第20話

「じゃあちょっと休憩な」


 修は汐莉にも休むことを促せるように、まずは自分がベンチに座った。


「ほら、水分摂らないと倒れるぞ」


 自分のバッグからコンビニで買っておいたスポーツドリンクのペットボトルを取り出し、蓋を開けると勢いよく喉に流し込んだ。満タンだったペットボトルが一口で半分程になっている。

 汐莉程ではないが、修もこの暑い中身振りを交えながら、また声を出しながらの特訓だったため、相当喉が渇いていた。


 動き続けていた汐莉ならなおさらだろう。

 汐莉もベンチに座りスポーツドリンクで喉を潤し一息ついた。


「それにしても、やっぱり永瀬くんはすごいね。教えてもらった通りにやったらどんどん上手くなっていく実感があるよ」

「いや、それは俺がすごいんじゃなくて、宮井さんがすごいんだよ。俺は昔自分が教わったことの受け売りとか、本で見たことをそのまま伝えてるだけだから。それを聞いてすぐに上達するのは、宮井さんが才能あるからじゃないかな」


 実際汐莉の上達スピードには目を見張るものがある。修もかつては天才と称されたこともあったが、ここまでではなかった。本当の天才とはこういう人のことを言うのではないか。そんな風にも思えてくる。


「ううん、才能なんかじゃないよ……。だって二ヶ月も練習してきたのに、全然だったもん。永瀬くんに教えてもらうようになってからだよ」


 汐莉は謙遜するが、本当にそう思っているようだった。


(自分の才能ってのは、なかなか自分では気付けないものか……)


 汐莉を褒めちぎったとしても、本人がそれを認めようとしないだろうことは想像できたので、修はそれ以上そのことを言うのは止めることにした。


「先輩たちは本当に何も教えてくれないんだね。まともなチームに入ってたら、今頃もっと上手くなってたはずだ」


 悪態ともとれる修の言葉に汐莉は反応を示さず口を閉ざしたままだった。

 以前もそうだったが、汐莉は先輩たちの文句や悪口を言おうとしない。不満があることは明らかなのに、それを良しとしないのは気が弱いからか、優しいからか。

 お互いの気分が落ちてしまいそうだったので、修は先輩たちの話題から逸らすことにした。


「バスケの教本とか読まないの? あとは、インターネットとか。今は動画でもプレーや練習の解説系も結構あると思うけど」


 やる気のある汐莉ならそれらに目を通していてもおかしくない。だがそれならば、今まであのレベルであったのは不自然なので修は疑問に思ったのだ。


「本とか動画とか、見たことあるよ。部活でやったこととかをおさらいしようと思って何度も見返したんだけど……でも……」


 汐莉は最後の言葉を言い淀んでいるようだった。悲しんでいるようにも恥ずかしがっているようにも見える。

 修が言葉の続きを待っていると、汐莉は意を決したように修の方に目をやった。


「文字とか、画面の中の動きや解説って、私全然理解できないんだ。必死に理解しようとしてるんだけど、頭がこんがらがってきて……。中学の陸上部のときもそうだった。熱心に指導してくれる先生がいたから、困ることはなかったんだけど……。私、おかしいのかな……?」


 汐莉は不安そうに顔を歪めた。

 確かに、大抵の人間はそういった本やネット記事、動画等を見て自身の成長の糧にしている。汐莉のように「理解できない」人はほとんどいないだろう。


「一つ確認していい? 宮井さんて、勉強はできる方?」

「勉強は得意じゃないけど、苦手でもないよ。入学テストも中間も平均よりは上だったし……。永瀬くん、ちょっとバカにした?」

「ち、違うよ! でももしかしたら、ってこともあるかと思って……」


 汐莉を少し怒らせてしまったようで、修はたじろいだ。

 汐莉の言葉から「単純に馬鹿だから」疑惑は解消された。

 となれば、もはや汐莉はそういう人間なのだと結論付けてしまっても良いように思えた。


「じゃあ宮井さんは、実際に目の前で言葉と動きを交えながら教えてもらえれば理解できるってこと?」

「そういうことになるかな……。今日も永瀬くんが言ってることはするするって理解できたよ」

「なるほどねぇ……」


 そういう人間がいるのは聞いたことがなかったが、天才はどこか人とずれているところがあるというのは聞いたことがある。

 それに本やネットで理解できなかったとしても、目の前で教えれば常人以上に理解が速いのだから問題はない。誰かがそうしてあげればいいだけだ。


「大丈夫だよ宮井さん。そういう人もいるってなんかで見たことあるし、そんなにおかしいことじゃない。それにバスケでわからないことがあったら何でも俺に聞いてくれていい。休み時間でもいいし、時間が合えばここで教えるのでもいい。だから不安そうな顔しないで」


