第107話

 夜の9時過ぎ、灯湖を除いた栄城バスケ部員たちは晶が指定した場所に集まっていた。

 さすがにこの時間は空も真っ暗だが、街灯が何本も立っているおかげでそれなりに見通しはいい。


「ここに渕上がいるの?」

「うん……多分だけど」


 修たちがやってきたのは栄城高校がある市の市立体育館だ。

 一年生大会があった施設や全国総体を見に行った施設とは違い、複合的なスポーツ施設ではなく体育館のみであるが、それでもそこそこ大きな規模である。


「行こっか」


 晶を先頭に、修たちは体育館に入る。

 薄暗いエントランスには受付があり、事務所と思わしき部屋にも明かりは点いているが、晶はそれらをスルーして行った。


「こっち」


 晶はアリーナには入らずに階段を上って行き扉を開けた。

 修たちの眼前にはバスケコート二面分あるアリーナと、それを囲むように並ぶスタンド席が広がる。


「向こう側、見て」


 晶が入り口とは反対側にあるコートを指差した。

 言われるがまま指先の方に視線を向けると、十数人の男女が楽しそうにバスケをしているのが見えた。


 遠巻きなのではっきりとはわからないが、服装や体格から察するに、メンバーのほとんどは大人であろう。

 そしてその中に見慣れた姿があった。


 長くつややかな黒髪をポニーテールに結い、それを激しく揺らしながら走る姿は、他のメンバーと遜色ない程大人びてはいる。

 しかし彼女は間違いなく栄城高校バスケ部キャプテンである渕上灯湖だった。


 晶が言うには、今あそこでバスケをしているのは社会人サークルのメンバーらしい。

 灯湖が何かのツテで見つけ出し、晶と二人で一緒に練習させてもらえないかと頼みに行ったら快く受け入れてくれたのだという。


「あたしは最近あんまり行かなくなったけど、灯湖は一人でもちょくちょく行ってたみたいだから、もしかしたらいるかもって思ったんだ。ビンゴだったね」

「大人に混じってやるなんて、すごいですねぇ~……」


 優理がほぅっと息を吐いて、尊敬の眼差しで灯湖を見つめた。

 確かに高校生の身でありながら社会人サークルに一人混じって練習するなんて、ついこの前まで中学生だった修にとっても考えられないことだった。


「あのサークル、けっこう上手い人何人かいるんだよね。それに、男女混合でやってるから、灯湖は男の人とマッチアップすることが多いんだ。それがすごく練習になるらしい」

「確かに、パッと見ただけでもレベルが高い人がちらほらいるわね。特にあのヒゲの人は別格ね」


 凪の言う通り、濃いあごひげをたくわえた男性は、シュートもディフェンスも、あらゆる動きが熟練者のそれだと一目でわかった。

 恐らく学生時代相当やり込んできたのだろう。


 そんなことを考えていると、灯湖がボールを持ち、そのマークにひげの男性がついた。

 そしてディフェンスの体勢をとった男性は誘うように指を上向きにして手招きをした。


 その瞬間、灯湖は鋭いドリブルで男性の右側を抜こうとした。

 しかしそれは読まれていたようで、素早い反応でステップを踏んだ男性に正面で止められてしまった。


 ボールはとられなかったので、灯湖はドリブルをしながらバックステップで距離をとる。

 周りのメンバーは「もう一回!」「チャレンジチャレンジ!」と叫び、二人の一対一ワンオンワンを囃し立てた。


 再び二人が対峙する。

 灯湖は左右に細かいドリブルを繰り返し、隙を探る。

 と思った瞬間またもや灯湖は右側から仕掛けた。

 そして自分の股下にボールを通レッグスルーし、今度は左手でドライブ。


 男性は一瞬反応が遅れたが抜かれることはなく灯湖についていく。

 今度は灯湖が急に前進を止め、体の前で大きく左手から右手にドリブルした。


 進行方向に体重が乗っていた男性はなんとか踏ん張り灯湖との距離を詰めようとした。

 しかし灯湖はその隙を見逃さなかった。


 再び右手から左手にフロントチェンジして、腰が上がった男性の脇をかすめるように抜き去り、鮮やかなレイアップシュートを決めた。


