僕が知っている本山らのと、僕を知らない本山らの

キム

僕が知っている本山らの

 目が覚めると、見慣れた教室にいた。

 ……あれ? いま、何してたんだっけ。どうしてここにいるんだろう? 思い出そうとしても、何も思い出せない。

 隣の席のクラスメイトに話しかけようと横を見ると、そこにはがいた。そう、誰か。誰だかわからない誰か。

 そこに誰かがいるのはわかる。でも、それが誰なのかが全くわからない。ニュース番組などで顔にモザイクがかかっているような感覚。

 髪型も、服装も、性別さえも、わからない。わかるのは、そこに誰かがいるいるということだけ。

 周りを見ると、教室内はそんな誰だかわからない人だらけだった。聞き耳を立ててみても何を話しているのかわからない。僕は怖くなって自分の席で下を向いてじっとしていた。

 しばらくすると誰かが教室に入ってきて授業が始まった。しかし教壇に立つ先生が誰なのか、今が何の授業の時間なのかもわからない。わからないことだらけ。

 例えようのない不安に駆られ、僕は勢いよく教室を飛び出した。

 誰かが僕のことを呼んでいた。果たしてそれはクラスメイトだったのか、先生だったのか。それもわからなかった。


 僕は学校中をがむしゃらに走り回った。保健室。食堂。体育館。どこに行っても誰かがいたが、それが誰だかわからなかった。

 何かがいつもと違う学校。一体どうなってしまったんだろう。あるいは、どうにかなっているのは僕の方なのかもしれない。そんな不安な気持ちを紛らわせるように、走り続けた。

 そうしているうちに辿り着いたのは、教室棟最上階の一番奥にある図書室。息を切らしながらそっとドアを開けると、そこには一人の女の子がいた。

 女の子。わかる。確かに女の子だ。

 女の子で、眼鏡をかけていて、肩まで伸びている髪は黒くて、学校指定の制服ではなく黒を基調とした和服を着ていて、不思議なことに動物のような耳と尻尾が生えている。ちょっと変わった格好をしているが、その子がどういう姿をしているかがわかると僕はとても安心した。

 二人掛けのテーブルに一人で座ってた女の子の前の席は、まるで誰かを待つかのように空いている。

 僕は息を整えてから、その席に向かって歩いた。


 テーブルの前まで来ると、僕の存在に気づいた女の子が顔を上げた。

 さて、なんと話しかけよう。あなたは誰ですか? 授業中に何をしているんですか? 僕が誰だかわかりますか?

 聞きたいことは山ほどあるけれど、何から聞けばいいか。そんなふうに悩んでいると、女の子の方から話しかけてきた。


「初めまして。本山らのと申します。よくここまで来てくれましたね。お待ちしてました」


 僕を待っていた? 初対面のはずなのに? というか、誰だろうこの子?

「もし良かったら、明日もここに来てください。いいものをご紹介しましょう」

 それだけ言うと彼女は席を立ち、図書室を出て行ってしまった。

 本山らの。

 よくわからなくなった学校で出会った、不思議な女の子。ここに来れば、本当に明日も会えるのだろうか


 * * *


 翌日になって登校してみたが、教室はもちろん、学校中の状況はやはり変わっていなかった。相変わらず誰だかわからない人だらけ。

 なんとなく、そのわからない誰か同士では会話が成立しているように見えたので、どうやらおかしくなっているのは僕の方だということがわかった。

 僕は教室にカバンを置き、授業が始まる前に図書室へと向かった。

 昨日と同じようにドアを開けると、今日も本山らのがいた。昨日と同じ席に座り、彼女の前の席は空いている。

 僕は彼女に近づき軽く挨拶をすると、彼女も笑顔で挨拶を返してくれた。

「ようこそお越しくださいました。さて、昨日言ったいいものなのですが、こちらをご紹介させていただこうと思います」

 そう言うと彼女はテーブルの上に置いてあった二冊の本を手に取って見せてくれた。

 表紙を見るとどちらも見覚えはなかったが、可愛い女の子が描かれているとそれは、いわゆるライトノベルと呼ばれる作品であることがなんとなくわかった。僕もライトノベルを読んでいるので、ライトノベルを紹介すると言われるとちょっとばかりワクワクした。

 そして本山らのは紹介すると言ってくれたとおり、それぞれの作品の魅力について語ってくれた。

 恐らくそれは、時間にすれば十分もしなかっただろう。しかしライトノベルについて語る彼女の姿はとても楽しそうで、可愛くて、それでいて聞いていると作品を読んでみたいと思わせてくれるようなものだった。

 そして何よりも、彼女がそれらの作品のことが本当に好きなんだという気持ちが伝わってきた。

 僕は彼女の話を聞き終わると、早速その本を手に取って読み始めた。授業の時間も昼休みも、ずっと図書室で読み続けた。放課後になって、ようやく二冊とも読み終えた。

 僕が本を読んでいる間、本山らのは傍にずっと居た。彼女も彼女で別のライトノベルを読んでいたみたいだが、ひょっとしたら僕が本を読みながら泣いたり笑ったりしていたのを見られていたかもしれない。そう思うと、途端に恥ずかしさがこみ上げてみた。

 読んだ本の感想を伝えて薦めてくれたことへのお礼を言うと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「それでは、明日もここに来てください。別の作品をご紹介しましょう」

 どうやら今日の二冊だけではなく、明日も本を紹介してくれるらしい。

 僕は明日も来ると約束をして、図書室を出た。


 次の日も本山らのは図書室にいた。彼女の目の前には一冊の本置いてあった。どうやら今日はその作品を紹介してくれるらしい。

 僕は昨日と同じように、本山らのからライトノベルを薦めてもらった。

 昨日も思ったことだが、彼女の作品紹介は一切のネタバレを含んでいなかった。それでいて作品の魅力を伝え、読みたいという気持ちをくすぐるのだから、本を薦めるのが本当に上手だと思う。

 僕は今日も彼女が紹介してくれたライトノベルを読んだ。そして読み終えた感想を伝える。

「明日は私はいないかもしれません。いつでもいるというわけではないですが、時々ここに足を運んでくださると嬉しいです。またお会いしたときに、私の好きな本をお薦めしますね」


 本山らのにも彼女の都合があるようで、流石に毎日いられるというわけではないらしい。それでも僕は、いつ彼女が図書室に来てもいいように毎日図書室へと通った。もう授業には出ていなかった。保健室登校ならぬ、図書室登校だ。

 本山らのがいる日は彼女から本を紹介してもらい、彼女がいないときは自分で図書室に置いてあるライトノベルを読んでいた。

 相変わらず本山らの以外の人についてはわからない状態が続いていたけれど、それでも構わなかった。あの日、誰だかわからない人だらけの教室で感じた不安が嘘のように、僕はライトノベルを読んで毎日を楽しく過ごした。


 図書室登校をするようになってから一年も経つ頃には、図書室に置かれていた本は読み終えてた。

 僕はもっとライトノベルを読みたかった。読んで、怒って、泣いて、笑って。そうした感想を本山らのに話したい。本山らのに、僕が感じたことを聞いてほしい。

 そのことを恥ずかしながらも彼女に伝えると、彼女は嬉しいとも悲しいとも取れるような表情をした。


「であれば、あなたはもうここにいるべきではありませんね」


 どういうことだろうか。

 何故そんなことを言うのだろうか。

「あなたとはここでお別れです。ですが、ライトノベルを読みたいというその気持ち、想いを決して忘れないでください」

 本山らのがそういうと、僕の目の前の光景が光に包まれていき、やがて意識が遠のいていった。

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