1ー2 代理人

 コーヒーを買って帰ると、部屋に見知らぬ男がいた。

 近所に行くだけだからと、バーの入り口には鍵をかけなかった。ドアの外にはトムじいがとぐろを巻いている。酔っぱらっているので用心棒になりはしないが、みせかけだけの監視カメラくらいには役に立ってくれるだろうと期待していた。バーに戻ってきた時、空き瓶を残してトムじいの姿は消えていた。金が底をついたと気づいて、街角に立って稼ごうとでも考えたのかもしれない。バーに入れてしまえば二階のアルの部屋までは素通りだった。

 男は一脚きりしかない椅子に腰を下ろし、ベッドサイドテーブルのはじに肘を預けていた。部屋の主であるアルを目の前にしても立ち上がろうともしない。

 年は四十前後、ブラウンの髪は短めできちんと整えられている。髪と同じ色のブラウンの瞳。ダークブルーのスーツにのりのきいた明るいブルーシャツ、シルクのタイはシャツよりも濃い目のブルーで、スラックスにはきっちりと折り目がついていた。組んだ足先の靴は顔がうつりこみそうなほどに磨きこまれている。

「鍵がかかっていなかったのでね。勝手に入らせてもらいましたよ」男は悪びれずに言った。

 「クレイグ・ノーマン」と名乗った男はスーツの胸ポケットから名刺入れを取り出し、慣れた手つきで名刺を差し出した。その間、ノーマンは椅子に座ったままだった。

「弁護士が何の用だ?」

 名刺を受け取らなかったアルに職業を言い当てられ、ノーマンは動揺を隠せずにいたが、すぐに冷静さを取り戻し、受け取ってもらえなかった名刺をテーブルの上に置いた。

 ノーマンを一目見た時から、アルはその正体にピンときていた。

 ハリケーンが去った後、ニューオリンズを襲ったのは弁護士の一団だった。保険の支払手続きの請求は煩雑だから専門家の手が要るだろうというのである。しかし同じ弁護士たちは保険会社にもつけいっていて、保険の支払をどうにかこうにか回避する術を企業側に授けているのだった。

 上等なスーツをまとった身なりは清潔なハイエナたち。当時、アルが抱いた弁護士に対する印象だった。見かけだけは上品にみえるノーマンから、アルは弁護士独特の悪臭を嗅ぎ取っていた。

「店の件ならオーナーと話をしてくれ。ただの雇われバーテンダーなんだ、こっちは。客の揉め事についてっていうんなら、バーの管轄外の話だ」

 出て行けとアルは目線をドアにやった。

「あなたに用があるんです」

「僕の方では弁護士に用はない」

「あなたを探しだしてこいと依頼人クライアントに言われましたのでね」ノーマンは組んだ足をぶらつかせるばかりで、立ち上がる気配すらもない。

「最近の弁護士は探偵の真似事もするんだな」

「クライアントの依頼ですから」

 ノーマンは腕時計に目をやった。金回りのよさを誇示するかのように豪奢な造りの巨大な文字盤フェイスが手首を覆っていた。

「思ったより、時間がかかってしまいましたがね。あなたに会ったことのある人間は全員死んでいるし、目撃した人間によれば、背の高い、金髪ブロンドに青い目、二十歳ぐらいの男だっていう話で、そんな男がアメリカ中に、いや世界中にどれだけいるっていうんですか」

「お宅が探している男はどこにでもいる男のようだな。どうして僕がお宅の探している男だと?」

「人を探し出すコツってものがあるんですよ。金の流れを追うんです。人は金を使う。金を使った痕跡はまるで糞のようにその人間の生活圏内に残る。フンがあればコヨーテが生息しているとわかるようなものでね。ターゲットの人物がいそうな場所での金の動きを見れば、隠れていても見つけ出せる。蛆には蛆の居場所というのが必ずある。生きている動物にはわかないものだ」

「金の臭いをさせている人間にたかる蠅ってのもいるな」

 アルの放った嫌味のジャブにもノーマンは無反応だった。自分のことを言われているのだと気づいていないらしい。感覚が鈍化しているのか、もとから神経がないのか。

「居場所はすぐにつかめたんですが、連絡の手段がなくて参りました。手紙なんて古い手段に訴えましたけど、なしのつぶて。電話はいつも留守電。それでわざわざこうして出向いてきたってわけです」

 さてはここ最近の無言メッセージの主はノーマンだったかと合点がいった。勧誘やセールスの電話が面倒なので店の電話は留守電にセットしっぱなしである。アルが電話には出ないと知っている関係者は留守電にメッセージを残すようにしているので、バーの仕事に支障はない。

「単刀直入に」ノーマンは時計に目をやった。

「私のクライアントはあなたにやってもらいたい『仕事』があると言っています」

 自分の役目はテープレコーダーとしてクライアントの言葉を再生するだけだと言わんばかりに、ノーマンの声には何の抑揚も感じられなかった。

 「仕事」の依頼かと、アルは身構えた。

 アルは、とある「仕事」をしている。初めの内は自ら「仕事」を取りにいったものだったが、最近では口伝えにアルの存在を知った人間から依頼されるようになった。

 ニューオリンズでその「仕事」をしたのは三年前が最後だった。その時の依頼者の関係者からアルの居場所が漏れたのだろう。

「お宅は『仕事』の内容を知っているのか?」

「あなたがただのバーテンダーではないってことぐらいは調べがついています」ノーマンは薄笑いを浮かべた。

「『仕事』の内容が殺人でも、お宅は気にしないんだろうな」

「クライアントの依頼を完遂するのが我々の仕事です。銃を用意しろと言われたら用意するまでの話です。クライアントが銃で何をしようと、我々の関知するところではない」

「お宅が用意した銃で人が死んだとして、良心は傷まないのか?」

「なぜ、銃が人を殺すために用いられると思うんです?」ノーマンは逆に質問を投げかけてきた。

「クライアントは、もしかしたら銃を使って人助けを――鍵を撃ち壊して中に閉じ込められている人間を救出するだとかいった――するつもりでいるのかもしれない。そうは考えられませんか?」

