第78話
日は変わって金曜日、今日は一学期の最終日だ。
終業式も終わり、ぞろぞろと教室に戻っていく生徒たちは、明日からいよいよ夏休みに入るという興奮で浮き足立っていた。
生徒たちの顔には笑顔が溢れ、この40日間の休暇をどれだけ有意義に使えるかを競うように、自分の計画を披露し合っている。
そんな様子をなんとなく眺めながら、教室へと歩を進める修の肩を誰かがとんとんと軽く叩いた。
振り返ってみるとそこにいたのは友人の平田であった。
「修、ちょっといい? あ、歩きながらで」
「? いいけど」
平田が隣に肩を並べる。
その表情はいつもの雰囲気とは少し違う、何やらばつの悪そうな顔に見えた。
「修、放課後ちょっと時間あるか?」
「放課後は部活だよ」
「いや、ちょっとだけでいいんだ。部活は昼飯食ってからだろ? その間にさ」
「まぁそれなら大丈夫だけど。何? なんか大事な話?」
「そう……だな。大事な話だ。ま、話があるのは俺じゃないんだけど」
「え? じゃあ誰だよ?」
「寺島ってわかるか? サッカー部の同級生なんだけど。B組の」
「あぁ……」
修はその名前を聴いてすぐに顔が浮かび上がった。
本来修は他クラスの人間の名前や顔など覚えていない。
しかし寺島は平田と一緒にいた時に会ったことがある上、自分に敵意にも似た視線を向けてきたことが印象深かったため、修の記憶にもしっかりと残っていた。
「知ってたのか。なら話は速い」
「いや、マジでただ知ってるだけレベルだよ。てか、あいつが俺になんの用だよ。あんまり良い感情抱いてないんだけど」
修にとってはなんの謂れもなく因縁をつけられているという思いがあるので、できれば関わりたくないというのが本音だった。
「すまん、それは俺からは言えない。本人から直接聴いてほしい」
「えぇ……? めんどくさいことにならないだろうな……」
「うーん、ある意味めんどくさいかもしれない」
平田が苦笑いを浮かべるので修は一層不安になってしまった。
「どういうことだよ?」
「大丈夫大丈夫! 別に暴力沙汰になるようなことではないから! ……多分」
「多分!?」
平田の頼りない言葉に修は思わず声を荒げる。
近くにいた生徒たちが一斉にこちらを見たが、一瞬でまた自分たちの会話に戻っていった。
「ちゃんと俺が間に立つから大丈夫だって。だから頼む!」
平田が両手を合わせて頭を下げた。
平田がここまでするということは、寺島からも熱心にお願いされたのだろう。
修は本音を言えば断りたかったが、平田には恩があるので無下にはできない。
修は深くため息をついて返答を決めた。
「わかったよ」
「マジか! サンキュー! じゃあ放課後すぐ、飯食う前に頼むな!」
平田が安堵の表情を浮かべて修の肩を今度は少し強めに叩いた。
しかし修の心は不安でいっぱいだ。一体どういう話があるのだろうか。
担任からの夏休みの注意点の話や、宿題等の配布が終わりいよいよ放課となった。
クラスメイトたちは授業からの解放と長期休暇に対する期待によってか、明らかにいつもの放課後以上に騒がしい。
しかし修は正反対に、この後のイベントのことを考えて少し憂鬱な気分だった。
平田が寺島を連れて来ると言うので、修は先に待ち合わせ場所である中庭の方へ向かった。
人通りは少なくはないが、隅の方へ寄れば話が他の人に聞こえることはないだろう。
端から見れば単に友人が集まって話しているようにしか見えない。
修は再び深いため息をついた。
心の準備をしようにも話の内容がわからないためどうしようもない。
拍子抜けするような他愛もない話であることを祈りながら二人を待っていると、校舎の方から当人たちが向かって来るのが見えた。
「お待たせ」
「おう」
「よう、悪いな。わざわざ来てもらって……」
寺島の方を見てみるとどうやら緊張しているのか少し顔が強張っている。
修のこれまでの寺島に対する印象は、いつも睨んでくるムカつくやつ、といったものだった。
しかし今日の彼からは敵意を感じられないし、意外にも気遣いの言葉を言えるようだったので、少し見方を改めてもいいかもしれないと思った。
「いや、大丈夫。それで、話って何?」
