3.俺たち三人、これからどうするか

 昨日の講義が最後。俺は、今日から夏休みに入っていた。

 これからたっぷり2か月ぐらい、大学は休みだ。

 昨日の土砂降りの雨とは打って変わって、今日はとてもいい天気だった。


 俺はシィナをユズに預け、買い物に出かけた。

 今は俺の服を適当に着せているけど、それじゃ外にも出られない。普通の女の子の洋服が必要だったからだ。


 アパートに戻ると、俺の部屋でシィナがずっとテレビを見ていた。

 そしてユズは、シィナの左側に座ってなんだか難しそうな本を読んでいる。


「……いま……ことば……おも……だす」


 シィナがテレビを指差してにっこり笑う。


「あー、勉強しているのか。えらいな」


 頭を撫でてやると、シィナはますます嬉しそうな顔をした。


「これ、着替え。よくわからんからマネキンが着てたのを丸ごと買ってきた」


 袋をシィナに渡すと、シィナは嬉しそうに抱え、着替えるためにトイレに行った。

 その姿を見送ると、俺はユズの方に向き直り


「ユズ、俺さ、2週間後に泊まりのバイトが入ってるんだけど……そのあと、じいちゃんのところに帰ろうと思ってたんだ。ユズも来るよな」


と半ば強引に言ってみた。


 母親が死んでユズは住んでいた家を引き払ってしまっていたから、もう帰る場所はなかった。

 シィナのことがあってもなくても、俺はユズを誘うつもりだった。


「うん……そうだね。ありがとう」


 ユズはそう答えると、本を置いて俺の顔をじっと見た。


「僕、トーマに話そうと思ってたことがあるんだ。……ひょっとしたら、シィナにも関係があるかもしれない。でも……今はまだ、わからないことも多くてうまく話せないんだ。だから、待っててくれる?」

「ああ……うん」


 俺が頷くと、ユズはちょっと安心したように微笑んだ。

 それきり何も言わなかったが……シィナにも関係があるってどういうことだろう、と疑問に感じた。だって、てっきりスミレさんの話だと思っていたから。


 そうか、そういえば昨日も……何回か、俺の質問に答えなかったっけ。

 待つしかないよな。ユズには、ユズなりの考えがあるはずだから。

 


 夕方になって、俺達は三人で近所に散歩に出かけた。

 シィナは日差しに弱いらしく、昼間は外に出たがらなかった。とても色白だし、肌が弱いのかもしれない。

 でも、ずっと家の中にいるのは健康に悪いし。


 俺の帽子を被せてやると、シィナは

「大きい……」

と呟いた。


「まぁ、日除けにはいいだろ」


 帽子の上からぽんぽんと軽く叩くと、シィナは俺を見上げ、帽子を両手で押さえながらニコッと笑った。

 ユズも眼鏡をかけて目深に帽子をかぶった。

 今日はコンタクトをしていないから、見られないようにするためだろう。


 アパートを出てしばらく歩くと、昨日シィナを拾った場所に通りかかった。

 何となく空を見上げてみたけど、やっぱり何もない。

 辺りをぐるりと見回してみたけど、いつもの馴染みの風景で、特に変わったところはなかった。


 三叉路に突き当たる。正面は線路が立ちふさがっていて、この向こうにある公園に行くには、随分と回り道をしなければらない。

 右に曲がり線路に沿った道を歩き出すと、ちょうど電車が向こうからやってくるところだった。

 かなり大きい音がしたから、シィナがびくっとした。


「トーマ……あれ、何?」


 俺の後ろにこそこそと隠れて、おずおずと聞く。


「電車だよ。……見たことない?」

「……」


 黙ってこくこくと頷く。

 本当に、どこからやって来たんだか。

 まぁ、考えて答えが出るもんでもないから、それは置いておくけど。


「んーと、人を乗せて遠くまで運んでくれる乗り物で……ま、今度乗ってみるか」

「……うん」


 線路に沿って歩き、踏切に出る。

 渡って左に曲がって真っ直ぐ行くと、目的地の大きな公園に出た。

 この公園は、ブランコや滑り台などの遊具が置いてある一角と、芝生が広がっている広場に分かれている。

 小学校の体育館ぐらいの広さはある、かなり広い場所なので、昼間ならよく子供たちがサッカーをしたりしている。

 だけどもう夕方だから、子供達もまばらだった。


 シィナはブランコを指差すと

「あれ、今日……見た」

と言って走っていった。テレビで見たのかな。


 見よう見まねで腰かける。しかし、漕ぎ方はよくわからないらしい。

 仕方ないから俺が押してやると、シィナが嬉しそうに笑った。

 そんな俺たちの様子を、ユズが少し離れた滑り台に寄りかかりながら眺めていた。

 心なしか、表情が固い気がする。

 シィナを眺めながら、俺にしようとしている話について考えているのかもしれない。

 こういうときは、無理に仲間に入れよう、とかはしない方がいいんだ。

 長い付き合いだから、よくわかっている。


 そのとき……ふと、公園全体が暗くなった気がした。

 辺りを見回すと、ジャングルジムに登っていたはずの子供たちの姿が消えている。

 芝生の広場でボール遊びをしていた子供たちもいない……本当に、誰もいなくなっていた。

 シィナはブランコを降りると、俺の後ろに回って服にしがみついた。少し怯えているようだ。


 だいたい、この暗さは何だ。急に雨雲でも……。

 

 そう思って空を見上げようとして――息を呑んだ。

 どこからともなく、上下黒の服を着た男が現れたからだ。

 赤い髪が目に飛び込む。


 まさか、誘拐犯?

