15.俺はもう、囚われてしまった
1日目は滞りなく終わり、2日目。
今日は夜の7時で仕事上がりだった。
普通、夜の宴会というと9時過ぎまでかかるはずなのに……と思っていたら、どうやら地元の花火大会が行われるらしい。
シィナは最近テレビで都会の花火大会の様子を見たらしく、とても楽しみにしていた。
「そんなテレビでやっているような大きいのじゃないぞ」
「でも、空にいくつも咲くんでしょ? お花が」
「まあ……」
「嬉しい! 早く夜にならないかな~」
妙に浮かれているな……。
俺は少し心配になったが、ユズは「いいんじゃない?」と珍しくどこか楽しそうだった。
「花火大会なら、人もたくさんいるし」
「まぁ、そうだが……」
「ただ……あの女の先輩には注意して」
急にユズの声が真剣味を帯びたので、俺はハッとしてユズの顔を見た。
ユズは腕を組み、眉間に皺を寄せている。
「何か読めたのか?」
「近くに寄れなかったから、さすがに無理。だけど……何か、変なんだ。うまく説明できないけど」
「……」
ユズも、俺と同じような胸騒ぎを感じているのか。
俺は「わかった」と言って力強く頷いた。
しかし今日1日、先輩は特におかしな言動をすることもなく、普通にテキパキ働いていた。
仕事以外の会話と言えば、「花火大会は見に行くの?」と聞かれたことぐらい。
「そのつもりです。先輩は?」
と聞いてみると、先輩は「今日は泊まらないつもりだから、ちょっと覗いたら電車の時間に合わせて帰る」という答えが返ってきた。
だから特に、気にする必要はないのかもしれないが。
一抹の不安を抱えながらどうにか仕事を終え、ホテルの部屋に戻ると、シィナは浴衣姿になっていた。
「うお? どうした?」
「えへへ……」
シィナは嬉しそうに一回りしている。
紺色の地に、大小の金色の花が散らしてある柄。髪も、サイドは少し垂らして後ろは綺麗にまとめてある。
シィナは普段その長い黒髪を下ろしっぱなしだったから……白く細いうなじが見えて、ドキリとする。
「宿泊客に浴衣の貸し出しと着つけを格安で提供する、とかで……とてもやりたそうだったから」
「か……髪も?」
「美容室が併設されてたからね。どうせなら、ちゃんとした方がいいでしょ」
ユズが満足げに頷いている。
こんなところでユズの完璧主義が炸裂するとは……と、少々眩暈がした。
そりゃ、いい。いいよ。いいに決まってる。
だけどお前たちは、俺をどうしたいんだよ?
これはちょっと卑怯だぞ。
ただでさえ可愛い……いや、そうじゃなくて……。
「……おい。ユズ……シィナに甘いんじゃないか」
俺はユズをそっと引っ張って小声で囁いた。
だいたい、過保護だのなんだの言っていたのは、そっちじゃないのか。
「……そうかもね」
ユズはあっさり認めると、肩をすくめた。
なんだか懐かしそうな顔をしている。
「シィナってさ……母さんに、似てるんだよ。だからシィナがやりたいと思ったこと、叶えたくなるのかもね」
「……」
「未来はわからないけど、とりあえず、シィナの味方でいようと決めた」
「ふうん……」
スミレさんに似ている……か。
そう言われればそうかもしれない。同じ出身だから、とかだけじゃなくて……。
俺は複雑な思いで、ユズとシィナを見比べた。
* * *
ホテルを出て、花火大会の会場まで歩き始める。
田舎の大会なのでそんなに人がいる訳じゃないけど、それでも、今までこの辺りでは見たことないぐらいの人出があった。
初めての下駄でシィナが歩きづらそうだったから、俺たちはかなりゆっくり歩いた。
前の方の座れる場所はもう見物客で埋まってしまっていたので、仕方なく少し離れたところに立っていた。
辺りをキョロキョロ見まわしたが、先輩の姿はなかった。
ただの思いすごしならいいけど……。
花火が上がる。ドーンという低い音が空を揺らし、俺たちの体も揺らす。
最初は少し驚いていたシィナも、やがて慣れてしまったようだ。
上がるたびに、嬉しそうに「わー」とか「すごーい」とか呟いている。
夜空を見上げる浴衣姿のシィナは、これまで見た中で一番……奇麗だった。
「トーマは初めて?」
「いや……別のやつなら一回あるかな。でも、かなり久し振りだ」
「……そうなんだ」
シィナがぎゅっと俺の腕を掴んだ。
「……幸せ。ミュービュリに来て、本当に良かった」
ミュービュリ……。
ユズが言っていた言葉だ。じゃあ、やっぱり……。
「……思い出したのか?」
「……」
思い切って聞くと、シィナはビクッとしたが何も答えなかった。
ユズの方を見ると、かすかに頷いて……そのまま姿を消した。
気を利かせたつもりだろうか。
「……怖がらなくていいぞ。記憶が戻ろうがどうしようが……俺もユズも、ずっとシィナの味方だ」
ユズが言っていた言葉を、そのまま伝える。
少しでも気持ちが軽くなればいいな、と思いながら。
しかしシィナは……黙って首を横に振った。
「駄目……まだ、駄目……」
俯いて……うわ言のように呟いている。
「ユズを見ていて……いつも傍にいるトーマを見つけたの」
「えっ……」
これは、まさか……過去の記憶?
俺は驚いてシィナを見下ろした。
シィナの視線はぼんやりとしていて……もう何も捉えていないように見えた。
しかしそれとは裏腹に、俺の腕を掴む力だけは強くなる。
「ずっと……見ていたの。母さまが、18になったら継承して女王になるのよって……」
「……シィナ……」
ひょっとして、蘇る記憶に……錯乱しているのか?