 返事のかわりにアルは皮肉な笑みを浮かべるにとどめた。初めの意図は善意であっても、銃に象徴されるような力を手にした人間がすべからく堕ちていく図をアルは嫌というほど見て来て知っている。

「いずれにせよ、クライアントの意図は我々の知るところではない。私はあなたを探して『仕事』を依頼するようにと頼まれただけです。それ以上でもそれ以下でもない。クライアントがあなたと何をしようとしていても、私には一切関わりのないことです」

 ノーマンの視線が下をむく。アルと話をしながらもう何度も時計を確認し続けている。よほど時間が気になるのか、それとも時間を確認する癖がついてしまっているのか。

「今日の午後の便で来るようにと。それとこれは手付金ということで」

 ノーマンは小切手と航空券を取り出した。アルに歩み寄ってくるわけでもなく椅子に座ったままである。人に物を頼む態度では到底ない。

 弁護士は時に依頼人の威を借りる。弁護士は依頼人の代理人エージェントなので、そうならざるを得ない。ノーマンの態度から、アルは依頼人が容易に想像できた。何事も自分の思い通りに進まなければ気がすまず、まっすぐなものを曲げてでも思い通りにしてきた人物。邪魔者には容赦なく、利用できるものなら道端の石ころでさえも利用し、役目を終えたらさっさと切り捨てる。自分が金で動くものだから、他人も金で動くものだという信条でいる。特に珍しいタイプの人間でもない。アルに「仕事」を依頼する人間の大半はこの手合いだ。

「金額に不満があるというのなら、クライアントはあなたの言う金額を支払う用意があると言っているとお伝えしておきましょう。先程も言いましたけど、あくまでもこの金額は手付金としてのものですから」

 アルが受取ろうとしないので、ノーマンは小切手と航空券をテーブルの上に投げ捨てて部屋を出ていった。

 ノーマンは依頼人の名前を口にしなかった。アルも尋ねなかった。依頼人がどこの誰であるかはアルの関知するところではない。

 奇しくもノーマンは「依頼人の意図は関知しない」という私見を口にしたが、プロとはそういうものだとアルも同じ意見である。その「仕事」をする時、アルは依頼者に何も尋ねない。淡々と「仕事」をこなすだけだ。

 ノーマンは一方的に自分の依頼人の要望を述べ、アルのイエスかノーかの返事も聞かなかった。おしつけるように航空券と小切手を置いていったのは、ノーという選択肢はありえないという意思表示で、それは依頼というよりは命令でしかなかった。

 そういう依頼のされ方にアルは慣れている。判断はするものの他人に指示を出すだけで自ら手を下さなくなった人間は、往々にして命令口調になる。「助けてくれ」の一言が言えず、「助けろ」になる。

 アルに「仕事」を依頼する人間には金持ちが多い。金持ちの依頼人からはアルは大金をむしりとる。全財産を出せという時もある。依頼人は必死なので「助けろ」と泣きついて全財産をなげうつ。何も知らない遺族は、受け取るべき財産を失って青くなるか、悪くするとアルを罵る。アルは、依頼者から頼まれた「仕事」をこなし、その対価を得るだけだ。「仕事」が依頼者外に及ぼす影響については、知ったことかと無視を決め込む。実際に、アルにはどうしようもないからだ。

 アルは「仕事」をこなし、依頼者とは「仕事」上の関係しかもたない。どんな人間であろうと、どんな依頼のされ方をしようと、「仕事」だと割り切る。

 だが、何かがひっかかり、イエスの返事がすぐには出来ず、かといってノーも言えなかった。

 狭い部屋だ。歩いてこなくても、椅子から立ち上がってアルにむかって差し出すだけで小切手はアルの胸先をかすめたはずだ。だが、椅子に座ったまま、ノーマンは胸先で小切手をちらつかせるだけだった。

 手をのばせば、小切手の端を指先に挟めただろう。だが、アルは右手にはコーヒーを持ち、左手はポケットに手を入れたままの姿勢を崩さなかった。

 金は欲しい。受け取るにしてもプライドというものがある。金を渡す方には礼儀があるはずだ。施しではない。仕事の対価として受け取るのだ。取れるものなら取ってみろといわんばかりのノーマンの不遜な態度が癪にさわった。

 花模様の描かれた繊細な鉄柵にもたれながら、アルは外を行くノーマンをバルコニーから見送った。

 通りに出るなり、ノーマンは時計を確認した。

 弁護士は時間で稼ぐ。一分一秒が金銭の出入りに作用する。アルに「仕事」の依頼を伝えに来ただけでノーマンはどれだけの金を稼いだのだろう。ひとつの仕事を終えたからには彼の頭はもう次の仕事のことを考えているだろう。

 ノーマンは携帯電話で誰かに連絡をとっていた。

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