第135話 愚者を憐れむ歌
「っつ……このっ」
私は痛みを堪えながら床から起き上がり、襲撃者を怒鳴りつける
「何してんのよっ、カシミール!!」
カシミールが私の持ち込んだ短剣を握り締め、私……いや、あろうことかルドルフ様に襲い掛かったのだ。
短剣はルドルフさまが咄嗟に上げた右腕を食い破り、その切っ先はルドルフさまの鼻先にまで迫っている。
ルドルフさまは右腕を剣の様にして頭上にかざし、何とか死から逃れていた。
「見てわからないとはさすが
嘲笑いながらもカシミールは短剣に体重をかけて押し込んでいく。
短剣は右腕の骨と骨の隙間を貫いているらしく、ほんの少し動いただけで肉が抉れ、血が噴き出してくる。
その痛みは壮絶なものだろうに、ルドルフさまは酷薄な笑みすら浮かべていた。
「アンタを助けてくれてたルドルフさまに対して何してんのっつってんの!」
私はそのままカシミールに向かって体当たりしようと駆けだしたが――。
「邪魔をするなっ。貴様は後で殺してやるっ」
カシミールが薙ぎ払った腕を頬に喰らい、私は再び吹き飛ばされてしまう。
たった一撃なのに、それだけで私の視界は歪んでまともに立ち上がる事も出来なくなってしまった。
そうだ、カシミールが先王に愛されていた理由は、グラジオスの数倍とも言われている剣の腕前なのだ。
彼は間違いなく、この場に居る誰よりも強い。
「ハハハッ、ただの寄生虫だと思ったのに楽しませてくれるじゃないか。なんでこの気概を最初から見せてくれなかったんだい?」
死が目前に迫っているのにも関わらずルドルフさまが高笑いをあげる。
ある意味でルドルフさまらしく、そしてもうして欲しくはない表情だ。
狂乱の熱に飲まれ、分かりやすい敵を叩き潰すことで、またそちら側に行ってしまう。
「黙れ、この裏切り者がっ。やはり売女の腹から生まれた奴は高貴な血が流れていないからか、どいつもこいつも信用ならんっ」
「ああ、なるほど。君は追い詰められたから噛みついて来たのか。くだらない理由だね。期待して損したよ」
ルドルフさまが戦争を止めるという事は、即ちカシミールは用済みになるという事だ。飼い殺しに会うならまだいい方で、放逐されるか下手すれば今回の責任を取らされ処刑されるかもしれない。
一応、それを避けるためにカシミールの直轄地を貸借するという条件だったのだが……自我が肥大しきったカシミールにはむしろ屈辱に感じたのだろう。
「貴様など、父親を咥え込んで得た地位の癖にっ!! その汚らわしい口で喋るなっ」
瞬間、ルドルフさまの瞳に冷たい殺意が宿る。
「私はそれを口にした者を楽に殺さないと誓っていてね。君はどう殺してやろうか」
「今ここで貴様が私に殺される所だというのに、この状況を理解していないようだなっ」
「状況を理解していないのは君だろう。私を殺してどうする? 君一人で砦を攻略するつもりかな?」
その言葉にカシミールは酷薄な笑みを浮かべる。
「はっ、砦が攻略できれば後は褒美の都まで無人の野を行くも同然だ。行かない方があり得ない」
カシミールが約束したのは一週間の自由。他国を喰らう事で富むのが常識であるこの世界ではどれだけの魅力を持っているだろうか。
地球でも中世においては一般兵たちの報酬だったらしいが、私の感性からするとよくもそんな事が出来るものだとあきれ返ってしまう。
「……なるほどね。私を殺してキララと無理心中したとでも言いふらすつもりかな? 射石砲の使用を禁じているのは私だから、私が居なくなれば砦も落とせると。色々と穴だらけだけどよく考えて居るじゃないか。ああ、それから根本が随分と下劣だね」
「分かっているのなら早く死ねっ」
言葉と共に、カシミールが更に体重をかけて短剣を押し込んでいく。
私が助けを求めに行っても、もう間に合うはずがない。ルドルフさまは確実に殺されてしまうだろう。
せっかく、せっかくもう誰も死ななくていいと思ったのに。
これ以上傷つかない世界になったと思ったのに。
こいつは……カシミールは……。
そこで私は気付く。これが殺意なんだって。
灰色の虚脱感と真っ黒な絶望が心を凍てつかせていく。腹の内は煮えたぎっているのに、不思議なくらい頭は冷静だった。
――どうしようもない奴って居るんだね。
