8.俺だけじゃない、ユズも?

 シィナは、次の日の朝にはもう目を覚ました。

 やはり身体が大きくなったせいか、前ほど寝込まなくても大丈夫らしい。

 何か思い出したか聞いたが、シィナは「何も」としか答えなかった。


 ユズが俺の部屋に来たから、俺はシィナをユズに預けて外出した。

 先輩に服を返さないといけない。

 とりあえず外出したものの、どこに行けば先輩に会えるのか、皆目見当もつかなかった。

 連絡先は知らないし、今は夏休み中だから大学に行っても会えない気がする。


 仕方がないので、予定を変更してショッピングセンターに行くことにした。

 俺よりユズの方が小柄なので、シィナにはとりあえずユズの服を着せている。

 部屋にいる分にはそれでもいいが、外には出られないだろう。

 とりあえず、外出時に着ていく服が必要だった。



 ショッピングセンターに入ると、ひんやりとした空気が俺を包む込む。

 婦人服売り場は確か二階だったような、と思いながらきょろきょろと辺りを見回していると、遠くで手を振っている人がいた。女性だ。


「……んん?」

 

 よく見ると……石橋先輩だった。

 これはラッキー!

 俺は先輩の方に早足で歩み寄った。


「あ、先輩。会いたかったんですよ」


 そう言うと、俺は袋を渡した。


「これ、返そうと思って」

「あ……」

「昨日は助かりました。どうもありがとうございました」

「いいのよ」


 先輩はちょっと笑うと俺をじっと見上げた。


「こんなとこで偶然会うなんて、運命かもね」

「……それはないですね」


 何でこの人はこんな妙なアプローチをしてくるのかな。

 俺はげんなりして必要以上に冷たい言葉で返した。


 先輩はちょっと首を傾げると

「もう……何でそんなに冷たいの」

と、特に傷ついた様子もなく詰め寄る。


「……私、トーマともっと……」

「それは嘘ですね」


 俺は先輩の言葉を遮った。

 石橋先輩に感じる違和感……それは、先輩が俺に好意を持っている訳ではない、ということ。

 それがわかるから、こんなに迫ってくる理由がわからなくて、不気味だ。

 性格は悪そうじゃないのに、何でだろう……。

 意図が読めなくて、気持ち悪い。


「嘘って……」

「だって先輩、俺のこと好きでも何でもないでしょう」


 そう言うと、先輩はちょっと黙り込んだ。


「……そんなこと……」

「からかうんなら、別の人にして下さい。俺、忙しいんで」


 俺は先輩の言葉を待たず、そのままその場を離れた。

 後ろを一度も振り返らずにずんずん歩く。

 エスカレーターに乗ってからちょっと振り返ってみると……先輩はまだ、何やら考え込んでいるようだった。

 その表情は、傷ついたというよりどういう策を練ろうか、という感じだ。

 やっぱりこの人は、何か別の目的があって俺にコナをかけているような気がする……。



 結局俺は、女の子の服のマネキン一体買いをして、さっさと帰ってきた。

 本当は下着とかもいるんだろうけど、大きくなってしまった今となっては俺には無理だ。

 少し遠巻きに下着売り場を見ながらウロウロしたものの、あえなく退散。

 後でシィナを連れてくるしかない……。


 どっど疲れを感じながらも昼飯を買ってアパートに戻ると、ユズとシィナはそのまま俺の部屋にいた。


「お帰り」


 ユズは俺を見て、ちょっと困ったような顔をした。


「……ただいま」


 返事をしながらシィナの方を見ると、何やら塞ぎ込んでいる。


「どうした?」

「……何でもない」

「そうか?」


 何でもないようには見えないが……。

 ユズの方を見ると、わずかに首を横に振った。今は触れるな、ということだろう。


 とりあえず買ってきたハンバーガーと飲み物を広げ、俺達はテレビを見ながら食い始めた。

 テレビではニュース番組をやっているが、取り立てて気になるニュースもない。


「シィナ……もう、大丈夫か? 痛いところとかないか?」

「……うん」

「ユズも大丈夫か?」

「うん。だいぶん力の使い方も慣れてきたしね」

「そっか」


 シィナは相変わらず何だか凹んでいる。

 ユズと何かあったのか……それとも、何か思い出したか?