俺は少し屈むとシィナの顔を覗きこんだ。
暗闇なのに、シィナの瞳が少し紫色に光って見えた。そしてその瞳が……ゆっくりと俺を捉える。
「でも……違うの」
シィナの瞳から涙が零れ落ちた。
「私は、トーマに……会いたかっただけなの!」
シィナが泣きながら俺に抱きついてきた。
そして激しく首を横に振った。
「駄目……思い出したらこのままじゃいられない……。思い出したくないの……」
「シィナ……」
「……トーマ!」
「……!」
救いを求めるようなシィナの声に……俺は思わずシィナを抱きしめた。
ハッとしたようにシィナが顔を上げた。
零した涙が瞳に映って紫色に光って見えた。
俺はシィナをぐっと抱き寄せると、唇を重ね合わせた。
びっくりしているようなシィナの瞳が、徐々に閉じられていく。
* * *
「……落ち着いたか?」
二人の唇が離れてから……少しして、俺はシィナに聞いた。
「……落ち着かせるためにしたの?」
「違うけど……」
シィナは少し俯くと「トーマ、少し屈んで」と言って俺の腕をぐいぐい引っ張った。
「……何だよ」
少し恥ずかしいのもあってぶっきらぼうに返事して、言う通りに少し屈んだ。
……すると、シィナが俺のおでこにキスをした。
シィナの唇が触れたところから……何か温かいものが広がるのを感じる。
「……何だ?」
「
「……?」
シィナの声が思ったより沈んでいて……俺は思わずシィナの方を振り返った。
シィナは少し悲しそうに俯いていた。
「……トーマを守る方法、思い出したから。これで……生半可な攻撃ではトーマを傷つけることができない」
「……」
やっぱり……殆ど思い出したのか?
でも、シィナは……まだ、黒い髪のままだ。瞳が少し紫色っぽいが……。
まだ完全には元に戻っていないのかもしれない。
「シィ……」
「――トーマ!」
シィナがハッとしたように顔を上げた。
「ユズは? どこ?」
「その辺に……」
「――こっちだ!」
シィナが俺の腕をぐいっと引っ張って走り始めた。
「ゲートが……開いてる!」
「えっ?」
「ユズが危ない!」
シィナは面倒になったのか下駄を手に持つと、ものすごい速さで走り始めた。
浴衣姿で、しかも女の子なのに、俺と同じ……いや、俺より速い。
これもシィナの力なのか……?
必死にシィナの背中を追う。
まとめていた後ろ髪が崩れ……夜の風にサーッとなびく。
それはまるで……夢の時間は終わりだ、と告げられたように感じた。
……気がつくと、空き地みたいなところに来ていた。――誰もいない。
「……! ここ!」
シィナが何もない空間の壁を叩く。一切、音はしない。
なのに、ガラスが割れたような、変な感覚が俺を取り巻く。
見ると、ユズが奇妙な服装をした二人の男に抱えあげられていた。
空間には、今までに何回か見た、変な切れ目が浮かび上がっている。
「ユズ!」
「……!」
ユズがちょっと俺の方を見た、気がした。ぐったりしているが、意識はあるようだ。
俺は二人の男に突進した。
二人の男が何かを浴びせかけたが、俺は何も感じなかった。そのまま突き進む。
「……××?」
「××!」
何かよくわからない言葉で喚いている。
俺はその隙に男二人を蹴っ飛ばすと、ユズを引っ張った。勢いあまって、二人ですっ転んでしまう。
男二人がなおもユズに掴みかかろうとするのを止めたのは……シィナだった。
俺とユズを庇うように、男二人の前に立ち塞がる。
シィナが男二人に手をかざすと、二人は少し後じさった。
「……×××!」
シィナが、よくわからない言葉で男たちに叫んだ。
何と言ったのかはわからない。でも、多分……男二人と同じ言葉。
すると、二人の男はギョッとしたような顔をした。
そして顔を見合わせると……なんと、シィナにバッと飛び掛かり、あっという間に抱え上げてしまった。
「××!」
「待て……!」
俺が立ち上がろうとすると……誰かが俺の横を駆け抜けた。
何と、石橋先輩だった。二人の男にしがみつこうとして、吹き飛ばされる。
「シィナ!」
俺も駆け寄ろうとしたが……二人の男は素早く切れ目に飛びこんだ。
そして……切れ目はすっと、かき消えてしまった。
「シィナ!」
「×××……」
石橋先輩が何かを茫然と呟きながらその場にへたりこんだ。
「先輩!」
俺はそう叫んで……急にハタと気づいた。
頭の中の靄が晴れる。
色々な場面を切り取った写真を眺めているような感覚。
ホテルの宴会場。ショッピングセンターの一階。遊園地のジェットコースター。
その前……大学の講義室。……いや、そこに石橋先輩の姿はいない。
キャンパス内の食堂にも。先輩たちとの飲み会にも。
――この人は、大学の先輩なんかじゃない。あの遊園地が、初対面だ。
「おい! あんた、誰だ?」
俺は女に掴みかかると、激しく揺さぶった。
「シィナや……あの誘拐魔とどういう関係なんだ!」
「××……××……」
混乱しているのか、訳のわからない言葉を呟いている。
前まで普通に話していたのに、まるで言葉が解らないみたいだ。
「……トーマ」
どうにか起き上がったユズが俺の肩を掴んだ。
「落ち着いて。この人はシィナの味方みたいだ。シィナの身をひたすら案じてる」
「えっ?」
「……そうだわ!」
ユズの言葉に、女も俺たちの存在を思い出したようだった。
必死の形相で俺にしがみつく。
「トーマ! シルヴァーナ様が……殺される! 早く、助けないと……!」
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