 シィナは、どこかから逃げてきたのか?


 そう思ってシィナを庇ったが、赤い髪の男はなぜかユズに向かって走っていた。


「ユズ! 逃げろ!」


 俺はユズに向かって大声で叫んだ。

 ユズは俺の方に走って来たが、すぐに男に追いつかれそうになる。

 思わず駆け寄ろうとした、その瞬間――背後からシィナの叫び声が聞こえ、ユズに迫っていた男が急に突風に煽られたかのように後ろに吹き飛んだ。


「……あああああ!」


 振り返ると、シィナが頭を抱えてしゃがみこんでいる。


「シィナ!」


 狙われているのはユズだが、シィナも放っておけない。

 どうしたらいい!?


「僕がシィナの傍に行く。トーマはこれを使って!」


 俺のところに走って来たユズが、どこで見つけたのか、俺に竹刀を投げてきた。

 そしてうずくまってしまったシィナに寄り添い、しっかりと抱きかかえる。


 まぁ、どっちが狙われているにしても、俺の敵には変わりないよな。


 覚悟を決めると、俺は竹刀を握り、再び迫って来た男に立ち向かった。

 男はちょっと顔を歪めて立ち止まると、俺の後ろにいるユズとシィナの方をちらりと見た。


 悪いけど、俺の剣の間合いは広い。

 先手必勝。剣道三段を舐めるなよ……と!


 一瞬で近間に踏みこむと、思い切り胴を打ち抜いた。

 よし!と思った……が、竹刀は真っ二つに折れ、男はちょっとよろめいただけだった。

 脇腹を擦り、ちょっと怯んで後じさりはしたが、あまり痛くはなさそうだ。


「固い! 何なんだ!?」


 特に防具もしてないのにどれだけ腹を鍛えてるんだよ! 生身で竹刀を受けて何ともないなんて、あり得ないぞ!


 俺が折れた竹刀に気を取られている間に男は二人に近づこうとしたが、再びシィナが叫んだ。

 何かに弾かれたように、男が後ろに吹き飛ぶ。


防御ガードだ! トーマ、じゃあ、これ!」


 ユズが再び、どこで見つけたのか分からない棒を俺の方に転がす。

 拾い上げると、ずっしりと重い鉄の棒だった。


「おい、これで殴ったら死ぬぞ!」

「さっきの見ただろ! 特殊な力で身体を守ってるんだ。絶対に死なないから、僕を信じて!」


 ユズがシィナを抱きしめながら俺に叫ぶ。

 振り返ると、男が再び立ち上がり、二人に迫っていた。


 マジかよ……。軽く骨なんかイッちまうぞ。

 もう、知らねぇからな……!


 俺は男の前に立ち塞がると、思いっきり肩に振り下ろした。

 ぎぃん……という鈍い音がする。まるで、鋼鉄の塊を殴ったような手応えだ。ビリッと痺れを感じる。

 ユズの言う通り、確かに見えない鎧で守られているみたいだ。

 でも、さすがにこの攻撃は効いたのか……苦しそうに呻いて肩を押さえていた。


 これなら確かに死ななそうだ。


 俺は思い切って顔の横っ面を棒で殴り飛ばした。


「……!」


 男はふらふらとよろけると……ばったりと倒れた。


「――ああああ……!」


 シィナの叫び声が、背後から聞こえる。

 振り返ろうとして……急に空気が変わったのを感じて、思わず空を見上げた。

 男の頭上に――空しか見えないはずの空間に、不思議な切れ目ができていた。


 ……シィナが現れたときと同じだ。


 倒れた男が宙に浮き、その切れ目に吸い込まれる。

 男の姿がすべて消えると……切れ目もすうっと消えた。

 男が消えたのと、公園が元の明るさを取り戻したのが同時だった。


「シィナ!」


 振り返ると、ユズがシィナを抱きかかえていた。

 シィナは――意識を失っていた。


「ユズ……どうだ?」


 ユズはシィナに手を翳したが……黙って首を横に振った。


「……何も見えない。怪我はしてないと思うけど……」

「……そうか」


 夕陽が、シィナの頬を照らしていた。

 顔色は悪くなかったけど……とても疲れているように、見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る