2―6 毒味

 神父の芝居を続けるようにとアルはジョンストンに依頼された。依頼というが、実体は命令だった。本来の依頼は、毒味をしてほしいというものだ。

 誰かが毒を盛っているとドイル医師から知らされたジョンストンは、アルに毒味役の白羽の矢をあてた。犯人とて、神父を殺すような罰当たりなことはしたくないだろう、神父が毒味をするとわかったら、食事に毒を入れるような真似はしなくなるだろうというのがジョンストンの考えだった。

 罪喰いとは別口の仕事と考えてもらいたいと言われ、報酬も提示された。寝る場所もあり、食事も出る。引き受けないわけがなかった。

 衰弱したジョンストンに出される食事は日に五回。食欲は落ちているため、一回の食事の量はたいしてない。出される食事は、消化や食べやすさを考慮した内容で、薄い味付け、柔らかい食感と、アルにしてみればまるで食べ応えがない。

 仕事だからと割り切って療養食を口にするアルだが、朝食のオートミールだけは閉口した。味(の無さ)、食感ともに苦手なのだ。毒味だからすべて食べるわけではないが、スプーンの先をかすかに埋めるだけの量を口にするのも嫌だった。だが、ジョンストンが目玉をぎょろつかせてアルを監視しているため、食べざるを得なかった。アルが確かに食べた様子を見届けないと、ジョンストンはその食事を口にしない。

「オートミールだけ、私がかわりに食べましょう」

 毒味を始めて三日目の朝、見かねたようにパメラ看護師が申し出た。執事のローソンにかわり、パメラ看護師が食事を運ぶ役目を務めていた。

「神父さまは苦手なようですから」

 ジョンストンは特に反対しなかった。パメラ看護師がオートミールを口に運び、飲み込んでしまうところまでしっかりと見届けてから、ジョンストンはパメラ看護師の手で運ばれるオートミールを口にするのだった。

「娘も苦手でしたよ」とパメラ看護師は小声で言った。

 ジョンストンは食後の投薬の影響で眠りについてしまっていた。毒味役を据えているとはいえ安心しきれないジョンストンは、食後数時間は病室を離れないようにとアルとパメラ看護師に命令した。間違いがあった場合、パメラ看護師がそばにいれば手当してもらえ、死ななくてはならないというのならアルの罪喰いで地獄行きを免れようという魂胆である。

 一日に五回の食事の後の数時間を病室で過ごしていると、ほぼ一日を病室でパメラ看護師と共に過ごしている計算になる。ジョンストンの面倒をみていない間、パメラ看護師は本や新聞、雑誌を読んで時間をつぶしていた。アルは寝て過ごした。そのうち、パメラ看護師が読み捨てた新聞のクロスワードをするようになった。合間に、ふたりは時たま会話をするようになった。

「今は食べられるようになったんですか?」

「え?」

 驚いてみせたパメラ看護師に、逆にアルが驚かされた。

「だって、『苦手だった』って」

「ああ……そうですね」

「僕はダメです。どうやっても食べられない」

「娘は、ジャムだとかシロップを掛けて無理やり食べてましたっけ。栄養価が高いものですから、食べてもらいたいと私が食べさせたんですけど」

「僕は……無理でしょうね」

 オートミール嫌いは遺伝するのだろうかとふとアルは思った。エヴァとの間に子供が出来たとして、その子供も食べたくないとだだをこねるのだろうか。

 ジョンストン邸に思いのほか長くとどまることになりそうだとなり、エヴァに連絡しなければと真っ先に考えた。

 「天国」の電話番号を押し、留守電のメッセージを耳にしたとたん、アルは受話器を置いていた。どういうつもりで、今さらエヴァにつながろうとするのか。子供を望むエヴァを自分のもとに引き止めてはおけない。ならば、糸の切れた凧のような今のまま、どこかへと漂い消え去ってしまえ。エヴァは納得するだろう。納得するしかない。

「神父さま」

 アルにむかって呼びかけたパメラ看護師の声音はいつになく真剣だった。

「神父さまに聞いていただきたい話があるんです。神父さまは聞いた話を誰にも口外してはいけないのですよね?」

「それは懺悔の話ですね」

「懺悔でなくても、人から打ち明けられた話を他の人にして回ったりはなさならいでしょう?」

「しないでしょうね、神父なら。言っておきますが、僕は神父ではないんです。こんな格好をしていますが」

 いまや一張羅となってしまったカソック姿のアルは、両肩をすくめた。

「神父でないなら、何なんです?」

「……修行中の身です」

 修道士であった過去は事実である。神父になりそこね、なろうという意思はすでになかったが。

「修行中であったとしても、神父さまたちと同じように振る舞わなければならないのですよね」

「そうですね」

「聞いてもらいたい話があるんですが、神父さまの胸の内にだけとどめておいていただけますか?」

 どのみち、パメラ看護師以外に親しく口をきくような人間はいない。噂話をしようにも相手がいないとアルは口外しないと約束した。

「ドイル医師が、誰かがジョンストンさんを殺そうと毒を盛っていると仰ってましたが……私、犯人を知っているんです」

 アルはとっさにベッドに横たわるジョンストンをみやった。仰向けの姿勢のまま、ジョンストンは眠っている。寝たふりでいるのかと疑いたくなるが、食事の時、ベッドのシーツを替える時、医者の往診時などにはパメラ看護師に起こされて目を覚ますぐらいなので、深い眠りについているのは確かだ。