「あぁ、そのことなんだけど……」
いよいよどういった話なのかを聴くことができる。
修は少しドキドキしながら寺島の言うことに耳を澄ました。
「…………」
「…………」
「…………」
しかし寺島は一向に口を開かない。いや、正確には何度か口を小さく開きはするのだが、その隙間から声が発せられることはなかった。
修は状況が飲み込めず、助けを求めるように平田の方へ視線を送った。
それに気付いた平田は一度寺島の顔を覗き込んだが、「こりゃダメだ」と言うように目を細めた。
「寺島。別にこれから愛の告白をするわけでもあるまいし、もっと気楽にいこうぜ」
「い、いや、確かにそうだけどよ……。永瀬の返事によっては同じようなことだろ……?」
「まぁそれもそうだな」
平田と寺島のやりとりの意味がわからず、修の頭にも顔にも困惑が広がる。
「でも俺たちも修もこの後部活がある。あまり悠長にはしてられないぜ」
「そ、そうだよな……。悪い、永瀬。今からちゃんと話すから」
平田に促され、寺島は深呼吸をしたあと修を真っ直ぐ見据えた。
その目は意を決したように力の入ったものだったので、修は一瞬気圧されてしまう。
「永瀬、単刀直入に訊く」
「お、おう」
無意識に修の体にも力が入る。
身構えて寺島の言葉の続きを待った。
「お前と宮井汐莉はどういう関係だ?」
「…………は?」
予期していなかった質問に修は面食らってしまった。
「どういう関係って……同じ部活のチームメイトというか、まぁ、友達……?」
修は何故か自信なさげに言ってしまった。
確か汐莉も自分のことを友達だと言ってくれていたような気がするし、何も知らない寺島に「バスケの師匠と弟子だ」と言っても余計に話をややこしくするだけだ。
「本当に本当か?」
寺島は表情を緩めずに念押ししてきた。
「本当だよ」
「神に誓って本当か?」
「しつこいな」
修は寺島の態度にイラついて顔をしかめた。
「本当だって言ってんだろ?」
「修、ごめん、落ち着いてくれ」
二人の間の雰囲気が険悪になりそうになったことを察知して、平田が間に入って修をなだめた。
「寺島は修が宮井さんと付き合ってるんじゃないかって思ってるんだよ。実際俺だってそう思うよ。学校でもめちゃくちゃ仲良さげに喋ってるしさ」
「だから付き合ってないって前にも言ったろ?」
「俺もそう言ったけど、寺島は本人の口から聴きたかったんだよ」
「はぁ?」
修は平田の言葉に更に苛立ちが募っていくのを感じた。
どうして寺島がそんなことを聴きたがるのかが理解できないし、そんなことに時間をとられていることが腹立たしかった。
「寺島のこともわかってやってくれ。わかるだろ? 寺島は宮井さんのことが好きなんだよ」
「えっ」
修は平田の言葉にすっとんきょうな声を上げてしまった。
その声を聞いて今度は平田が驚いた顔をする。
「『えっ』ってお前、今の話の流れでわかってなかったのか……?」
バカにされたように感じ、修は顔を赤くしながら俯いた。
「マジで色恋沙汰には疎いんだな……」
修が中学時代告白されて付き合った子に、バスケバカが祟ってフラれたということは平田も知っていた。
あの頃は何故告白されたのかもわからなかったし、フラれた理由も後から友人を通じて知ったというくらいだった。
それでも今は幾分マシになったと思っていたのだが、平田の反応を見るにどうやら勘違いだったようだ。
「悪いかよ……」
「いや、別に悪くないよ」
平田が幼子を見るような顔で笑ったので、修は尚更恥ずかしくなった。
「おい、しれっとバラしてくれたな……」
「あっ、ごめん。でもどっちにしろそれも言うつもりだったんだろ?」
「それはそうだが……」
寺島が納得いかないという顔で口をもごもごした。
一瞬忘れていたが今寺島がなかなか衝撃的な話をしていた最中だった。
寺島は宮井汐莉のことが好きらしい。
「お前にこんなこと話したのは、もし永瀬と宮井が付き合ってるなら、それを確認もせず宮井に告白するのは間抜けだと思ったからだ」
「あぁ……」
間抜けかどうかはわからないが、確かに告白したい相手が既に誰かと付き合っていることを知っていたら、恥をかくリスクは少なくなるということは修でも理解できた。
