記憶辿りの魔法使い

神崎裕一

第1話 少女が見た夢



 それは、辺り一面が雪景色の日の――出来事であった。


 朝早く。それも早朝と言える時刻に姉にたたき起こされたアンジェラは、急かす姉に手を引かれながら玄関に向かった。早く早くとわくわくした顔とは相対するようにめんどくさそうな顔を浮かべていた彼女も、ドアを開けた時には驚きの顔をした。


 見知らぬ世界が、その瞳には写っていた。辺り一面が、真っ白の世界。玄関を開けた先にあるレルニア通りと呼ばれるレンガの大通りが真っ白に染まっていた。


 夜に足元を照らしてくれるガス灯も。レンガで作られた歩道と車道も。その街並みも。何もかもが『雪』によって覆われ、別の世界へと変貌している。


 それらを見たアンジェラは姉と目線を合わせた。そして互いの考えが一致したのか、次の瞬間には雪に向かって飛び込み、その白い世界にその身を預けた。


 地面にある雪を拾っては姉に投げ、投げられた雪を避けては投げ返す雪合戦。


 小さな雪玉を坂の頂上から転がし込み、坂の袂に来る頃には大玉になっていた存在を上下に重ねあわせ、装飾で綺麗に着飾った可愛い雪だるま。


 板を借りて板に紐を通して坂の頂上から下って未体験の滑り台もした。


 そうして、雪の世界を堪能した少女は。その疲れた体を雪の世界に倒れ込ませた。

 うつ伏せになって、身に着けているコートや絹のニット帽を白く染める。


「お姉ちゃん。雪って冷たいね」


 嬉しそうに笑いながら、アンジェラは姉にそう言葉をかけた。

 すると、隣で仰向けになっていた姉が同じように笑う。


「そうだね、本当に冷たい。でも、心地のいい冷たさだよ」


 姉の言葉に、アンジェラは「同感」と白い歯を見せた。


「ねえお姉ちゃん。次は何をしようか。雪合戦もやったし、雪だるまも作った。滑り台もやったし、カマクラも作っちゃったよ?」


「お姉ちゃんはじっとしていたいかな。アンジェラ、空を見て御覧よ」


 姉にそう言われ、アンジェラはゆっくりと寝返りを打った。そして彼女は見る。


 それは、銀の空であった。晴れの日に広がる青空の光景でもなく。雨の日に広がる灰色の光景でもない。存在するは銀の世界。銀色のように光輝く――空模様。


「めったに見れるものじゃないよ。こんな光景」

「うん。そうだね」


 姉の言葉に、アンジェラは同意した。そして彼女は、その世界へと手を伸ばした。


「ねえお姉ちゃん。私、いいこと思いついたんだ」

「なに? アンジェラ」

「うん。それはね――」


 アンジェラは嬉しそうな顔を姉に向け、思いついたことを伝えようとした。

 だけど、視線の先にあったのは、コンクリートの壁であった。


「――……あれ?」


 その壁を見たアンジェラは思わず顔を上げ、体を起こした。


 そして、彼女は気付いてしまった。


 自分の置かれている状況を。何が起きているのかを。


 何も。何もない。レルニア通りが白く染まっていた光景も。雪合戦をした後も。一緒に作ったあの雪だるまも。美しいと思ったあの銀色の空の世界だって――ない。


 ただあるのは、監獄の世界であった。セメントで作られたベッド三つ分の広さしかない一室。視界の左側には鉄格子。右手側にはセメントの壁といった作りの――明かりが用意されていない暗闇の孤独な世界。


 その世界を見たアンジェラ・レストは視線を落とし、自分の両手を見つめた。


 そうしてようやく、彼女は気付いた。

 気付いたからこそ、悲しそうな目をして――呟く。


「そっか。夢だったんだね」

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