第106話
部活開始時間前、灯湖と晶以外の部員は全員集合して話し合いをしていた。
話題はもちろん、灯湖に関する問題をどうするか。
修が昨日汐莉と話したことは既にメッセージで凪に話しており、彼女も賛同してくれていたので、今はそのことを他の部員たちにも共有している最中だ。
「うん。私もそれがいいと思う。悔しいけど、私たちだけじゃ……。灯湖さんの心を動かせるのは、きっと晶さんだけだと思うから」
修が話終えると、まずは菜々美が頷き、他の部員もそれに続いた。
もしかしたら他の部員の誰かから、もう全国は諦めようという意見が出るかもしれないと思っていたので、修はひとまず安心した。
隣にいる汐莉も修と同様ほっとしたような表情を浮かべている。
「もう、全国出場のため、とか、そういうのとは関係ない……。灯湖さんが苦しんでるのを、どうにか、してあげたい……」
「そうっすね……。どのみちあんな話を聴いてしまった以上、それを放置して一緒にバスケするのはお互いキツいですし……」
涼の低くて小さいけれども気持ちがこもった声に、星羅も同意した。
「でも、そもそも今日二人は来るのかなぁ……。昨日の感じじゃあ、もしかしたら練習に来ないかもしれませんよねぇ……」
優理の言葉に皆一様に唸り声をあげる。
どうやら全員同じ事を思っていたようだ。
「もしそうなっても、どうにかしてまずは大山にコンタクトをとる。幸いこっちには家に突撃するのが得意な子が二人もいるからね」
そう言って凪は修と汐莉の方にチラリと視線を向けた。
「からかわないでくださいよ……」
「そうです! 私たち別に得意なわけでは……!」
二人は揃って抗議した。
凪の退部騒動時の事情を知らない他の部員はポカンとしている。
確かに二人には実績があるが、得意なわけではないし自信もない。
変に期待されてもそれに応えることができるかどうかわからない。
もちろんそういう場面になれば全力を尽くす覚悟が修にはあるが。
「冗談よ。まぁそうなった場合、まずは私が」
「あっ」
凪が話している途中、菜々美が何かに気が付いた。
その視線を追ってみると、晶がやって来るのが目に入る。
灯湖の姿は確認できないが、とりあえず晶は来てくれたようで、修は家まで出向かなくてよくなり安堵した。
「……とりあえず、最初の関門は突破したようね」
近付いてくる晶は、修たちが集まって話をしていることに気づいて少し複雑そうな顔をしていた。
後輩たちがそれぞれ挨拶の言葉をかけると、晶は「おはよ……」とぶっきらぼうに言ってベンチに腰かけた。
凪が他の部員に目配せをし、修たちは小さく頷く。
そして凪はバッシュの紐を結ぶ晶に近づいた。
「おはよう大山。渕上は一緒じゃないの?」
「……灯湖なら今日は体調不良で休みだってさ」
「体調不良?」
「そ。風邪っぽいんだって。灯湖からそう伝えるようにメッセージがきてた」
少なくとも昨日までそんなそぶりはなかったため、恐らく仮病だろう。
しかしもう今日から来ない、つまり退部をする可能性もあったことを考えると、一応は正当な理由をつけて休んだという点には安心した。
「あのあと、渕上と一緒に帰ったの?」
「…………」
「あれから渕上と何か話した?」
「…………」
凪の問いに対して晶はだんまりを決め込んだ。
修の感覚的にも晶は恐らく口が上手くない。
不用意に喋ると余計なことを言ってしまうと思っているのだろうか。
「ねぇ大山、お願いだから……」
「先生、来たよ」
凪の言葉を遮るように、晶はぼそりと呟いた。
入り口の方を見ると、確かに川畑が近付いてくるのが見える。
修は思わず舌打ちをしそうになった。
昨日といい川畑の登場タイミングが悪い。
というより、灯湖や晶がこういうタイミングになるよう時間を計算して体育館に来ているのだろう。
「練習が終わったあと話しましょう」
凪は仕方がないという風に、腰に手を当ててため息混じりに言った。
「……なんの話?」
「わかってるでしょう。渕上のことよ」
晶は黙って俯いた。
その表情はとても苦しそうなものだった。
どうするべきなのか思案しているのだろうか、数秒そのまま間があったあと、晶はゆっくり口を開き呟いた。
「……まぁ、少しなら」
練習後、栄城バスケ部員たちは中庭に集まっていた。
ベンチに晶と凪が並んで座り、他の者はその周りを囲むように立つ。
「まずは、ありがとう。私たちの話を聴く気になってくれて」
「別に……そんなのいいよ」
晶は自分の腿にひじをつき、若干俯き加減に組んだ手の上に顎を乗せた。
練習中もそうだが、やはりずっと元気がない。目も充血していて疲れた表情をしている。
昨晩は灯湖のことを考えて眠れなかったのだろうか。
「でも意外だったわ。渕上が来なくなったらあんたも一緒になって、来ないものだと思ってたから」
「友達が体調不良で休むからって、自分も休もうとはならないでしょ」
