第14話

 フロアの手前側はバドミントン部が男女混合で練習をしている。ラケットがシャトルを叩く音が小気味良いが、修の目当てはその奥だ。

 フロアのステージ側では女子バスケットボール部がフットワークを行っていた。


 フットワークとはバスケの基礎的な練習の一つだ。ダッシュやステップ、ジャンプなど、バスケの動きを取り入れたいくつかのメニューを、コートの端から端までワンセットずつ行うのが一般的だ。


 学校によってはこのフットワークを一時間近くかけて行うところもあるらしい。それは極端な例だが、それほどバスケにおいて下半身の筋力、持久力は重要な要素であるということだ。

 数えてみると練習している部員は八人。汐莉から聞いた話と照らし合わせると、フルメンバー揃っているようだ。もちろんその中には汐莉と優理も混じっている。


 三人、二人、三人の順で三組順番にフットワークのメニューをこなしていく。見た感じ、手を抜いている部員はおらず、皆真面目にやっているようだ。

(宮井さんと伊藤さんが三組目に入ってるってことは、学年順かな? 確か二年は二人って言ってたし)


 そんなことを考えながら修は部員をなんとなく順番に眺めていく。まず最初に目を引いたのは一組目の真ん中の、ショートで少しパーマがかったような髪型の部員だ。その理由は明白だった。


(かなりデカいな……。遠巻きだからはっきりとはわからないけど、俺と同じくらいあるんじゃないか……?)


 修の身長は入学時の身体測定で182cmだった。一般的な男子の身長からすると高い方だ。しかしバスケ界ではそんなに高いわけではない。もちろんチームにもよるが、強豪校ならスタメンが190㎝近いメンバーが二、三人というのも少なくないのが現実だ。


 だがそれが女子となれば話が違う。修は本格的に高校女子バスケを見たことがあるわけではないが、180㎝オーバーの女子などなかなかいないであろうことは想像に難くない。


(これはかなり高いアドバンテージだぞ。並以下のレベルのチームなら、あの身長だけで対応が難しいはずだ)


 次にその隣、一組目の左側の部員を見た。反対にかなり小柄で、パーマの部員との対比でかなり小さく錯覚してることを差し引いても低めの身長だろう。耳のやや下で二つに結んだおさげ髪を肩の前に垂らしている。


 そしてその反対側、長い黒髪を後頭部の高い位置でポニーテールにしている部員。修は本能的に彼女が恐らくキャプテンだろうと感じた。よく見ていると、メニューの指示出しは彼女が行っているようなので、修の予想は間違いではないだろう。


(多分あの三人が三年生……)


 修は汐莉の言葉を思い出した。


(向上心がない……か)


 今のところはそういった部分は感じ取れないが、果たしてどうなのだろうか。


(で、二組目が二年二人。一人はなんか不良っぽいぞ……。髪も茶色いし。もう一人は反対に真面目そうだな。三組目は宮井さんと伊藤さん、そしてもう一人、放送部と掛け持ちの子だっけか?)


 以上八人。栄城高校女子バスケ部のメンバーだ。

 続けて眺めていると、フットワークが終わり次のメニューに移り出した。優理がボールかごからボールを一つ取り出し、ポニーテールの三年に渡した。そして今度は間隔を広めにとった二列で並び、先頭の二人がパスを出し合いながら反対側のゴールに向かって走り出した。


(次はツーメンか。今日は前に聞いたメニューと少し違うのかな)


 ツーメンは二人が並走してパスを出し合い、最後はレイアップシュートなどで締める練習だ。相手の進行方向にパスを出し、スピードを緩めずにシュートまで持っていく。脚力とパス、シュートが同時に鍛えられる、基本的だが効率の良い練習だ。

 一往復で次の組に交代し、それを繰り返す。


(……なるほど)


 修はじっとバスケ部の練習を見続けた。ツーメンが終わったあとも次々に練習メニューを消化していくが、その内容は以前汐莉から聞いたものとそれほど相違なかった。


(ポニーテールとおさげの先輩は結構上手いぞ。パーマの先輩は動きがちょっと遅いな。あとスタミナもないっぽい。二年二人はまぁ普通。伊藤さんと放送部の子は経験者っぽいけどそんなにって感じかな……)


 ハーフコートの二対二まで見て、修は女子バスケ部の個々の実力をそう分析した。


(まだはっきりしたことはわからないけど、三年三人を軸にすればそれなりに闘えるんじゃないか?)


