第6話 開き直りが肝心
「朱璃は、景雪に預けようと思う」
桜雅が夜明けと同時に出発した一行に告げた言葉に、桃弥が落馬しそうになった。
「ななな、何て言った? 今っ!」
「景雪に朱璃の師となってもらう」
「ないっないっ それはあり得ない! だめっだめだ! あんなへそ曲がりの根性悪にこんな純真な子供預けるなんてどうかしてる!」
飛んでくる唾を、微妙に隠し切れていない嫌な顔をして避けつつ桜雅が首をひねる。
「確かに景雪は変わり者だが、祇国随一の秀才と言われる男だ。今は隠居中で時間もあるだろうし、師としては何の問題もないだろう」
「あるに決まっているっ!秀才だの天才だと言うが、あれは紙一重の馬鹿の方だ。馬鹿でもただの馬鹿ではないっ! 変態混じりの大馬鹿だぞ。あの人が師となるくらいなら山に捨てられた方が10倍、否 100倍幸せになれる。お、おれ!朱璃の幸せのために山に捨ててくる!!」
そう言うと、桜雅と桃弥の口論に目を丸くしていた朱璃を、馬の上からガシッと捕まえ、自分の方に抱きあげようとした。
桜雅も取られてなるものかと、自分の前に座る朱璃の腰にしっかりと腕をまわす。
イケメン2人が私を取り合い……
現実逃避するしかない朱璃であった。
「こらこらーちょっと待て」
「桃弥 落ち着いて下さい。朱璃がびっくりしているでしょう。可哀想に」
様子を見ていた泉李と莉己が見かねて2人の間に割って入った。朱璃は何とか再び桜雅の方へ引き寄せられる。
「莉己様、朱璃があまりに気の毒です」
桃弥が涙すら浮かべ、必死で抗議するのを見て、泉李は複雑な心境だった。
間違いなく、景雪は変人だが実弟にここまで言われるというのも どうかと思う。
景雪は名門秦家の次男(桃弥は三男)で、幼きころより文武共に優れ、同世代では右に出るものはいなかった。その実力を買われ、15歳という若さで官吏として朝廷入りし、名宰相 朴 典康の片腕としてその名を轟かせた。そして、4年前、前王の病死による政権交代で、王の器とは言い難かった第1公子ではなく、第2公子を、着任させた立役者となった。
しかし、その1年後、彼は官史を辞めてしまったのだ。
実は、官史となる前に『10年だけ』という約束が秦家当主である父親との間でなされていた。溢れる才能を持ち得るのに、全く国政に興味を持たず、ふらふら遊び回ってばかりの次男を、何とか落ちつかせる為の苦肉の策だったらしい。
結局『10年間は、国と王に忠誠を誓うが、その後は自分に一切関与しない』という事で双方が妥協した。そして、もしかして10年の間に気が変わるかも知れないという淡い期待を裏切り、きっかり10年後、周りの猛反対を物ともせず官史をやめたのだ。
そんな事情を知らない人々は、全ての地位も名誉も捨ててしまった名官史
元々、文句のつけようのない整った顔立ちとその貴公子っぷりからも人気が高かった。極めつけは数年前に恋人を無くした事はこの国で知らぬものはおらず、それが原因だと悲劇のヒーローごとく伝説のように語り継がれているらしい。
この話には、もう1つ秦家側から見た伝説と言われているものがある。
実弟曰く、父親の当主はもちろんのこと、母親、兄弟を含む身内の誰もが、10年間朝廷勤めを果たすとは思っていなかった。一応大人しく朝廷勤めをする景雪に、天変地異の前触れだと3年を過ぎたあたりから、いつ何時、何があっても大丈夫なように防災対策は完壁になされていた。光州だけではなく、各州の秦家一族の屋敷には、数年は生活に困らないだけの 備蓄が揃っている。というのだ。
『桃弥のお兄様?』
どうやら、今から自分が連れていかれるのは桃弥の兄のところで、桃弥が激しく反対しているらしいということはわかった。さっきまでの様子からして、嫌な予感しかしない。
そんな心情を察っしてか、桜雅が朱璃の頭をやさしくなでた。
「心配いらない」
言葉が判れば、
「いやいや心配するでしょ。怪しさ全開でしょ」
と鋭いツッコミを入れていたであろうが、生憎意味は分からず、優しい笑顔を見つめる事しか出来なかった。
いやー何度見ても男前。
現実逃避しつつ、桜雅を信じるしかないと朱璃は腹をくくり、ゆっくりとうなづいた。
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