「いつまでそう言ってるつもり? 誰も渕上が体調不良だなんて話、信じてないわよ」
「…………」
晶がまた黙ってしまった。
凪の語り口調は基本的には優しいが、時折ズバッとキツいことを言うので、見ているこちらはひやひやしてしまう。
晶の機嫌を損ねてしまったのではないかと心配になったが、晶はふっと短く笑い、
「凪は相変わらずだね……。ま、凪のそういうトコ、嫌いじゃないけど……」
と意外にも良い反応を返した。
凪は以前、灯湖や晶とはそんなに仲良くないといっていた。
それが嘘というわけではないのだろうが、二年以上同じ部で時間を共有していたのだから、それなりに絆はあるようだ。
「……確かに、あたしは灯湖の金魚のフンだから。あたしが行く場所は灯湖の行く場所。灯湖のいないとこにはあたしはいない。そう思われても仕方がないか」
晶は自虐的に笑って言った。
「今日、ほんとはあたしも休んじゃおうかなって思った。でも、あたしまでそうしてしまったら、もう二人とも部には戻れなくなる気がしてさ……。あたしが残っていれば、まだ灯湖にも居場所はある。あたしはそれを守らなきゃって思ったんだ……」
修は晶のこの判断を英断だと思った。
現に今晶が来てくれていたおかげで、まだ灯湖との繋がりができ、希望も持てる。
「で、凪たちはあたしにどうして欲しいの?」
「その前に一つ確認いいかしら。あんた、私たちが全国出場を目指していることについてどう思ってるの? できるできないとかじゃなくて、あんたにその気があるかどうか」
凪の問いに晶は少し驚いた顔をした後、複雑な表情になった。
言おうか言うまいか悩んでいるようにも見える。
そして少し考えた後、決心したように口を開いた。
「あたしは、そもそもバスケ部にいるのは灯湖と一緒にいるためだよ。別にバスケが好きなわけでもないし、もともと運動だって苦手。だから、あたし個人としては正直それに乗っかるつもりはない。ただ……。もしも灯湖が皆と一緒に頑張りたいって言うなら、あたしはそれをサポートしてあげたいと思う……。ごめんね、灯湖灯湖って気持ち悪いでしょ」
どうぞ笑ってくれと言わんばかりに、晶は後輩たちに向かって道化的に笑った。
確かに晶の行動は基本的に灯湖に依存しているので、人によっては快く思わない者もいるだろう。
しかし灯湖と晶の仲の良さや灯湖の現状、晶の想いを知っている修たちの中に、晶を笑う者などいなかった。
「そんなことないです! 晶先輩が灯湖先輩のこと、すっごく大事なんだって伝わってきました……!」
汐莉が激しく首を横に振った。
「物事に対する姿勢なんてものは人それぞれよ。だから動機なんてそれで充分よ。私たちはあんたのことを否定したりしないわ」
続けて凪も晶を安心させるように優しく言った。
二人の言葉を聴いた晶は少しだけ目が潤んだように見えた。
「本題に戻るわね。私たちが、あんたに何をしてほしいか。渕上を説得して欲しいの。私たちと一緒に全国を目指そうって。渕上のことを一番知ってて、一番あの子のことを考えているあんただからこそのお願いよ」
すると晶がまた暗い顔で俯いた。
「でも、今の灯湖には何を言ったって……。トラウマのこともあるし、自分でも本気にはなれないってはっきり言ってたし……」
晶の声からはためらいが感じられる。
きっと何かをすべきだということは理解しているのだろうが、晶の内にある何かが二の足を踏ませているのだ。
「もちろんそれに関しても、俺たちにできることがあればなんでもやります。俺たちは、渕上先輩にただ一緒にやってほしいってだけじゃなくて、できるだけ心の傷もなんとかした上で楽しくやってほしいとも思ってるんです」
「目標のために灯湖先輩に戻ってきてほしいって面があることは否定しません。でもそれ以上に、灯湖先輩にバスケで苦しい思いをしてほしくないんです!」
修と汐莉はなんとか晶の気持ちを奮いたたせようと語気を強めて言った。
しかし晶は自信なさげにぽつりと呟く。
「あたしには無理だよ……」
晶は今にも泣きそうなくしゃっとした表情になっていた。
「そもそもあたしはずっと灯湖と一緒にいたのに、親友がずっと苦しんでたことにすら気づかなかった……。情けないよ……。あたしだって、灯湖には楽しくバスケができるようになってほしい……。昨日だって一晩中そのことを考えてた。灯湖のために、あたしに何ができるのか……。でも、一晩中考えて出た案は『灯湖の居場所を守る』だって」
目を伏せて、苦しそうに浅い呼吸を繰り返しながら、晶は自分の不甲斐なさを吐露していく。
「結局あたしは昔のままだ。気弱で頭も悪くて、消極的にしか動けない……! 今だって、灯湖に何を言えばいいのかわからない! 何かを言って、灯湖を傷つけてしまうのが……灯湖に嫌われるのが怖い……!」
とうとう晶の目からは涙がこぼれ、激しい嗚咽が始まった。