 おそらく汐莉は人ができることが自分にはできない、ということに対して大きな不安を抱えていたのだろう。だから今暗い表情をしているのだ。

 根本的な解決にはならないが、代替策があるならそちらを活用すれば良い話だ。


「ありがとう、永瀬くん……!」


 修の言葉は汐莉を安心させるには充分だった。

 汐莉は元気を取り戻したようで、修も安心した。


(暗い話題を振ってしまってばかりだ……。気を付けないと)


 修は自分の気の利かなさに辟易し、女子と話し慣れていないことを酷く後悔した。


「でも良かった。永瀬くんのおかげで少しはまともに動けるようになれそう。来週大会なのに、あんなままじゃ試合に出れもしなかっただろうし」

「えっ? 来週大会があるの?」


 もう何度か一緒に練習をした仲であったが、そのことは初耳だった。


「あれ? 言ってなかったっけ? 大会って言っても、一年生大会なんだけど。正式名称は『新入生強化大会』だったかな? 一年生だけが出られる小さな大会だよ」

「へぇ、そんなのがあるのか……。あれ? でもうちはメンバー足りなくない?」

「うん。だから合同チームで出るんだ。さっき言った笹岡西高の一年生が五人で、そこに入れてもらうんだよ」

「あー、だから合同練習してるのか」

「そういうこと!」


 五人いれば試合には出られるが、全員経験者でなければ交代メンバーもいないとキツいだろう。笹西と栄城とで八人になるので、出場時間も良い感じに配分できそうだ。


「だから今日気合い入ってたんだな」

「うん。公式戦じゃないけど、やっぱり試合には出たいし、出たからには勝ちに貢献したい」


 立派な発言だ。汐莉の瞳は闘志でメラメラ燃えているようにも見えた。この気持ちで行けば少なからずチームに貢献できそうだ。


「じゃあ、もうちょっとオフェンスの選択肢増やしたいな」


 現状汐莉の武器はジャンプシュートだけだ。フリーならゴールも期待できるし、ミートの練習もしたのである程度はディフェンスを振り切って撃ちにも行けるだろう。


 だがドリブルはまだまだだ。一対一ワンオンワンを仕掛けるのはまだ厳しいだろう。

 そんなことを考えているとふと疑問が湧いてきた。汐莉のシュートフォームは美しい。ジャンプシュート時のフォームは一流選手のそれに等しいと言っていいレベルだ。ではその距離が遠くなった場合はどうなのだろうか。


「宮井さんて3Pスリーポイント撃てる?」

3Pスリーポイントか……。うん、ちょっと見てて」


 汐莉はそう言ってボールを持って立ち上がり、ゴール正面の3Pラインの外側まで移動した。

 修の問いに答えずに、実際にやって見せるということは自信があるのだろうか。修は自然と期待を込めて汐莉を見つめた。


 軽く息を吐き膝を曲げてボールを構えた。ミドルシュートのときよりかなり低めの位置でボールを持ち、そこから膝を伸ばしてジャンプすると同時にボールを振り上げる。頭上から放たれたシュートはゴールネットに触れることなくリングに弾かれてしまった。


「……こんな感じ」


 汐莉は苦笑いで修を見た。


「自信あるのかと思ったらそうじゃなかったんだね……」

「もしかしたら永瀬くんとの練習で知らぬ間にスリーも覚醒が……! と思ったんだけど、さすがにないよね……。あはは……」


 汐莉の3Pのフォームはそこまでおかしいわけではないが、ミドルシュートと違って入りそうな気配はなかった。


「多分これじゃ来週までに使い物にはなりそうにないな。スリーが撃てれば攻撃の幅が広がると思ったけど、これなら他の練習をした方がいい」

「そっか……でも……」


 汐莉は珍しく修の言葉に異議を唱えた。何か主張したいことがありそうな雰囲気だったので、修は続きを待つ。


「でも私、スリーの練習したい」

「どうして?」


 きっぱりと言い放った汐莉に疑問を投げかける。

 中途半端にロングシュートを練習してしまうと、フォームが崩れてミドルシュートに影響が出てしまう恐れがある。

 それはできるだけ避けたかったので、修は特別な理由がなければ汐莉に断念してもらおうと考えていた。


「……スリーって、すごく憧れなんだ。試合の流れを変える、ハイリスクハイリターンのシュート……。私もあんなシュートが撃てるようになりたい」


 汐莉は誰かのことを思い出しているようだった。

 汐莉の話す理由は聞いた人によっては理解しがたいものだろう。だが修は汐莉の気持ちが理解できた。


(印象に残るプレーってのは、真似してみたくなるもんな)


 そういうプレーを練習することは本人のモチベーションを高めることにもつながる。3Pの練習に時間を割くことにデメリットよりもメリットが多そうなら、そうしてもいいだろう。


 それに改めて考えると、汐莉のあれほどまで美しいシュートフォームが、少しばかりロングシュートを練習したくらいで崩れるとも思えなかった。


「わかった。残りの三十分はスリーの練習にしよう。それで試合で使える使えないは別としてね」

「ありがとう!」


 汐莉は満面の笑みで喜んだ。汐莉の3Pに対する思い入れは並大抵のものではなさそうだ。

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