第98話

 今日は栄城体育館にて笹西との合同練習の日だ。

 栄城一年四人で練習の準備をしていると、練習着に着替えた笹西一年生の五人が固まってやって来た。


「あれ、永瀬くん、なんか動きがおかしくない?」


 挨拶もそこそこに、修がタイマーを倉庫から移動していると、陽子が怪訝な顔で尋ねてきた。


「そ、そう? そんなことないと思うけど……」

「永瀬くん、今全身筋肉痛らしいっすよ~」

「おい!」


 修がしらばっくれようとしたのもむなしく、少し離れた場所でベンチを用意していた星羅が真実を告げてしまった。

 修は星羅を軽く睨んだが、彼女はいたずらっ子のように笑って受け流した。


「全身筋肉痛? トレーニングでも始めたの?」

「ん……まぁそんなとこ」


 すると話を聞いていためぐみが近くまでやって来た。


「何? 永瀬くん筋肉痛なんだ。特にどこが痛むの?」

「うーん、胸のこの辺りかな」


 めぐみの問いに修は胸から腕の付け根あたりを指差して答えると、彼女はニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。

 修はそれを見てまずいと思ったが時既に遅し。

 めぐみは右手の人差し指で修の胸をすばやい動きでつついた。


「どぅえ!?」


 修は突然の痛みに、自分でもなんと言ったのかわからないような声を上げて身をよじらせた。

 しかも反射的に動いたせいでつつかれた胸以外の部分にも痛みが走り、修は身動きがとれなくなってしまった。


「いひひひひ!!」


 めぐみの笑い声に修はイラッとしたが、体を不用意に動かすとまた痛みが走ってしまうため、抗議の視線を向けるだけに留めた。


「あははははあ痛っ!」


 めぐみはそれでもお腹を抱えて笑っていたが、見かねた陽子が平手で後頭部をはたいて黙らせた。


「ごめんね永瀬くん……。めぐみ、謝って」

「ごめんごめん! 永瀬くんが全身プルプルさせながらゆっくり動くもんだから、つい……ぷっ」


 後頭部をさすりながら謝るめぐみの様子からは、反省している様子は微塵も感じられなかった。


「今回は許すけど、次やったらマジで許さないからな」


 修はため息をついてから再度めぐみを睨んだ。


「え~、どうしよっかなぁ~」

「めぐみ」

「嘘ですすみませんもうやらないのでその振り上げた手を下ろしていただけませんか?」


 陽子がめぐみの首根っこを掴み、修のそばから離して行ってくれたおかげで危機は去った。

 しかしめぐみに言われたように、筋肉痛のせいで体は痙攣しているし、歩く、物を持つなどといった通常の動作すら普段よりもゆっくりでしか行えない。

 それをいじられたり、暖かい目で見られたりするととても恥ずかしかった。


 修は気を取り直してタイマーを所定の位置へと持っていき、コードをつなげた。


「ねぇ」

「うわっ」


 突然背後から声をかけられて反射的に振り向くと、また全身に痛みが走った。

 早急に慣れていかないと毎回こんな羽目になるなと思いつつ、声がした方を見るとそこには汐莉が立っていた。

 自分の仕事はあらかた終わったようだ。


「昨日はドリブルの練習法教えてくれてありがとう。あれ、けっこう難しいね」

「あぁ、どういたしまして。慣れるまではなかなか大変でしょ? でもかなり効率良い方法だと思うんだよね。上手くできた?」

「右手はドリブルもボールキャッチもそれなりにできるんだけど、左手の方がちょっと……。やっぱり利き手じゃない方は感覚が悪いね」


 汐莉ははにかみながら左手を開いたり閉じたりした。


「利き手と逆は普段あんまり使わないからね。でもバスケでは左手を使うシーンっていっぱいあるから、鍛えておいて損はないよ」

「うん。今後も続けてみるよ。……ところで、体は大丈夫? トレーニング行ってきたんだってね」

「あぁ、ただの筋肉痛だから大丈夫だよ。ただ、あまりにも久しぶりなもんだから体がびっくりしてるみたい」


修が力なく笑うと汐莉はほっとした表情になった。


「良かった。これから毎日トレーニング?」

「ううん、さすがに始めたばかりだから週2から週3の頻度でいいって」