「それを踏まえてもう一度訊く。永瀬、お前は宮井と付き合ってないんだな?」
「……あぁ」
「じゃあ俺、宮井に告白しようと思ってるんだけど、いいよな?」
「…………」
寺島の問いかけに、修は自分がとても苛立つのを感じた。
しかし同時に、何故こんな感情が沸き上がってくるのか理解できずに困惑した。
「俺に許可とるようなことじゃないだろ」
「別に俺だってお前からの許可が欲しいわけじゃねーよ」
「じゃあどういう
そんなつもりはなかったのに、修は反射的に声を荒げてしまった。
修の剣幕に一瞬驚いた寺島だったが、すぐに鋭い目付きになって反論しようと口を開ける。
「まぁ待て! 落ち着けって!」
寺島が声を発する前に平田が間に入って両者をなだめるように手を広げた。
「修、寺島はお前の気持ちが知りたいんだよ。な、寺島」
「……あぁ、そうだよ」
平田のおかげで寺島が落ち着きを取り戻す。
しかし逆に修の方はこの何に対してなのかわからないイライラを抑えられずにいた。
「ぶっちゃけ端から見れば付き合ってるように見えるよお前ら。そのくらい仲が良い。もしお前にその気があるなら俺は潔く身を引こうと思ってたんだ。勝ち目がない勝負はしない主義だからな……。でも」
寺島が修の目を見据えた。
これまで向けられてきたような敵意のこもった陰湿な視線ではなく、強い想いが込められた熱い瞳。
「そうじゃないなら、俺は宮井汐莉に告白する。好きなんだ。彼女のことが」
「……!」
修は不覚にも寺島の言葉に心を打たれるのを感じた。真剣に恋をするこの男子高校生を、修はかっこいいとさえ思った。
イライラはいつしか名状し難い、よくわからない感情に変わっていた。
彼は本気なのだ。なら、自分もきちんと言葉を選ばなければならない。
「俺は宮井さんとはそういう関係じゃないし、お互いそういう気持ちもないよ。仲良く見えるのは同じ部活だし、俺が宮井さんにバスケを教えてあげてるからってだけ。だから……」
修は微笑みを作った。
作ったつもりだが実際に笑えているかは自分ではわからなかった。
「お前のこと応援するよ」
寺島は修の言葉を聴いて一瞬目を見開いたが、すぐに微笑んだ。
「ありがとう。お前、良いやつだな。今まで態度悪くしててごめん」
「いや、いいよそんなこと」
「お前のおかげで踏ん切りついたわ。早速行ってくる!」
まさかすぐに行くとは思っていなかったので驚いたが、バスケでも勢いが大事な場面もある。
恋愛のことはわからないが、ここはそういう場面なのだろうと修は思った。
「あぁ、頑張れよ」
「サンキュー!」
寺島は活き活きした表情で校舎へと駆けて行った。
その背中を見送った後、ふと見ると平田がその場に留まって修のことを見ていた。
「良かったのか?」
「何がだよ?」
「応援するとか言っちまってさ。もしこれで寺島と宮井さんが付き合い始めたとして、修は何も感じないのか?」
平田は心配そうな眼差しで言った。
「…………わからない」
修は情けなく俯きながらぽつりと返事を返した。
「でも、なんか寺島のことをすげぇって感じたんだ。あれが恋してる人の目なんだって。ちょっと尊敬すらしてる。だから、応援してるってのは嘘じゃないよ」
「……そっか。じゃ、俺は寺島の様子を見てくるよ。時間とらせて悪かったな。ありがとう」
修の力ない返事を聞いた平田は寺島が駆けて行ったのと同じ方向に歩き出した。
するとその足が止まり顔だけをこちらにくるりと向けて、肩越しに振り返る。
「さっき『何も感じないのか?』って訊いたとき、お前『わからない』って言ったろ? なんつーか、嬉しかったわ」
「嬉しかった? なんでだよ?」
平田が言っていることの意味がわからず、修は首を傾げた。
「さぁな。お前もいつか自分の気持ちに気付く時がくるよ」
答えになっていない答えを言って平田は止めていた足を再び動かし始めた。
残された修はもやもやした感情を制御することができず、しばらくその場に立ち尽くした。
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