 男性が悔しそうな声を上げて倒れこみ、他のメンバーは笑って拍手をする。

 修も思わず拍手をしそうになった。

 それくらい今の動きは素晴らしかった。


「凪先輩、今の止められますか?」


 普段は見せない灯湖のテクニックに、修は若干興奮気味になって隣にいた凪に尋ねてみた。

 凪はうーんと唸り、


「そりゃやってみなきゃわかんないけど……自信ないわね。それくらい今のクロスオーバーはキレが凄まじいわ」


 と感心したように言った。


「というか薄々勘づいてはいたんだけど、見てて確信したわ。あの子、左利きでしょ」

「……正解」


 凪の指摘に晶が頷くと、修たち他のメンバーは一様に声を上げて驚いた。

 ちょうどいいタイミングで灯湖が3Pシュートを撃つ。

 普段は両手で撃っていたが、そのシュートは片手、しかも左のワンハンドシュートだった。


「やっぱり灯湖さん、部活では手を抜いてたんでしょうか……」


 それを見て菜々美が落ち込んだ様子で呟いた。

 灯湖が上手いというのはわかっていたが、あそこまでのプレーを部活で見せたことはない。

 しかも利き手を偽っている。


 それらの事実を知れば、そう思ってしまうのは自然なことだった。

 それに灯湖自身、本気でバスケはできないと言っていた。それなのにここでは修たちに見せた以上の力を発揮している。


「渕上先輩にとって、部活でやるバスケよりも、ここでやるバスケの方が本気でやれて楽しいっていうなら……もしかして俺たちがやろうとしていることは……」


 灯湖のためにならないのではないだろうか。

 修たちは思い違いをしていたのかもしれない。

 そんな考えが頭をよぎったときだった。


「それは違うと思う」


 修の言葉をはっきりとした口調で晶が否定した。


「灯湖は確かに、ここでやる時は実力を隠さずにプレーしてる。でも、それでも灯湖はいつも、どこか物足りなさそうな顔をしてた。気持ちの部分では、ここでも本気になりきれてないんだ」


 晶は苦しそうに顔を歪めた。

 灯湖のそういった気持ちを知っていながら、今まで何もしてこなかった自分に対して責任を感じているのだろうか。


「灯湖さんは、何を求めてるのかな……」


 汐莉がぽつりと呟いた。

 すると真剣な眼差しで灯湖を見つめ続けていた凪が、その視線を逸らさずに


「そんなの決まってる。渕上は本当の意味での『仲間』を欲しているのよ」


 と言い切った。


「本当の意味での仲間?」

「ってどういう……?」


 汐莉と修が尋ねると、凪は少しだけ俯いた。


「渕上は中学時代に仲間に裏切られてから、ずっと孤独のままなのよ。だけどやっぱりバスケが好きな気持ちとか、どこか諦めきれない感情を抱いて、一縷の希望を持ってバスケ部に所属していたんじゃないかしら。いつか本当の仲間と、本気でバスケができるようになるんじゃないかって。そうでなきゃ、あんなつらい経験をしたのにわざわざ部活でバスケをしたりしないわ」

「……どうしてわかったんすか?」


 あまりに自信満々に答える凪に、星羅が怪訝な顔で尋ねる。


「わかったわけじゃないわ。ただの勘よ。……それに、私が同じ立場ならそう考えるかなって」


 ただの勘とは言ったものの、恐らくあらゆる推測に基づいた勘なのであろう。

 修は凪の言葉に説得力を感じた。


 すると晶が渇いた声で笑う。


「あたしなんかより、凪の方がよっぽど灯湖のことを理解できてるよ……」


 自分こそが灯湖の一番の理解者だと思い込んでいたことが相当堪えているのか、晶の表情は見ていてとても痛々しいものだった。


「近くにいればいるほどわからなくなることだってあるわ」


 凪はきっぱりと言ったが、その言葉にはしっかりとした優しさも感じられた。


「どのみち作戦は変わらない。このあと渕上と話すわよ」


 灯湖がまたシュートを決めた。

 修たちはそれを見ながら、各々決意を持って頷いた。

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