 やはり気になってユズの顔を見ると「あとで」と口パクで俺に言った。


 ……そうだ。どうせシィナを連れて買い物に行かないといけなかったし、午後からもう一度出かけるか。

 俺は隅に置いてあった服の入った袋を手渡した。


「あ、シィナ。これ、新しい服」

「え?」

「メシ食ったら着替えて、今度は三人で一緒に出かけよう」


 そう言うと、シィナの顔がパッと明るくなった。


「ほんと? どこに?」

「ショッピングセンター」

「何をするところ?」

「買い物。……そうか、まだ連れて行ってなかったっけ」

「そうなんだ。楽しみー」


 シィナは少し機嫌が直ったようで、早く行きたいのか急いで食べ始めた。

 一方ユズは、不思議そうな顔をしていた。

 俺は言葉で説明するのが難しかったので、自分の頭を指差した。

 一連のやり取りを読んだユズが

「なるほど……」

と可笑しそうに呟いた。


 何しろ俺は、物心ついた時からじいちゃんと二人暮らしだ。

 田舎では男子も女子も関係なく喧嘩したり遊んだりしていたし、あんまり意識していなかった。

 高校はバスで一時間かけてもう少し町の方に通っていたけど、剣道も忙しかったし、クラスや部活のみんなで遊んだりしていただけだ。

 付き合ってくれ、みたいなことを言われたことはあるが、全然ピンと来ないのですべて断っていた。

 だから、女子の友達はいても彼女がいたことはない。


「トーマの最大の弱点だね。でも……不思議だね。トーマって結構モテてたように思うけどな……」


 ユズが苦笑しながら言った。

 ちなみに、ユズは誰とも殆ど喋らなかったけど見た目が奇麗なので、女子の一部には「氷の王子様」とあだ名をつけられていた。

 フラレるのがわかっているので誰も告白なんかしなかっただけで、モテてたのはユズの方だろう。


「モテてない。気軽に話しかけられてただけ」

「そうかな……」

「モテてって何?」


 ジュースを飲みながらシィナが聞いた。


「えっと……」


 どう言ったらいいものか困っていると、ユズが

「異性に人気があったってことだね。ま、トーマは女子だけじゃなくて子供にも人気だけどね」

と説明してくれた。


「……女子……子供……」


 シィナは呟くと、テレビを指差した。


「ああいうの?」


 見ると、ニュースはもう終わっていて、昔のドラマの再放送をやっていた。

 俺達が子供のときに人気だった学園モノで、複数の小学生に囲まれている男性教師と、ヒロインの女性教師が映っている。


「そうだな……俺は小学校の教師を目指してるから、ああいう感じになりたい、といったところかな」

「ふうん……」


 はぁ、何とか誤魔化せたかな。

 ……ん? 誤魔化すって何を?