私の中にあるのは、怒り、悲しみ、呆れ。そんな様々な感情と同じくらい、義務感があった。
こいつを殺さないと、世界は際限なく蝕まれていくって。
人間の命を簡単に選別してしまうような考えを持つ私が愛を歌っていたなんてちゃんちゃらおかしいかもしれないけれど。
――義姉として私が送ってあげる。
それが王族に名を連ねる事になった私の責任。
私という存在が破綻しようとも、必ずコイツは今ここで終わらせなければ、私達が培ってきた全てを飲み込んで破壊しつくしてしまう。
もちろんそこに再生などない。
廃墟の王にそんなことなどできるものか。
そんな王に誰が付いていくものか。
私はようやく安定してきた頭を叱りつけて体に命令を送る。
途端、世界の全てが色あせて灰色になってしまう。
もしかしたらこれがルドルフさまの見て居た世界なのかな、なんて思いながら私はスカートのスリットに手を伸ばし――そこからモンターギュ侯爵のスティレットを抜き放った。
――カシミール。王という幻想に捕らわれた、はた迷惑な男。
私は息を深く吸い込み……走り出した。
狙うのは脇腹がいいだろう。非力な私では背中から致命傷を与えるのは難しい。
先ほどと同じように突進しても防がれて同じだろうけど――大丈夫、私には私だけの武器がある。
私はスティレットを腰だめに構え、柄に掌を添えた。これで深く刺さると推理小説で読んだが……本当かどうかは分からない。どうせすぐに結果がでるだろう。
私は雄叫びを上げて突っ込む。
ただの雄叫びじゃない。私の声は百メートル先にも届くと言われるほど馬鹿でかいのだ。近距離であれば鼓膜だって破る自信がある。
その声を――。
「あああああぁぁぁぁぁっ!!」
一メートルの距離でカシミールに叩き込んでやった。
カシミールの頭がわずかに傾ぎ、生理的な反射で私側の目が閉じる。
その生まれた死角に私は飛び込み――。
「…………な……に……?」
脇腹に深々とスティレットを突き立てた。
刃――というよりはほぼ杭に近い剣先は、カシミールの筋肉などやすやすと貫き、中に在る肝臓を完全に破壊する。
体内に出来た致命傷を治す術は、この世界には無い。
激しい痛みによってそれを理解したのだろう。カシミールは呆然と傷口を眺め……。
「貴様ぁぁぁぁっ!!」
もう先は無いはずなのにどれだけの力が残っているのだろう。カシミールは顔面を蒼白にしながらもルドルフさまに突き立てようとしていた短剣を抜き、逆手持ちのまま――ぶつかる様にしてスティレットを突き立てたばかりの私に逃れることなど不可能で――私の腹部に突き刺した。
「キララッ」
お腹が熱かった。
どこをどんな風に刺されてどういう器官が傷ついたとか全くわからない。
ただ、灼熱の塊がお腹に生まれ……その熱が少しずつ流れ出ていく。
ああ、私も死ぬんだって、何となく理解した。
「キララっ!!」
ルドルフさまに再度名前を呼ばれる。
――そうだ。せめてルドルフさまだけでも守らないと。
私はカシミールの腕に抱き着いて短剣を封じ、スティレットを思い切り引き寄せて抜き取った。
それによってカシミールの傷口は広がり、泉の様に赤い血が噴出して辺りを染めていく。
血を一度に大量に失ったせいか、カシミールはカクンと膝を折ってその場に崩れ落ちる。
きっと死んだのだろう。
私が、殺したのだ。
どんな相手だろうと一つの命を奪った事実が私の心を苛んでいく。
でも、私も死ぬんだから、罰は受け……いや、多くの人を死に追いやったのだから私一人の命じゃ絶対に足りないや。
地獄に行くのかな……仕方ないか。
最期にグラジオスと思いっきり愛し合えた。
今まで歌ってみんなに聴いて貰えた。
後悔も何もない。私は満足してる。
「キララッ、キララッ。意識をしっかり持つんだ、目を開けてくれっ」
ああ……何か……温かい。
体はすぅっと冷たくなっていくのに……温かい何かに包まれていて……。
「頼むっ! 私を置いて行かないでくれっ! キララが逝ってしまったら私は……! 私は……!」
もの……すご……く、ねむ……い……。
「キララぁーーー!!」
そして私の意識は闇の中へと落ちて行った。
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