第3話 現実

 ドアにもたれかかっていた騎士が機敏に反応し、立ち上がって素早くドアを開いた。

 その瞬間。

「きゃっ!」

 血を流しながら、一人の騎士が倒れ込んで来た。

 私の足とは比にならないほど大量の血液がしたたり落ちる。むわっとするような濃密な血の臭いが私の鼻を貫いた。

 これは絶対に特殊メイクじゃない。私はそう確信した。

 私は血の臭いには敏感なのだ。コスプレ衣装とか作るときに、よく針を手に突き刺したりするから。

 部屋にいた騎士さん達は、慌ててその倒れた騎士に駆け寄ると、小声で何事かやり取りを行う。

 中心に居るのは巌の様な老騎士ではなく、あの若い騎士だ。もしかしたらあの若い騎士は、他の人より身分が高いのかもしれない。

 そうやって考えながら、私が見ていると、巌の老騎士が懐から短剣を取り出した。

 なぜ、と思いながらその短剣を見て、私は理解した。

 細長く、杭のような形をした短剣。名前をスティレットと言うのだが、その用途は、自決と、トドメ。別名慈悲の一撃、ミセルコリデとも言われる。

 待ってと私が言う暇もなかった。

 老騎士は、沈痛な面持ちで、入って来たばかりの騎士に慈悲の一撃を撃ち込んだ。

 もう助からない。だからせめて安らかな死を。そういう判断だったのだろう。

「……ねえ、これテレビの企画なんでしょ? 趣味が悪すぎるよ……」

 もう嘘だと私自身理解しているのに、私はそんな事を呟いてしまった。

 嘘だと分かっているから、自分すらも騙せない。

 私の目からは次から次に涙が溢れ出て来る。知りもしない人の死なのに、私は凄く、悲しかった。

 私がそうして死を悼んでいる間に、老騎士は遺体の手を探って指輪を取り外すと、若い騎士に恭しく手渡した。

 若い騎士はそれを額に押し付け、何か祈りのようなものを捧げだす。

 周りの騎士も同じように額に手をやり、黙とうを捧げていた。

 慌てて私もそれに倣う。

「安らかにお眠り下さい」

 ……名前も知らない人だけど、私は懸命にその人の安寧を祈った。

 しばらくして、私の肩が叩かれる。目を開けると、若い騎士が不機嫌そうな顔をして外を指していた。

 出て行け、と言いたいのだろう。

 それはきっと彼なりの優しさで、ここにはいずれ敵が来るのだろう。

 でも、私は出て行ってもどうすることもできない。靴もないし、遠くまで逃げられないのだ。

 何もできなかった。

 動けない私に若い騎士は舌打ちをすると、全員に号令をかけた。

 壮年の騎士が死んだ騎士を背負い、若い騎士は次々と家を出て行く。きっと自分たちが出て行けば私が傷つけられることはない。そう考えているのだろう。

 若い騎士が出て行く直前、私の方を振り向いて何か声をかける。

「あ……待って!」

 待ってと言っても伝わるはずもない。どうしようもないのに、何故か私はそう叫んでいた。

「待っ……」

 私を置いて若い騎士が反転した瞬間、ドンッと若い騎士が老騎士に突き飛ばされた。

 呆然としている若い騎士に、老騎士は何事か語りかけながら、兜と鎧の下に隠されていた宝石の付いた首飾りをはぎ取っていく。

 若い騎士が何か大声を上げながら食って掛かると、老騎士は無言で若い騎士を殴り倒した。若い騎士はそれだけで意識を失ってしまう。

 老騎士は、若い騎士を抱えて再び家の中に入ってくると、家の奥に備え付けられていた床下収納庫の扉を開けて、若い騎士を隠してしまった。

 外で、おう、と大声がして、騎士たちが再び家の中に入ってくる。その手には様々な木の残骸や岩などが握られていた。

 彼らはそれらを使って自分たちが居た痕跡や、若い騎士の眠る床下収納庫を隠していく。

 それら作業はものの数分で終わりを告げた。再び騎士たちは家を出て行く。その顔は何故かさっぱりしていて、きっと若い騎士の囮にでもなって死ぬつもりなのだということが、なんとなく私には理解できた。

 最期に残った老騎士が手をはたいてほこりを落とすと、私に手招きをする。

「……そうだよね。私見てたもんね」

 もしかしたら、今度こそ口封じに殺されるのかもしれなかった。

 歌で勘弁してもらう、なんて事絶対にないだろう。

 私は死を覚悟して目を瞑った……のだが、いくら待っても痛みはやってこなかった。

 ……ああ、そっか、外に出ないと殺せないよね。

 そう思った瞬間、手にずっしりと重い何かを押し付けられた。

 慌てて目を開けて確認してみると、手の中にあったのは硬貨の沢山詰まった革袋だ。感触だけで判断するしかないが、きっと結構な額になるだろう。

「え……? え? どういう事?」

 頭の上にはてなマークを大量に浮かべている私に、老騎士は大きく一つ頷くと、若い騎士が隠されている材木の山を指さした。

「つまり、私に誤魔化せって事?」

 目を見つめて、本当に? と念押ししてみる。

 すると老騎士は大きく頷いた。本当にそういうつもりらしい。つまりこの硬貨はその代金という事だ。

「…………」

 これは私にとって大きな選択だった。これから来る敵は、間違いなく人を殺せる存在だ。

 つまり、若い騎士を隠したとなれば、私も殺されてしまうだろう。

 一番いい選択肢は、私がここから逃げ出して知らんふりすることだが……。

「そんなの、出来るわけないよね」

 もう、人が死ぬのは嫌だ。

 例え私が見ていなかったとしても、私が知っている人が、私のせいで死んだかもしれないなんて、そんなの嫌すぎる。

 だから私は老騎士の目をまっすぐ見つめ返すと大きく頷いた。

 老騎士はそんな私を見て、柔らかい笑みを浮かべると、何か言葉を投げかけてから去っていった。

 私にこの世界の言葉は分からない。でもきっと、幸運を祈る、みたいな言葉だろう。

 あの人たちにしても、これは賭けなのに。私はあの若い騎士を売ってしまえば命の危険もないのに。何で私を信じたんだろう。

 その答えはきっと、また会えた時に教えてくれるはずだ。

 だから……。

「貴方達にも幸運を! 絶対、生きてください!」

 小さくなっていく騎士さんたちの背中に、私はそうやって声を投げかけた。


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