 ふと見ると、ユズが何か言いたげに俺の方を見ていた。


「……ん? 何だ?」

「いや……」


 ユズはちょっと溜息をつくと「それもあとでね」とだけ言った。




 その後、予定通り三人でショッピングセンターに出かけた。

 シィナは自分が大きくなったことは分かっているみたいで

「淋しいけど……嬉しい」

と言ってにっこり笑った。


「どういう意味?」

と不思議に思って聞き返すと、シィナは

「えっと……内緒!」

と言って赤くなった。


 とりあえず婦人下着売り場の近くまで行ったが、俺はどう説明したらいいかわからず、まごまごしてしまった。

 するとユズが

「男は入れない場所だけど、シィナには必要なものなんだ。ここで待ってるから、欲しいもの買っておいで。わからなかったら、店員さんに聞けばいいから」

と言ってお金を渡した。

 ユズがこんなにうまく対応できるとは思わなかったから、少し驚いてしまった。


「……初めてのお買い物だ」


 シィナは渡された1万円札をまじまじと見ると、嬉しそうに売り場に小走りで行った。

 俺達は近くのベンチに座った。

 ここからなら、シィナの姿は確認できる。不測の事態にも対応できるだろう。

 ユズは、人目のあるところでいきなり襲い掛かられることはないだろう、と言っていたが、用心に越したことは無い。


 ぼけっとシィナの姿を目で追っていると、ユズが急に俺の方に向き直って

「トーマ。これから大事な話をするね」

と力強く言った。


「お、おう……」


 思わず身構える。

 ユズは俺とは普通に喋るけど、こんなに強い口調で切り出すことなんて、今までにない。


「――腹を括るしかない状況になったから」


 ユズが俺の心の声に答えた。

 そして……ちょっと溜息をつくと、俺の顔をじっと見た。


「シィナは……多分、僕たちと同じぐらいの年齢だよ」

「……」

「誰かが小さい姿に抑え込んでいたんだ。でもロックが壊れたから……これから徐々に元に戻って行くと思う」

「ふうん……。でも、何でわかったんだ?」

「今朝、シィナと話しながら記憶の映像を視たんだ。シィナは記憶を取り戻したくないみたいだから、正直に言わないかなと思って」


 ユズはそう言うと、少し考え込んだ。


「シィナの記憶の大半は戻っていない。これは本当。でも、記憶の中に自分の姿を鏡で覗いたような感じで元の姿が映ってたんだ。僕たちと同年代で、金髪で、瞳が紫色で……」

「えっ? 日本人じゃないのか?」


 驚いて叫ぶと、ユズが呆気に取られた顔をした。


「……これだけ不思議なことがいろいろ起こってるのに、まだそう思ってたんだ。そもそも、この世界の人間ですらないよ」

「……!」


 この世界の人間じゃない……?

 それに、『この世界』ってどういうことだ?


「僕たちが住んでいる……この地球全体というか、宇宙全体というか……」


 ユズは能力を最大限解放しているのか、俺が考えていることを次々と読み取って答えていく。


「シィナは『ミュービュリ』と呼んでいた」


 ミュービュリ……? シィナが、異世界の人間……?

 でも、映像を視ただけで何でそんなこと言い切れるんだ?

 見覚えのない景色だとしても、知らない外国かもしれないじゃないか。


「僕にも関係のある世界だってことが、はっきり分かったから」

「へ?」

「母さんも……この世界のことを『ミュービュリ』って言ってたんだ」

「……」


 ん? つまり……シィナとスミレさんは出身が同じっていうことか?


「そういうこと。それでね、トーマ」

「何だよ」

「シィナがどうしてこの『ミュービュリ』に来たのかというと……彼女はトーマに会いに来たんだ」

「……へ?」


 俺は間抜けな声を出した。

 だって、シィナの世界と関係があるのは、ユズのはずだろう? 何で俺?


「記憶が戻ってないから、理由は分からないんだ。彼女自身も、よくわかっていないんだと思う。本当の目的は違うのかもしれない。でも……とにかく、今のシィナはトーマに会いたくてやってきた、そういうこと」


 俺……に……?

 だから……記憶はないながらも、最初から懐いていたんだろうか。


 シィナの方を見ると、ウロチョロしながら楽しそうに商品を見ている。

 昨日の夜のことを思い出して、俺は思わず顔が熱くなるのを感じた。


 けれどユズは、そんな俺を諫めるように

「でも、トーマ。絶対にシィナを拒否して」

と強くはっきりと俺に向かって言った。


「……!」


 俺は思わずユズの顔をまじまじと見た。


「……何で」

「どうしてでも。今までも、ずっと女の子を拒否してきたでしょ? できるよね?」


 やけに強硬的な態度だ。


「……何でそんなにこだわるんだ?」


 今……シィナのことが好きかと聞かれたら、それは分からない。

 でも、今までとは違う、何かが芽生えてきているのは確かで……それを全部失くせと頭ごなしに言われるのは、納得がいかなかった。

 ……ひょっとして……。


「ユズ……シィナが好きなのか?」

「違う」


 ユズはきっぱりと否定した。嘘ではなさそうだ。


「じゃ、何で……」

「さっき言ったよね。母さんはシィナと同じだって。つまり僕は……異世界の人間とのハーフなんだ」


 ユズは前髪をかきあげた。紫色の左目が露わになる。

 外でユズがこんな行動をとることは、絶対にあり得ない。

 ユズなりに、自分の本気を見せたいのだと思った。


「異世界の人間との恋なんて……不幸を呼ぶだけだ」

「……」


 俺は……スミレさんと最後に話したときのことを思い出した。


 ――ここに来て……トーマ君に会えて、本当によかったわ。ユズルと……いつまでも仲良くしてね。ユズルのことだけが心配なの。


「……!」


 俺は何だか、腹が立ってきた。

 はたから見て、スミレさんとユズはとても仲の良い親子だったと思う。

 スミレさんは俺と会うといつも、自分の知らない学校でのユズの話を聞きたがった。

 ユズのことが凄く大事で、容姿のこととか力のこととか……心配していたんだと思う。


 じいちゃんしかいなかった俺は、母親ってこういうものなのかな、俺の母親も死ぬ間際まで俺のこと心配していたのかな、なんて思ってた。

 それでも……スミレさんは、あんなに幸せそうだったのに。


「お前……不幸しかないって思ってるのか?」


 スミレさんの笑顔を思い出して、俺は思わずユズに掴みかかった。


「スミレさんのこと……お前が全部、否定するのかよ!」

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