 修は高校女子バスケのレベルがわからないので、あくまで想像に過ぎないが、このチームはそこまで悪くないように思えた。

 ただ、修は練習を見ながらこのチームに違和感を覚えていた。長時間見ているとその正体がわかった気がする。


 恐らくこのチーム唯一の初心者である汐莉に、先輩たちは誰もアドバイスをしてあげていない。

 優理がたまに身振りを交えながら話しかけている様子は確認できたが、先輩からのアプローチは0だ。

 汐莉の練習姿を見ていたが、初心者なだけあってなかなか酷い。基本的な動きさえできていないと感じることもあった。


 普通なら先輩が教えてあげるはずだ。修も過去には先輩に色々教えてもらったし、逆に後輩に教えてあげもした。だがこのチームにはそういうことがまったくないのだ。

 前に汐莉が話してくれたままの光景が、今修の眼に映し出されている。


(なんだこれ……。いじめか……? いや、そんな感じでもない気がする……)


 休憩時には笑い合って談笑する姿も見られた。仲が悪いわけでもなさそうで、修はますますわけがわからなくなってしまった。


(宮井さんは一生懸命やってる……。でもこんなんじゃ、上手くなれっこない!)


 今すぐフロアに降りて汐莉に色々と教えてあげたい衝動に駆られたが、部員でもない修にはそんなことはできなかった。

 いつの間にかオールコートでの三対三が始まっていた。汐莉は放送部の子と二人でタイマー係をやっている。


 修はなんとなく悔しい思いで汐莉を見つめた。するとその視線に気づいたかのように汐莉がこちらを向いてきた。二人の視線が合う。

 修は隠れて覗きに来ていることがバレてしまい内心とても焦った。汐莉は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに笑い小さく手を振ってきた。


(なんだよその可愛い反応……!)


 修も小さく手を上げ返したが、頬がとても熱くなるのを感じ、逃げるように体育館を後にした。




(なんで逃げてんだよ……。俺ダサすぎ……)


 体育館を出た修は中庭のベンチで一息ついていた。自動販売機で購入した飲み物を一口飲み、喉を潤す。


(ん?)


 想定外の味が口内に広がり、反射的にペットボトルのラベルを見た。

 体育館から出てきた勢いで、無意識にスポーツドリンクを買ってしまっていたようだ。


 別に変な味だったわけではないが、運動していない時に飲むスポーツドリンクというものは、どうにもあまり美味しくない。

 ただ、冷たい飲み物が体内に入ったことで、汐莉の思わぬ攻撃によって動揺した修の頭も徐々に冷静になってきた。


(かれこれ二時間近く練習を見てたけど、体に異常はないな……)


 やはり女子バスケなら見ていても大丈夫なようだ。少し進展があって修はほっとした。


(さて、ここからどうするかだな)


 修は練習風景を見て、なんとか汐莉の力になってあげたいと感じた。汐莉はやる気もあるし、恐らくセンスも運動神経も悪くない。練習中に細かくアドバイスしてあげるだけでも、きっとどんどん上手くなれるだろう。


(でも、だったらどうする? マネージャーか何かとして、俺が入部するのか? でも、あの部の体質もよく分からないのに、俺が入って空気を壊してしまうかもしれない……)


 汐莉が更にバスケを楽しめなくなることになってしまう可能性もなくはない。それに、修はあの部員たちに馴染んだ上で、汐莉の手助けもするということに対して自信が持てなかった。


(昔はもっと色んなことにガンガンいけてたのにな……)


 修は自嘲気味に笑った。いつからそうなってしまったのか。修には答はわかっていた。


(それにまだ気がかりなことはある。ただ見ているだけが大丈夫だったとはいえ、あの輪に入ってそこから練習や試合を見るのも大丈夫だとは限らない)


 修は少しずつ踏み出してはいるが、不安にすべて打ち勝てるわけではない。もしかして、と考えるとやはり少し尻込みしてしまう。


(とりあえず当面は、宮井さんの自主練習に付き合うことしかできない……かな)


