櫻花綺譚

しおり

  時 現代(明而大祥三十八年)

  場所 帝都の何処とも知れぬ桜の下

  さくらの花の、わけても白く咲満ちたるなか、灰桜の羅をかむった若者が、獨り―――


(若者、ゆっくりとかんばせを上げ、脣をひらく。その拍子に、黒髪や襟の袷から、桜のはなびらが四、五はらはらと落ちる。……その身に、つめたい気配のする黒塗りの匣を抱えている。)


 僕は、名を桜花おうかと云う。苗字は十九の歳まで加賀かが、十九の春から美薗地みそのじとなった。

 僕は、一八八四年、帝都より数里も離れた北の土地で、公家華族美薗地公爵家の庶子として生を享けた。母は加賀ハツという、色が白く手の美しい女だった。裁縫を教えていたが、生徒をとるよりも端切れの細工物を売る方が家計の足しになっていた。

 母の作る手玉や豆雛は、其処そこいらの物とはわけが違い、春に梅、桜、椿、山吹、桃も李も一斉に開いた景色のような敷妙の玉に似た美しいものであった。金銀の糸を織り込んだ紅の裳…上等な金魚の尾の縮緬…これ皆蓬莱のたからのごとくである。僕は野山を駆けるが好きな小僧ではあったが、それでも母の、そんな美しい品を誇りに思っていたし、愛していた。それでも暮しは貧しく、深山の曠野あれのの、粗末な家に棲んで、夜毎どろのきの波濤のごとくさんざめくさまを聴いて暮らしていた。

 そんな僕には双子の妹があり、名をと云った。母によく似て、色の白い娘であり、おとなしく何時でも俯いていた。目が醒めるような百日紅の花と三味線の音が好きなむすめだった。柘榴のわれたのを怖いと云って泣く子だった。余りにこわがるもので、季節を待って柘榴の花の散った近所の寺に連れていってやって、緋毛氈を敷いたようないしだんに、ほうら鬼子母神さまの雲だと云って坐らせてやったら、色白な頬をほのかに染めて悦んでいた。…可愛かわいい妹だった。――その色の清く白いところも、年頃になればより露わになろうなよやかな媚めかしさも、不吉に、母とよぅく似ていた。


 僕の母は所謂、妾であった。

 美薗地の名は聴いたことがあろう、公家華族美薗地公爵家…あの夢のような西洋風の御屋敷は、ひとたび帝都の駅におりたてば、遠くからでもよく見える。

 母は、娘の頃帝都で暮らしており、美薗地の邸の小間遣いをしていたのが、一夜の戯れに白百合の葩茎くきを手折らるるよう。徒らに……、母は腹の目立つようになる前に帝都を離れた。若いうちに親を亡くした僅か十五の娘は、ひとり北の国に帰ることを余儀なくされたのである。

 そうして産まれた僕は、そんな己れの血筋を知らずしてただ、深山の獣のように日々を過ごしていた。無瑕の蒼穹を眺むるときに最も僕の心は騒いだ。その衝動に身を任せて野山を駆けずり回った。僕と妹を父無し子と罵る者もあったが、一向に心構かまわなかった。片親の子なぞ幾らでも居た。父を知らないか、喪ったかの違いである。

 然し、そんな僕らを女手で養ってくれていた母が寝付いたのは、僕が七歳かそこらの初春だった。北の国は三月になっても雪が消えず、うすものを敷いたような白が何時までも軒先に残っていた。医者を呼ぶと、必ず死ぬようなものではないが、寝ている他ないとかぶりを振られた。母のこれは冬の疲れが春を目前にして祟るものらしい。暖かくなるまで保てば治るが、そうでなくては死ぬだけだ、と。

 妹は母の蒲団の脇を離れたがらず、仕方無しに僕が種々いろいろと、大人の真似事をして日銭を稼いだ。元々が母の裁縫だけではようよう活計を立ててもいかれぬ、直に温まる風に合わせ支度を整える畠や蓮田や稲田を飛び回り、なんでもこなすと良い手伝いになるものだ。日銭だけでなく僅かに食い物など貰えることもあって、妹のまめやかに世話する庭の畑の野菜と、茶粥に蕗薹ふきのとうやらを入れたのに少しの味をつけることも出来た。

 蒲団の脇に座る妹は時々、御免なさいと蚊の哭くより小さな声で謝った。何に謝っているのか、この世のすべてに申し訳ないと思っているような寂しげで侘しい響きを持っていために、無性に僕は苛立ち、それ以上何事も云わせまいと乱暴に抱き寄せたりして、無理に妹の詞を奪った。謝れば謝るほど、ことの幸せが遠退くような気がして、矢も盾も堪らなくなったのだ。それは予感であった。

 もうすぐに桜が咲くという頃になって、母はだいぶ顔色を取り戻してきた。此こまで来れば後は恢復するのみであると、真面目くさったあやしげな近所の漢方医が云うと、妹は母の枕元でふうと息をついて安心の為めかそのまま眠ってしまった。丸まったほそい肩に掛物をしてやると、母が俄然にわかに頭を持ち上げて枕の下から何かを出した。急慌あわてて枕元に膝をついた僕に、母は囁いた。「帝都へ行きなさい」と。

美薗地みそのじ明近あきちかさまを頼りなさい」

 枕元には、母が枕下から取り出した手紙が置かれていた。僕はそれを手に取ってっとて、その墨痕鮮麗あざかな文字を苦労して読んだ。少し離れた処に元御武家の子が棲んで居て、僕はそ奴と仲良くしていたので門前の小僧はなんとやらでほんの少ぅし字が読めた。これは僕の誇りであった。母はあまり学問がなかったが、漢籍の類いをふしぎに少し知っていて、僕や妹に教えたが……ともあれ、僕はその手紙が読めるほどの頭があった。

 そこで初めて僕は、母が妾だということを知ったのだ。

 思えば、まだ若く身寄りのない母が、こんな田舎で裁縫の腕のみで活計をたててゆけるはずもなかった。一時囲っただけの若い女が子を孕んだときいた美薗地のあるじが、細々と金を送っていたのだ。

「此れを」

 母は、いっとう美しい春秋尽しの絹にくるんだ旅費となろうものを僕に差出し、蒼白い脣を慄かせた。僕はふるえながらそれを受け取った。母は美薗地に頼るのをしとせず、いざという時の為めに送られた金をずぅっと隠しておいてあったのだ。

「學びなさい、桜花」

 母が、これ迄にも屡々しばしば僕に云ったことだ。然しこの時ほど僕の身を貫いた母のことばは、後にも前にも終ぞ無かった。

「帝都へ行きなさい、桜花。

 あの日ノ本の光たる帝都で、學びなさい。然して、何時か花を咲かせなさい…」

 母は眠る妹をそぅっと抱きしめた。そしてから、僕を強く強く掻き抱いた。

 その熱は、いまでも僕のうちにある。

 可懐なつかしい幼き日の、憶い出…!

 帝都で花を咲かせ実を結ぶことこそが、僕の天命であると母は堅く信じているようだった。枯れゆく白百合の風情で、母は真っ直ぐに僕を見た。黒く潤む、底の無い美しい瞳だった。

 母は恐らく妹のこともあって僕を帝都に行かせようと試みたのだと思われる。ことは嫋やかで弱い娘だった。まるで影のような、嵐に怯える柳のごとく脆く、優しい女であった。

 僕は母と妹を代わる代わるに見てから、懐にずしりと重たい春秋をいれて立ち上がった。


 こうして、一八九一年春、僕は故郷を離れて帝都へ旅立った。

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