猿ヶ暇

銀杏鹿

猿ヶ暇

 猿山に革命が訪れた。それは自動販売機の導入である。 用意されたコインを機械に投入し、スイッチを押すだけでなんと、飲料や、食物を手にすることができるのだ。

 コインは柵の向こう側をうろつく者どもから投げ込まれた。

また、そいつらに似た、細長い奴らに連れられ見世物となるだけでも手に入った。

 彼らの手を借りることなく、自らの生きる糧を賄うことができるようになったが、それは逆説的に稼ぎなくして生きることは不可能である事を示した。

 与えられるだけの安寧な生活が失われ、生きるために搾取し、搾取される生存競争が開始されたのである。


◆◆◆◆◆◆◆◆


 リンイチロウは柵の中にいる。

何時ものように頭を掻きながら彼は柵の向こうを眺めていた。コインをもらうでもなく、ただ眺めていた。コインを使った仲間たちがしゅわしゅわした甘い色水を自慢げに持ってきても、振り向くことすらしなかった。

 ただ、遠くを見ていた。彼はなんだかおかしな気分になっていた。というのも、ここ最近の猿山の様子はおかしく思えて仕方がなかったからだ。

 得体の知れない不安を抱えている、そうとしか彼には理解できなかった。気が付くと、視界に妙な物を持った者が映った。

 それは此方を指差して、嗤っているようであった。

 リンイチロウは訳も分からず、走り出した、嘲笑する指に向かって。彼は風のように指をさしている者に飛びかかった。

そうして、奴が手に持った奇妙な物を奪い取って猿山の奥に撤退していった。



 彼が奪い取った物。

その名を青春という。なんでも青春の味を再現したとかいう飲料である。

飲めば思い出やなんやらがほんのり浮かび、酩酊感を味わえるとか、味わえないとか。

 よくあるゲテモノ等と大差はない。

ただ、そんな事はリンイチロウの知るところではないし、缶の開け方など検討もつかなかった。

 見慣れない「缶」という物体を転がしたり、石の上に乗せてみたりした。冷えた缶は心地よく、得体の知れない不安も多少は和らいだような気がした。

リンイチロウは缶を持ち歩くことにした。

 持ち歩いていると、失われてしまった昔の群れが何故かとても懐かしく思えた。愉快な気分になって、跳ね回りたくなってしまった。



 愉快な気分で辺りを歩いていると、柵の向こうにまたも缶を持った者が現れた。

缶を目の前で開けてその中身を飲み干していた姿を見て、リンイチロウは衝撃を受けた。

 同じように缶を開け、一息で「青春」を飲み干した。

 向こうの者がさも美味いものを飲んでいるように振る舞うので、リンイチロウはさぞや甘美な味わいがあるのだろうと期待していた。

 だが、口の中から鼻に抜けるのは生涯、口にした物の中で最も不味い風味であった。

どこまでも苦々しく、加えて酸味が混ざり、鉄の味すらした。

当然である。

 青い春なるものが甘いはずもないのだ。まだ熟す前だからこそ、青いのである。



 リンイチロウは気持ちが少し悪くなったが、なんとか持ちこたえた。

そして梯子状機関の如き己の思考回路に今迄、どのようにして信号が流れていたかを悟った。

 己の腕が自由に動き、足を踏み込むこともできる。


これは一大事件であった。


「地面を踏みしめて、今俺は生きているのだ、手足は自分の思う通りに動く、歩くことも、クルミを割ることも、自在なのだ」


「この世界にようやく私は生まれ出でたのだ」


 リンイチロウは一人感嘆した。空に浮かぶ雲を眺めて、こんな色をしていたのか、などと呆けていた。

 すると、リンイチロウの頭に礫がぶつかる。誰かが投げ入れたコインだ。

 音を立て、跳ねた金属の欠片、それを見てリンイチロウは、得体の知れない不安をもたらしたのはこのコインである、と憤りを覚えた。

 足元に転がったコインを握りしめ、

リンイチロウは自販機の上に登り立ち上がって、叫んだ。


「私達はここにいる!だが向こうの奴らはなんだ!一体何を見ているんだ!この柵の中は奴らにとってのなんなんだ!」


握りしめたコインを掲げてリンイチロウは続ける。


「こんな物に騙されるな!外にはこんなものがあるのだ!」

カラになった「青春」を掲げ、コインを地面に投げつけた。



翌日、猿山から猿はいなくなった。

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