 修はため息をついたあとスポーツドリンクを口に含んだ。


「あれ? 永瀬くん?」


 突然自分を呼ぶ声がしたのでそちらを見てみるとなんと汐莉が立っていた。


「んっ!?」


 直前まで考えていた当人が現実にいきなり現れて、修は目を見張る程驚いた。さらに、ちょうど飲み物を飲み込もうとした瞬間だったため、激しくむせてしまった。


「ちょ、大丈夫!?」


 ゲホゲホと咳き込む修に、汐莉は自分の首にかけてあったタオルを手にして近づいてきた。


「しおちゃ~ん。それ使用済みタオルでしょ~」

「あっ、そうだった! 永瀬くん、大丈夫……?」


 汐莉はタオルを首にかけ直し、修の背中をさすった。


「ゲホッ……だ、ん、大丈夫……!」


 修は右手を汐莉の前に出して制した。

 息を整えながら汐莉の方を見ると、心配そうな目でこちらを見ている彼女と、その後ろには優理が立っていた。


「き、奇遇だね、こんな所で……」


 奇遇も何もない。練習を覗いていたことは既に汐莉にはバレているのだ。


「もう練習は終わったの?」

「うん。ここからは自主練の時間なんだ。その前に飲み物を買っておこうと思って。用意してたの、全部飲んじゃったから」


 つい先程三対三が始まったばかりだと思っていたが、それにしては終りが早い。付近にあった時計のモニュメントを見てみると、修が想像していた時間よりも時計の針は進んでいた。どうやら修は自分で思っている以上に中庭で考えに耽っていたようだ。


 すると自動販売機からガコンと音がした。優理が飲み物を購入したようだ。


「じゃあ私、先に戻るね~」


 優理はいつも通りニコニコと、いや、このときはニヤニヤと表現した方が的確だろう。そんな笑みを浮かべながら体育館へと戻っていった。


「えっ!? ちょっと待ってよ!」

「ごゆっくり~」


 残された二人は思わず顔を見合わせてしまった。修は優理のせいで気まずくなり、すぐに視線を地面に落とした。

 優理は二人の関係を勘違いしている。今の行動もこちらに気を遣ったつもりなのだろう。


「練習、さっき見に来てくれてたよね。ずっと見てたの?」

「いや、そういうわけじゃ……。途中からだよ。ちょっと勉強のことで先生に用事があって、放課後残ってたんだけど、せっかくだしちょっと見ていこうかなって……」


 修は訊かれてもいないことを言い訳のようにベラベラと喋ってしまった。しかも大嘘だ。


「そうなんだ……。でも見に来てくれてありがと! 嬉しいよ!」


 汐莉はにっこりと笑った。だが先程の練習を見たばかりの修は笑えなかった。


「なぁ宮井さん。部活楽しい?」

「えっ? どういうこと?」

「……もし俺が宮井さんの立場だったら、今の練習の感じだと、あんまり楽しくないかな……って思ってさ」


 汐莉の顔を見ると、少し暗い表情をしていた。


「……楽しいよ。でも、何て言えばいいんだろう……」


 汐莉は考え込むように黙ってしまった。修は汐莉の発言を待つ。


「ちょっと、思ってた感じとは違うのかな~っていうのはあるかな」


 汐莉は暗い表情のまま苦笑した。


「ちょっとしか見てない永瀬くんにそんな風に思われるなんて、私ダメだね。もっと頑張らなきゃ!」


 両こぶしを胸の前で握って笑う汐莉の姿は、修には空元気のようにも映った。


「宮井さんは充分頑張ってたよ……」

「……ありがとう。でも、そんなことないよ。練習にもまともに着いていけてないし」

「……初心者を練習に着いていけるようにサポートするのが先輩の役目なんじゃないの」

「……」


 汐莉は俯いて黙ってしまった。

 修は余計なことを言ってしまったと後悔した。自分はこの言葉を汐莉にかけてどうしたかったのか。汐莉を手助けしない先輩たちに対する苛立ちをぶつけてしまっただけではないか。


「ごめん……」

「ううん、謝るようなことじゃないよ」


 力なく謝罪する修に汐莉は微笑んだ。


「じゃあ、練習に戻るね。ストライドストップからのミドルシュート、どんどん上達してるんだよ!」

「そっか……。宮井さんは優秀な弟子で俺も嬉しいよ」

「えへへ……。師匠! 明日の昼休みもよろしくお願いします!」

「わかった」


 汐莉は背筋を伸ばし敬礼した。そして掲げた右手を修に振って駆け足で体育館へと消えていった。

 残された修は大きな無力感を感じ、しばらくベンチから動けなかった。

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