厄介者

 MFDのマップに水溜りのような形の空域が示される。MiG-29のどちらかからデータリンクで送られてきたものだ。それがスロストのテリトリーらしい。長いところで直径4000kmほど。フランカーの行動半径を考えれば、たとえ低空の燃費に縛られているにしても、確かにそれくらいの範囲になる。それだけ広大な空域だと避けるわけにもいかない。

「やっぱり他の飛行機もいるんだ」私は言った。

「そうね。私たちは日に4つか5つくらいのグループと接触している」とイトナ。

「全部が敵対しているの?」

「そんなことないよ。燃料や空母を共有してるグループもある。それぞれやり口が違うから、それが合うか合わないかだね」

「仲が悪いのに出くわしたら真剣にやり合うほかないのか」

「やらなくてもいいけど、そんなに消極的だと完全に先手を取られて確実に落とされるよ。自分から仕掛けるくらいの気持ちでいないと」

「なるほど。全部が全部仲良くするわけにはいかないわけだな」

「みんながみんな飛び続けるには燃料が足りないんだ。あなたみたいな新入りが時々入ってくるから」

「強くなければ生き残れない」

「そう。私たちみたいなお人好しだって、強くなくっちゃやっていられないんだ」

 やはり交戦しなければならない。補給できた安堵も束の間、私はグローブを嵌め直した。


 燃料タンクのゲージがフルを示していた。燃料弁が閉じてメルーのパイプからの流入を食い止め、プローブの口金がドローグをリリース。互いの年式が離れているせいか、切り離しの時に余った燃料が飛び散った。キャノピーに付着した油滴が後ろへ流れていく。

「お腹いっぱいになった?」メルーが訊く。

 私に訊かれても困る。黙っているとジュラが答えた。

「なったよ。ネフ、イトナ、お先にありがとう」

 回り込みをかけたネフの方が距離を飛んでいる。次はネフがドローグに食いついた。

「私は少し先に行ってスロストの警戒をする。カティ、いいよね?」ジュラは私に呼びかけた。

「ネフと私は給油が済んだらできるだけ左右に広がって、もしジュラがスロストを見つけたら側面から不意打ちをかける」イトナが言った。

「いいね、連携戦闘だ」とネフ。

 スロットルをミリタリーまで開く。機外兵装はほぼゼロなので700km/h余りから加速して間もなく1200km/hに達する。Su-35はいわゆるスーパークルーズ、アフターバーナーなしで音速を超える能力を持っているが、低空では音速も速く空気の壁が厚いので遷音速で打ち止めになる。

「以後、会敵、あるいはスロスト空域の突破まで無線封鎖」イトナが仕切る。


 レーダー、SCANモード。

 静かな空が戻る。

 まるでガラス玉の中にいるかのような水平線も見えない果てしない空。

 霧のようなごく薄い雲が時折前方から流れてきて主翼にぶった斬られる。

 手動でパルス幅を変えたりゲートを動かしたりしていたが、5分、10分経っても音沙汰ない。

 11分……。


 12分、無線が入った。

「メルーだけど、スロストが来たよ」

「え?」

「スロストがここにいるの。真下から来たから全然気づかなかった」メルーは続けた。

「ネフ、北東、後方に回り込む」

「イトナ、側面」

 それぞれ行動を宣言している。

「ジュラ、前上方」

 操縦桿を引いて急速ループ。速度が下がり高度が上がる。エネルギーの交換だ。反転したところでハーフロール。高度を使って加速。

「メルー、平気なの?」私は訊いた。

「誰も給油機には攻撃しないよ」

 快晴かつSu-35程度の目標なら80kmほどで捉えられるはずだが、SCANモードの俯角は60°だから高度差が70km以上あると相手はこちらの視野に入らない。現実世界なら高度7万メートルなんてジェット機では到達さえできない。スロストは低空・・から潜り込んで突き上げたのだ。盲点だった。


 TWSモードにしてHUDのゲート[1]をボギー、つまりスロストのマーカーに合わせる。メルーとスロストの間には100mの間隔もない。今は一応メルーのマーカーとは区別されているが、チャフで欺瞞されたらメルーの方にロックが誘引されるおそれがあった。たとえミサイルを持っていたとしてもメルーを誤射してしまうかもしれない。平たく言えばスロストはメルーを盾にしているのだ。

「我が名はスロスト。先鋒のスホーイ、名前を聞いておこう」凛々しい声が言った。それがスロストだった。まるで女騎士だ。

 周波数をこちらに合わせている。傍受して割り出したのだろう。無線封鎖より先に気づいていたから直下奇襲をかけられたのかもしれない。

「正々堂々名乗っても卑怯な手を使ってることに変わりはないぞ」ネフが啖呵を切った。

「3対1で卑怯と言うか」

「数的有利は戦いの基本だっ」

「私はジュラ」ジュラは舌戦の間隙を縫って物静かに名乗りを上げた。

「ふん。ではジュラよ、手合わせ願おう。ミグの姉妹、手出しはしてくれるな」

「仕方ないな。ジュラ、ボコボコにしちゃっていいからね」とネフ。

 ネフとイトナが背中を向けると、スロストはメルーとの並航をやめてくるりと反転、一気にMiG-29の射程から離脱した。私はメルーの横をすり抜けてスロストを追う。

「ジュラ、悪いけど任せるよ。私たちが追い続ければスロストは戻ってこない。燃料の無駄になる」イトナが言った。

「いいよ。ここで仕留める」私が答える。

「スロスト、ジュラはミサイル持ってないよ。正々堂々やんな」

「ブラフではないな?」

「本当だよ」とジュラ。

「ならばよかろう」

「なんだ、信じるのか……」イトナが呆れる。

「たとえブラフでも、このスロスト、簡単には落とされない。その時は撃ち返すまでだ」

 燃料補給を胴体タンクだけにしておいて正解だった。推力自重比はこちらが勝る。相手はこちらほどエンジンパワーがないし、何よりカナードという重石をくっつけている。燃料を積み過ぎればそのアドバンテージを自分から埋めてやることになってしまう。

 スロストは速度を保ったまま旋回してこちらに機首を向けた。

 距離4000m。

 ヘッドオンをバレルロールで躱して互いに旋回。

 まるでドッグファイト演習のような空戦が始まっていた。



―――――

[1]いわばレーダーの照準のこと。TWSモードではHUDに小さな四角い枠が表示され、これを目標に合わせてロックすることでSTTモードに移行する。

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