第100話
「渕上がパスを出さない?」
「はい。決まってそのパターンのときだけは一度もパスをしないんです」
他の部員がすべて帰った後、ステージ横で修は凪に事情を説明していた。修は階段に腰かけているが、凪はその傍らに立ったままだ。
修は灯湖と晶の行動に納得がいかず、凪に対してもムスッとした表情になっていたが、凪は嫌な顔一つせずに親身になって聴いてくれていた。
「なるほど、言われてみれば確かにそんな気もするわね……」
凪は腕を組み宙に視線を漂わせながら言った。
「前にそのことを指摘したんですが、渕上先輩は今度から気を付けるって言いました。それなのに、まったく改善する素振りを見せなくて……」
「それで渕上に詰め寄ったわけね」
「詰め寄ったっていうか……。何か意図があるなら確認したかっただけです」
本当にそれだけのつもりだった。
しかし、灯湖の一言で完全に修の怒りに火が着いてしまったのだ。
「渕上先輩は、他の人にパスするよりも自分で撃った方が確率が高いんだから良いだろって。そう言ったんです」
「本当に? 渕上がそう言ったの?」
凪が信じられないというような表情になったが、そこに修は引っ掛かりを感じた。
「はい。間違いありません。何かおかしいですか?」
「ええ、まぁちょっと……意外だったかしらね」
「……? 意外、ですか?」
「あんたはこの数ヶ月しか渕上のことを見てないし、最初から印象良くなかっただろうから、そうは思えないかもしれないけど、私にはあの子がそんなこと言ったなんて信じられないわ。確かにあまりやる気がないように感じられるかもしれないけど、あの子がバスケやチームに対して侮辱的な発言をしたとこなんて、今まで一度も見たことないもの」
きっぱりと言い放つ凪に、修は反論することができなかった。
二年以上同じ部活で時間を共にしてきた凪が言うのだから、それは本当のことなのだろう。
「でも、それじゃあなんであんなことを……?」
「うーん……。あんた、余計なこと言ってないわよね?」
「言ってませんよ! ……少なくともその発言の前までは」
確かにそうだったはずだ。
その後は頭に血がのぼってかなり激しい口調で発言してしまったが、その前までは灯湖の気に障るようなことは言っていないと思われる。
「それを信じるならば……指摘された内容自体が渕上にとっての引き金だったのかもしれないわね……」
「内容自体が?」
あくまで推測よ、と前置きをしてから凪は自分の推理を語り出した。
「渕上の発言をそのまま真実として捉えるとおかしいのよ。だって、左サイドからの攻撃や右サイドでも自分が0度からドライブをしかけたときには、普通に味方にパスを出してるじゃない?」
修はハッとした。
確かに凪の言うとおり、例のシチュエーション以外では灯湖は普通にパスを出している。
「自分が撃った方が良いと思ってるなら、パスなんか出さないでしょう? よほど右サイドでトップに近い位置からのオフェンスに自信があるなら話は別だけど、そういうわけじゃないのよね?」
「はい、データ的にはそうなってます」
修の見た感じでも、ノートにとってあるデータによるところでも、灯湖は別段どこから攻めても得意不得意といったものはないように思える。
「じゃあ何か理由があるんじゃないかと思わない? そのシチュエーションで、そこにパスを出さない、或いは
「出せない理由……? それって一体……」
修はすがるように凪に問いかけたが、凪は肩をすくめて笑った。
「そこまではわからないわよ。それに、さっきも言ったけどあくまで推測」
「そっか……そうですよね……」
凪の返答に修は思わず肩を落としてしまった。
凪があまりにも頼もしくすらすら見解を述べるものだから、もしかすると既に答えを出しているのではないかと期待していたからだ。
「でも、そう思うのに根拠がないこともないわ。大山が最後に言ってた言葉を覚えてる?」
「大山先輩が……? 確か、『灯湖の気持ちも知らないくせに』……でしたっけ?」
そう言っていたときの晶の表情を思い出す。
今にも泣き出してしまいそうな、そんな表情だった。
改めて、泣きたいのはこっちだと修は思った。
「その言葉から考えるに、渕上にはなんらかの理由があって、大山はそれがどういうものなのか知っている」
事件の真相に辿り着くためのヒントを得た探偵のように、凪は凛とした表情で言った。
確かに晶の発言からはそういうように捉えることができる。修はこの冷静で頭のよく回る先輩に感嘆した。
「すごいです凪先輩……」
「別にすごくないわよ。単純にあんたがそれに気付かないくらい気持ちが乱れてただけ。どう? 少しは落ち着いた?」
凪が優しく笑って尋ねてきた。
凪と話している間に、修の怒りは先程よりもかなり収まってきていたようだ。
「……すみませんでした」
「別に謝るようなことじゃないわ。あんたが怒ったのも、それだけ本気だからでしょ?」
「そうですね……。俺は、本気です。でも、どうしたらいいのかわかりません。渕上先輩と大山先輩、時間が経てば、なんて浅はかに考えていましたけど、こんな風に二人と喧嘩してしまって……。こんなんじゃ、あの二人を本気にさせるなんて無理なんじゃないかって思ってしまうんです……」
修は膝を抱えて顔をうずめた。
恐らく今回のことで修は、灯湖と晶の二人を完全に敵に回してしまっただろう。
自分の怒りをコントロールできなかったことに自責の念が込み上げてくる。
「じゃあどうするの? 二人のことは諦めて、それ以外のメンバーで頑張る?」
そんな修に凪が問いかけてきた。
その声色は厳しいものではなく、優しいものだった。
修の頭には一瞬その選択肢も浮かんでくる。
それくらい二人との間には溝があり、今回のことでそれが更に深く広くなってしまったのではないかと思わずにはいられなかった。
「永瀬、よく聴いて。上を目指すなら、渕上と大山の力は絶対に必要よ。二人を欠いてしまえば、もう気持ちだけではどうにもならないわ」
「…………」
もちろんそれは修にもわかっていた。
全国出場という目標は、灯湖と晶がいて、全員が必死に努力しても達成するのが難しい程の厳しいものである。
つまり二人が離脱、或いは今までのような淡々とした練習をするだけを認めることは、目標達成不可能になることと同義なのだ。
「明日二人とちゃんと話してみましょう。もちろん私も一緒に。ねぇ、永瀬、顔を上げて?」
修は恐る恐る顔を上げると、凪が優しい表情で自分を見つめていた。
「バスケはチームスポーツよ。そしてこれはあんたたち三人の問題じゃなくて、チームの問題よ。私も宮井もいるし、涼や菜々美だって力になってくれるわ。だから、皆で頑張りましょう?」
凪の言葉はとても温かく、修はトゲトゲしていた自分の心が柔らかく解きほぐされていくのを感じた。
怒りで忘れてしまっていたが、別に一人でやろうとする必要はなかった。既に頼れる仲間は周りにいる。
「わかりました。明日、話してみることにします。その時は、一緒にお願いします」
「もちろんよ」
修がぎこちないながらも笑みを作って言うと、凪は頼もしく笑った。
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