「そうなんだ~」


 そう返した汐莉の表情は何やらとてもご機嫌に見えた。


「なんか嬉しそうだね?」

「え? うん、そりゃ嬉しいよ! 永瀬くんが復帰に向かってどんどん進んでるんだもん!」


 汐莉がひまわりのような笑顔で両こぶしを胸の前に掲げたので、修は自分の胸が打たれたのを感じた。

 他人のことを自分のことのように喜ぶことができる汐莉は、本当に良い子だと修は思った。


「ありがとう。でも、ちょっとやっただけでここまで筋肉痛になるなんて、正直先が思いやられるけどね」

「ううん、それはしょうがないよ。これからこれから!」


 汐莉が優しく微笑むので、修もつられて笑った。

 元々へこたれてなどいなかったが、汐莉が笑ってくれればもっと頑張れるような気がした。






 合同練習のシメである試合形式ゲームが終わり、選手たちはクールダウンのストレッチに入った。

 そんな中、修はノートを見返しながらあることを考えていた。

 それは灯湖のとあるプレーのことだ。


(渕上先輩は元々ゴールに向かってドライブしたあと、ほとんどパスは出さずに自分でシュートを撃つ。でも、でパスを出したところはまったく見たことがないぞ……)


 この場合というのは灯湖が右サイドの高い位置からドライブを仕掛けた際に、同じく右サイドの0度のポジションの味方がフリーになっているときだ。


 もちろんそこにパスを出すのが最適解ではない。

 しかし無理やり一人で攻めてダブルチームを食らい、ボールを奪われるということが多々あるので、灯湖の頭に選択肢としてあるのかどうかを確認する必要がある、と修は思ったのだ。


 ストレッチ後、栄城笹西両顧問の話が終わり解散となった。

 これから片付けに入るが、今のうちに話しておこうと思い修は灯湖に駆け寄った。


「渕上先輩、ちょっといいですか?」

「? どうした?」

「ちょっとしたことなんですけど、気になることがあって。渕上先輩、右サイドからゴールに向かってドライブした時に、0度でフリーの人がいてもパスしないじゃないですか。あれって何か意図があるんですか?」


 修としてはただの確認だった。何か意図があるなら聴いておきたいし、そうでないならもう少しパスの意識を持つよう提案するだけだ。


 しかし尋ねられた灯湖は動きを止めて少し目を見開いた。

 険しい表情をしているようにも見える。


 灯湖の反応の意味がわからず、修は困惑してしまった。

 灯湖が口を開かないので、修が再び声をかけようとしたとき。


「永瀬っ」


 声がした方を見るとそこには晶がいた。

 何やら晶の様子もおかしい。焦っているような感じで、キョロキョロと動く視線は修と灯湖を順番に映しているようだ。


「? どうしたんですか……?」

「いや、あのー……」


 呼び掛けておいて、晶はその次の言葉が出ないようだった。

 この様子だと、まるで修が灯湖に話しかけているのを阻止したかったかのように思える。


「すまない」


 すると今度は灯湖が話しだした。

 そちらを見ると灯湖の顔からは先ほどまでの険しい表情は消え、いつもの余裕のある笑みが浮かんでいた。


「いや、自分で仕掛けるとゴールばかり見てしまって、視野が狭まってしまっていけないな。もう少し周りを見えるよう意識してみるよ」

「そ、そうですね。攻めのパターンは多い方がディフェンスも守り方を絞りにくいですし……」


 まるで先程の表情は見間違いだったのではと思うほど、普段通りに返されて修は少し混乱した。


「話はそれだけかな? さぁ、早く片付けてしまおう」

「あ、はい……」


 灯湖が修から離れていくと、晶が小走りでそれを追いかけていった。


(渕上先輩も大山先輩も、なんか様子がおかしかったような……。俺、変なこと言ったか……?)


 修は自身の発言を思い返してみたが、別におかしなことは言っていない。

 修の頭には、疑問とともに灯湖の険しい表情と晶の切羽詰まった表情が残った。

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