バター猫のパラドクス【From:ヒラメキン】
職場の新年会。
二次会まで酒一本を渡る。この職場は飲んべいが多い。もちろん、あたし含めて。
ただしあたしはどうも女性ホルモンに振り回されるタチみたいで、あまり多くのアルコールを摂取する気分になれなかった。スコッチのソーダ割り五六杯で幕引き。
サトー氏がそりゃもうしつこく三次会に誘ってきた。きっぱりとお断り申し上げる。この人はあたしのことがとても好きなんだな。うぬぼれじゃなくね。
ま、あたしというよりは身近な若い女を好いているという感じ。蜜に誘われる昆虫のようなものかね。露骨に下心を披露してくるわけ。あたしは伸びてくるやらしい手をぱちぱち叩いてやる。も~、やめてくださいよ~、次触ったらひき肉にしてくれちゃいますよ~。わかるかな?わからないんだね。そんなのちっともおもしろくないってことがさ。
けれども根っからの悪い人じゃないというのが、なかなかむずかしいところなんだな。それに四十半ばで奥さんに逃げられた男のモノ悲しげな微笑は女心に訴えるものがあるのもたしか。事務の平田さんはおそらく彼に惚れているなとあたしは睨んでいる。
しかしね、男のこんな鈍さが女のあいだにややこしい問題を持ちこむことしばしばなのだよ君。うとましくも、うらやましくもある男の馬鹿野郎が。
最寄りの駅について濁った頭を冴えさせるために煙草を吸いながらドーナツ屋でカフェオレをちびちび飲んでいると、ガラス窓のまえを見知らぬ男が通り過ぎた。一瞬眼が合った。男は店内に入ってくると、許可なく無遠慮に対面に腰かけ、退屈で身勝手な言葉を並べた。
あたしは煙草を灰皿に押しつけて、カップの底のカフェオレを飲み干し、背もたれにかけたコートを掴んで店を出た。もし追いすがってくるようなら灰皿を頭蓋骨のてっぺんにごっつんこさせてやるところだったけど、そうならなくてよかったよね。お互いに。
なんだか歩く足が重くて、疲れて、途中の公園に寄ってブランコに揺られながら酒と泪と男と女をふんふん口ずさんでいると、足音が近づいてきて、うつむくあたしの前で止まった。
やれやれまたですか。やれやれやれ。
キッとにらむように顔をあげると、男が立っていた。
あら。
しかし男は男でも見たことのある男だった。
あらら、おひさしぶり。
それはいつかの夜のキザ男であった。
キザ男は月が綺麗ですね、と言うと、あたりまえのようにとなりのブランコに腰かけた。そして、相変わらずの調子で、平成最後のラブアフェアだとか、一富士二鷹より君を夢見る正月だとか言うもんだから、あまりのくだらなさに笑ってしまったわけ。
AHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA。
もうね、あたしはときどきどうしようもないくらいに気分がへとへとになっちゃうときがあるんだよ。
それでも彼はあたしが笑ったことに勇気を得たらしく、ブランコのうえに立って前に後ろに勢いよくこいでは一回転してしまうのではないかと思うほどにぐんぐん速度をあげて、さらさらのキノコ頭を風にざわざわとなびかせると、見ててくださあい!と叫び、可愛らしいサンダルの片方をぽーんと飛ばした。
おおきな放物線を描いたラメ入りのサンダルはキラキラ回転しながら道を越えて隔てた先の立派な邸宅の庭へと消えていった。
犬がぎゃんぎゃんと吠えた。
ああ!と情けない声を出して、ブランコに急ブレーキをかける彼。
すごいじゃないの、とあたしが言うと、やりすぎた!と彼は頭を抱えた。
毎度のことでしょ、やりすぎは、とあたしが小ばかにしていると、彼は残った足でふらふらとけんけんしながら靴の行方を追いかけようとした。
だから仕方なく、あくまで仕方なく、いたたまれなくなって、あたしは彼に肩を貸した。
庭に忍び足で入っていくと、靴は難なく見つかったものの犬小屋のすぐ手前にひっくり返っていて、暗闇のなかで宿主たる眼光鋭き巨大な犬が牙を見せてあたしたちを威嚇していた。
家の窓に光はなく、住人は留守のようだった。
彼はあたしの肩から離れて、どうどう言いながら靴のもとへと慎重に慎重を重ねて進んでいった。犬がじっと見つめていた。あたしも息をのんで見守っていた。
ようやくあと一歩というところまできたところで、それまでおとなしくしていた犬が突然わあっと立ち上がってめちゃくちゃに吠えた。
彼は裸足で駆けだした。
片手にきっちりサンダルを掴まえていた。もう片方の手にはあたしの手。恥ずかしいったらないよね、ほんと。
しかし必死の横顔がダサかった。今度は心底から大爆笑。
彼はなぜか必要以上に遠くまで走ったので、足の裏をすっかり傷つけてしまった。あたしは彼を待たせて、近くのドラッグストアで入り用のものを買ってくると、テキトーに処置してやった。
彼はその間あたしに出くわした経緯を説明していたが、説明していて本来の用事を思い出したらしく、治療が終わると、サンダルを履き、あわてて手を振り去っていった。
そのさい、彼はお礼がしたいと言って、またもうざったい言い回しで約束を取り付けようとしたけれど、足蹴にしてやって、セブンでチョコモナカジャンボを買って帰った。
帰宅すると、リビングでまた鯉ちゃんがゲームをやっていた。西部劇みたいなこれまたしぶいやつ。ダンディーなおじさんが馬を走らせて荒野を駆けずり回っている。鯉ちゃんは年上の殿方に目がないようだ。
鯉ちゃんは最近リビングでよくゲームをする。テレビがデカいからという理由で。備え付けのそのテレビは40何とかインチというおおきさで、鯉ちゃんが持ちこんできたテレビはその半分もなかった。
というわけで近頃は彼女がテレビを独占しているわけだけそ、あたしは見ているのが好きだからいいし、くらげちゃんもそれはおなじみたい。そもそも、あたしたちはまるきりテレビに用事がないのだね。
くらげちゃんは今日もちょこんとソファに座って、ポップコーン片手にゲーム画面を見ていた。となりに座って、ポップコーンを頂戴しながら見てておもしろい?と聞くと、あんまりおもしろくない、と言った。
ギャングとの死闘の末に敗北した鯉ちゃんはあたしを振り返った。
なにかいいことでもあった?と鯉ちゃんは聞いた。くらげちゃんもこっちを見て、あった?と言った。
べつにないよ、と返すと、鯉ちゃんはまたゲーム画面をみながらふーんと鼻のなかで言った。それから、今日エッセイ更新しなよ、と言った。
めんどいな、とあたしが言うと、だめよ、最近更新してないでしょ、と言われた。
そうそう、とくらげちゃんも言った。
詳細にお願いね、と鯉ちゃんが意地悪に笑って言った。
あたしは銃声飛び交うにぎやかなテレビを横目にパソコンにむかいました。
そうしてこうして書いた次第であります。
あ、鯉ちゃんまた撃たれて死んだ。
ざまあねえぜ。ひっひっひ。
おらおら、どうよ鯉ちゃんくらげちゃん。これで満足かい。
HiRame
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