 だが、念には念をとばかり、ジョンストンに聞かれまいとパメラ看護師は声をひそめた。

「犯人と決め付けるのは性急かもしれません。もしかしたら、私の勘違いかもしれませんし」

「犯人と思われる人物が、ジョンストン氏の食事に毒を盛っているところを見たんですか?」

「直接、そういった現場を目撃したというわけではないんです。その人がジョンストンさんの食事の用意をしているそばをうろうろしていても不自然ではなかったし。でも、ドイル医師から、誰かが毒を盛っていると聞いて、ああ、それならあれはもしかしたら毒を盛っていたか、盛ろうとしていたところではなかったのかと思うようになって……」

 ジョンストンの食事は、雇われた料理人が用意している。ドイル医師の告発により、以前の料理人は解雇された。解雇された料理人は、ジョンストン専任の人間だけではない。台所に自由に出入り出来ていたという理由から、ベジタリアンの夫人専任の料理人まで解雇された。

 すぐに別の料理人チームが雇われた。ろくに身分の照会もせずに雇い入れたものだから、執事のローソンは危険だとジョンストンに忠告していた。ジョンストンは、急雇いだから逆に殺意のある人間は邸に入り込む余地がなかっただろうと説いた。仮に、夫人、ノーマン、ライアンといったジョンストン周囲の人間が毒殺を目論見、料理人を利用していたとしても、新しい雇人には「毒を盛ってくれ」と近づけないだろうとも言った。

 ジョンストンの言い分は理にかなっている。仮に、毒が食事を通して盛られていたらの話ではあったが。

「パメラさん、その話、誰か他の人にしましたか?」

「まさか。こうやって神父さま――神父ではないのにそう呼ばれるのは嫌ですか、え?、構わない?、なら、そう呼ばせていただきますが、神父さまだけにです」

「犯人は、パメラさんに疑われていると気づいていると思いますか?」

「さあ、どうでしょう……」

 パメラは小首を傾げた。

「犯人はいまだに毒を盛っていると思いますか?」

 妙な味の料理はなかっただろうかと記憶をたどりながらアルは尋ねた。はたしてヒ素には味はあるのだろうかとも考えた。

「無理だと思います」と小首を傾げた姿勢のまま、パメラ看護師は答えた。

「今は料理するところから私がみていますから。出来上がったら、お盆に乗せて病室まで私が運んできていますし。大丈夫ですよ」

 毒味役のアルを安心させようと、パメラ看護師はアルの背中をぽんぽんと叩いた。

「でも、毒が盛れなくなったら、犯人はどう出るんでしょうね」

「パメラさんは、犯人はジョンストン殺害を諦めていないと考えているんですか?」

「ええ……。どうしてジョンストンを殺したいのか、動機はちょっとわかりかねるんですけど。まあ、ジョンストンさんは気難しいところがあるし、金の亡者なんて言われて世間様からは嫌われてますけど、殺すとなると相当な恨みですよね。一度沸いた殺意は相手が死なないことには収まらないと思うんです。毒殺の計画が暴露されてしまったので、今ごろは別の手段を考えているんじゃないかと。だからね、私思うんです。ジョンストンさんは神父さまに毒味をしてもらっているけれど、犯人は別の方法を考えているだろうから、毒味はするだけ無駄だろうって」

「じゃあ、僕は毒味を続けても安全だということですね」

「神父さまはね。ジョンストンさんはわかりませんけど」

 手段はどうとでも――ふとドイル医師ことサタンの言葉が思い返された。

「神父さま」とパメラ看護師はアルに向き直り、

「私、ジョンストンさんに毒を盛っていた人に、ジョンストンさんを殺すのはやめるようにと言った方がいいでしょうか」

「それは危険すぎる」

 即座にアルは首を横に振った。

「ジョンストン氏を殺そうとしているとあなたが知っているとわかったら、あなたを先に殺そうとするでしょう。パメラさん、あなたはもしかしたら勘違いかもしれないと言った。犯人ではない人間にむかって、ジョンストン殺害をやめるようにと言っているところを、真犯人にでも聞かれたりしたら、やはりふいを突かれて殺されてしまいかねない」

「神父さまからそれとなく説いてみるというのは?」

「説教は苦手です。こういう言い方は何ですが、人を殺すことはいけないことだと散々言われているわけです。犯人だって耳にしているはずです。聖書にもそうあるし、法律上でも罰せられる。倫理上の葛藤をすでに乗り越えて犯人は実行に移っているんです。今さら、やめろと言われてやめるとは到底思えません」

 パメラ看護師は、眠っているジョンストンをじっと眺めつつ「ジョンストンさんがこのまま死んでくれるのがきっとベストなんでしょうね……」と呟いた。

「パメラさん、さっきも言ったように、非常に危険なので犯人と思われる人には何も言わないように。それから、この話も、誰にもしないでください。特に、ドイル医師には絶対に秘密にしてください」

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