どうしても自分の目を信じることができなかった。


 なにしろ、山田から『総帥』と呼ばれた金髪の男の顔を誰よりも、よく知っていたのだ。


 その顔を忘れるわけがない。


「叔父さん!?」

 加賀瑞樹はあっけにとられながらも大声で叫んだ。


 その金髪の男は、加賀瑞樹の実の叔父であり、育ての親―――金城龍かねしろ りゅうだったのだ。

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