ユウオウ様と冬晴らし

猿烏帽子

第1話

「帰ろうよ、サク」

 後ろの方から泣きそうな声が聞こえてくる。キョロキョロ周りを不安そうに見渡しながらもついてくるクラを尻目に、サクは森の奥深くへと分け入っていく。

「帰らない」

「ダメだよ、いくらユウオウ様の夢を見たからって祠に勝手に行っちゃ。僕たちまだ9つになったばかりなんだよ?」

「だからって、待てないよ!」

「あ、待ってよ、サク、待って……!」

 二人はさらに森の奥へと進んでいく。所々皮を剥がれた木々が、木枯らしに身体を震わせている。皮を剥いだ鹿はといえば、手当たり次第に役目を終えた命を食んでは、時折村の方から聞こえる人の足音に怯えて木の葉とともに走り去っていった。

 サクはその幼い身体には見合わない一振りの刀を抱えて、寒月の下、消えかかっている人の行く道を進んでいく。

「はぁ、はぁ……、げほっ、待って……」

 背中から苦しそうなクラの声が聞こえてきた。サクも流石に立ち止まり、振り向いた。

 凍てつく空気の澄んだこの時節だからこそ見える、遠景の灯火。これからやってくる厳しい冬を超え、命の芽吹く春を待つ海辺のあの村で、サクは夢を見た。

 それはとても苦しい夢だった。息の詰まるような空気と、身動きの取れない暗闇の中。人の世とは違う世界を彼女は微睡みの中に垣間見た。大きく肩で息をする獣が、そこにはいた。人里離れた冷たい石の中で、やがて訪れる冷たい百夜を孤独に耐える獣がいた。

 サクはその夢を見たとき、手を伸ばした。相手からすれば見えているかも分からないけれど、手を伸ばした。その手を望むように、獣がその丸い鼻を伸ばしたところで、夢は祭りの篝火の爆ぜる音で潰えてしまった。


 ユウオウ様が待っている。助けを求めている。サクはそう思った。だから一心に歩き続けて、この祠までやってきた。

「ユウオウ様、ここまで来たよ。今、助けるよ」

「サク、どうするの」

「助けるの。ここから出してあげるのよ」

 そういうと、サクは木の幹に飲み込まれている祠の前に立った。その幼い手で、しっかりと柄を握ると、

「えい……!」

 それを思い切り木の根に突き刺した。が、硬い幹は刃を通さなかった。それでもサクは地面に転がった刀を拾い上げるとまた刃を突き立てた。

 傍らで不安そうに見守っていたクラは刀が甲高い音を立てて転げ回るたびに、身体を震わせていたが、とうとう彼女一人では無理だと悟ると、

「僕もやるよ……!」

と言って、その刀の柄を共に握りしめた。地面を踏みしめ、二人は勢いよく刀を突き刺した。

 深く木の幹に突き刺さった刀の先はは、そのまま飲み込んでいた石にあたり、幹とこだまして不思議な音を歌い上げた。

 身体の芯にまで響きそうなその音が鳴り止む頃、祠の前の土が大きく盛り上がった。土塊と共に現れたのはあの夢に現れた獣だった。

「ユウオウ様だ……!」

「やった……!」

 ユウオウは、身体を大きく震わせると、白い月が現れた。声を上げて喜ぶ二人を見たユウオウは一際低い唸り声を上げて、二人が驚いて目を瞑って、再び目を開けた頃には、ユウオウと空の月の姿は無くなっていた。

 「行っちゃったね」

 「……うん」

 二人は惚けた表情で、祠を見つめていた。その背中を照らす温かいものを感じたサクが振り返ると、そこには海を光り輝かせながら昇る太陽の姿があった。

 その傍らには朝を迎えた村の灯火が、徐々に小さく、そして大きな陽の光に包まれていく。その光の中に二人は鮮やかな桜を見た。霞む視線の果てに、村を囲うように三日月に咲く桜の白を見た。

 

 超える冬は掻き消えて、春が訪れた村へ帰ってきた二人を迎えたのは、桜を愛でる人々の声と、それに答えるような遠く低い山鳴りだった。

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ユウオウ様と冬晴らし 猿烏帽子 @mrn69

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