部員たちはそんな晶の姿を目の当たりにし、誰も言葉を発することができなかった。
修は晶が以前の自分に重なって見えた。
好きだという思いがあるのに、自信がなくて、自分を責めて、その好きなものに触れるのが怖い。
今の晶の気持ちが痛いほどにわかる。
灯湖にしたってそうだ。
二人とも好きなものがあって、それをしっかり掴んでおきたいのに、心の傷や己の弱さのせいでそれができない。
バスケが大好きだったのに、ずっと触れることもできなかった自分に似ている。
修は自分の胸がきゅっと締め付けられるのを感じた。
「無理なんかじゃないです」
気づけば修の口からは力強い言葉が出てきていた。
晶はゆっくり顔を上げ、戸惑いを含んだ目で修を見つめる。
「大山先輩は、今こうやって渕上先輩のために苦しんで、泣いているじゃないですか。それだけ想っている人のために、できることがないはずない。諦めないで、勇気を出してみませんか?」
「勇気って……簡単に言うなよ……! それができないからこんなことになってるのに……!」
晶は既に自分自身を最低まで卑下してしまっているのか、聞く耳持たずといった様子で修の発言を否定する。
だが晶には灯湖のために奮い立ってもらわなければいけない。
そうなってもらうために、自分が何を伝えればいいのか。
修は思いを巡らせながら言葉を紡いでいく。
「実は俺も、この前まで精神的な問題でバスケに関わること自体が苦痛でした。ボールを見るだけで頭が痛くなって、試合を見たりなんかしてしまったら吐いてしまうほどです。でもある人のおかげで変われました。俺が悩んでたことは、実際はとんでもなく馬鹿馬鹿しいことなんだって思えるようになりました。そして、今じゃバスケ部のコーチ兼マネージャー。最近は現役復帰のためのトレーニングもしてます。要するに、トラウマなんてものは案外簡単に解消できるものなんです」
晶は黙って修の話を聴いてくれている。
事情を知っている汐莉と凪以外の部員たちも、修の突然のカミングアウトに聞き入っていた。
「そしてそのために一番効く力を持っているのは、確実に大山先輩です。逆に言えば、大山先輩が諦めたら、渕上先輩はずっと苦しみに囚われたままだ」
晶が勇気を出して動きさえすれば、きっと灯湖は自由になれる。
短い間しか二人のことを見ていないが、それでも二人の間には確かな絆があるということはわかる。
恐らく灯湖も誰かが、晶が自分を救ってくれるのを待っているのではないか。
「大山先輩は、それでもいいなんて思っていないでしょう? 俺も、みんなも、全力で渕上先輩のために協力します。みんなで頑張りましょうよ」
修は優しく微笑んで問いかけた。
あとは晶が奮起してくれるのを期待するしかない。
すると晶の体が小さく震えだした。そして両手をぎゅっと握り締める。
「…………ゃだ……。嫌だ、そんなのは……。灯湖には、大好きなバスケを、笑ってしてほしい」
晶の目にはもう涙はなかった。
眉を寄せ決意に満ちた表情で修を見据える。
「よく言ったわ! それでこそ副キャプテン!」
凪が讃えるように豪快に笑った。
他の部員にも笑顔が広がる。
「でも、どうすればいいの? 決心はしたけど、灯湖のトラウマをどうにかすることなんてできるのかな……?」
晶がまたもや不安そうな顔をした。
しかしすぐに凪が頼もしげに言う。
「それに関してはちょっと作戦を思い付いたわ。皆聴いて」
そして凪はその作戦を皆に伝えた。
「そ、それで上手くいきますかね……?」
「結構、強引……」
菜々美と涼は若干苦笑いを浮かべながら言った。
優理と星羅も不安そうな表情を浮かべている。
「こういうのは荒療治が一番効くのよ」
確かにそうだなと修は思い、汐莉の方をチラリと見た。
汐莉も何故自分に視線を向けられたのかわかったようで、えへへと笑って頭を掻いていた。
「でも、渕上を現場に引っ張ってこれるかってとこと、根本的な解決のきっかけにできるかはあんたにかかってるわ。しっかり想いを伝えるのよ。大丈夫?」
念押しするように凪は晶へと鋭い視線を向ける。
しかし晶は恐れることなくしっかりと頷いた。
「うん。大丈夫。頑張るよ」
その言葉に凪も満足そうに笑う。
「でも、その作戦で行くなら今日中に動かないとダメですよね? どうしますか、この後押し掛けますか?」
「いや、多分灯湖は家から出てこないと思う」
「じゃあどうしましょう……。家の近くで待ち伏せして、出てくるのを待つ……とか?」
菜々美がうーんと唸りながら腕を組んで考えていると、晶が思い出したように言った。
「待って、今日なら……きっと灯湖はあそこにいるはず……」
そして皆の顔をぐるりと一周見渡して言う。
「みんな、今晩集まれる?」
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