12
トーノが変な顔をしている。
いっつもバカみたいに笑っているのに、哀れむような目で、微かに痙攣している頬で、震える吐息で「ごめん」と囁いた。
何がと問う前に、オレの膝が崩れ落ちた。
「……がっ……!!」
一瞬で呼吸ができなくなった。胃か心臓か肺かそれとも全身か、鈍い痛みの塊になった。
喉の奥からせり出してくるものに耐えきれず、全部外にぶち撒ける。トーノにもゲロがかかった。だけどヤツは悠然としている。
まったく慌てていなかった。オレがこんな状態になっているのに。
「と、……の……?」
不調法な呼吸音で、トーノを呼ぶ。
二の腕辺りを必死につかみ、渾身の力を込めて握った。
「痛いよ、千風。……もっと、ぎゅっとして」
オレの手にそっと手を重ね、愛おしげに撫でた。
飲ませたんだ。
オレに、あの薬を。痛み止めを。毒を。
「ごめん……千風」
何で。逃げるかと思ったのか? このオレが、お前を、裏切るって。
「千風を疑ったわけじゃないんだ」
じゃあ何で?
千本の針を飲み込んだみたいに、トーノの顔面が苦しげに歪む。
「俺のお母さんと妹のチカはね、……俺の見舞いの帰りに事故に遭ったんだ」
……しゅるしゅると、
音を立てて、これまでトーノを分厚く覆っていた、見えない包帯がほどけていく。――ような気がした。
「また明日来るねって約束したのに、事故であっさり死んでしまった。分かるか、千風。人はね、本当に簡単に死ぬんだ。お母さんもチカも、俺と違ってすごく元気で健康で、百歳まで生きられる身体だった。でも死ぬんだよ。俺よりずっと死から遠いところにいたのに、お母さんもチカも死んだんだよ!」
おそらく誰にも秘密にして隠していた、トーノの傷。痛み。
それらをすべて露わにして、オレにぶつけてきた。
トーノの仮面の役割を果たしていた包帯は、能天気な笑顔と態度だった。
オレが渡したメシを食べている時でさえも、その包帯の下には、オレには想像もつかない、耐えきれないほどの、ひどいひどい痛みがずっと疼き続けていたんだろう。
今更、気づいた……。
「千風は戻ってきてくれると思う。でも、千風にその意思があっても、暴走した車が千風に突っ込んできたら? 階段から滑り落ちて頭を打ったら? 通り魔に戯れに刺されたら? ありえないって思う? ありえるんだよ残念なことに。病気でも健康でも、わざわざ死のうとしなくても、人は死ぬ時は絶対に死ぬんだよ!」
感極まってトーノが叫ぶ。
「怖い、また置いてかれるのが怖い、置いていくのは俺の方のはずなのに……もうあんなのは嫌だ!」
激昂するトーノは、これまで俺が見たことのない姿だった。
トーノがずっと笑っていたのは、それがいちばん楽だったからだろう。
怒るのも嘆くのも気力が要るから、それができないほどトーノは疲弊しきっていたんだ。
本当に今更だけど、気づいた。
もっと早くに気づいてやればよかった。
死ぬ前って意外と頭が回るんだな。それとも火事場の馬鹿力ってヤツかな。
(……って、めっちゃ呑気だなオレ)
死ぬのに、オレを殺した相手のことばかり考えている。
でも、顔をぐっちゃぐちゃにして謝るヤツを、責める気にはなれなかった。泣きたいのに涙も流せないのなら、なおさら。
(……オレの人生って)
結局、何だったんだろ。
たった十六年で終わっちまった。
両親に何ひとつ報いられずに、
何にも無かった。本当に何も。ただ毎日、漫然と過ごしていた。生きている自覚もなく生きていた。
トーノより、よっぽど死ぬために生きていた。
「千風、ごめん……」
いいよ。
もういいよ。つまんねー人生のちっぽけな命だけど、おまえが寂しくなくなるんならちょっとは意味が持てるだろ。
だからもう泣くなよ。オレよりひとつお兄さんなんだろ。
「千風……?」
そう伝えたいけど、だめだった。もう身体が言うことを聞かない。
「脈も、鼓動も、止まってる……千風、死んだの?」
そうらしいな。聴覚は最期の最後まで残るらしいから、声は届いてるけど。
「俺もすぐ、行くから……」
そうか。早く来い。あの世でも、サボリ友達兼恋人になろうぜ。
トーノがしゃくり上げた。カランとピルケースが軽やかな音を立てる。
「……あっ」
その後に聞こえてきた声は、オレが生涯で最もマヌケだと笑える、……笑えない声だった。
「一錠じゃ、死ねない……」
……何だよ、それ。
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