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甘やかす物言いだった。
ふと、トーノにはもしかしたら弟か妹がいるのかもしれないと思った。
「いいよ」の答え方に年季が入っている。オレも年の離れた弟妹によく言うから、分かる。
「……トーノは、『つばき産婦人科』に住んでるんだよな?」
「うん」
「親が経営している、とか?」
「ううん。親戚でもないし、元は縁もゆかりもないよ。――千風、新聞読む?」
「全然。新聞どころか、ニュース番組も観ない。テレビつまんねーからネットで自分の好きな動画ばっか」
父親には叱られるんだけど。「高校生になったんだからちょっとは世相に目を向けろ」って。どの口がそう言ってんだか。
「ああ、それでか」
トーノが納得したように手をポンと叩く。
「去年の秋頃、この病院に不祥事が起きたんだ。そこそこ大きなニュースになりそうだったんだけど、いっときだけで即揉み消された」
「不祥事って何。医療ミス?」
「ううん、自動車事故。院長の娘がスリップ事故を起こして、通行人の親子を轢いたんだ。母親はふたりの兄妹を女手ひとつで育てるシングルマザーだった」
その事故の話を、聞いたことがある気がした。
だけどオレの思い当たるそれが、トーノの言う件に該当するのか自信がない。それだけありふれた、今この瞬間にもどこかで起こっていそうな『事故』だった。
「母親も娘も即死して、息子だけが残された。天涯孤独になった息子を院長は引き取った。治る見込みの無い病気で、二十歳までは生きられないだろうって言われている悲惨な少年を」
あっと息を飲む。頭の中ですべてが繋がった。
「分かる? それが俺。遠野永一郎なんです」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、トーノがあっさりと説明した。
時間にすれば時計の秒針の一周分。本人にとっては天地がひっくり返るような出来事を、百文字かそこらにつづめた。
「贖罪というよりは世間様へのパフォーマンスなんだけどね。名誉を少しでも回復したかったみたいで。でも俺も行くところ無かったからふつーに承諾したよ。まさか病院に住むとは思わなかったけど」
「病院の……病室で?」
「いいや。寝床は医者用の仮眠室。わざわざ俺のために部屋を用意するのはもったいなかったらしくて」
麦チョコを食べながら、雑談をするみたいに、トーノが現在の自らの境遇を明かす。
「もしごく普通の健康体だったら、学校に行かせて成人まで面倒を見てたんだろうけど、俺はこんなんだから。最低限の痛みへのケアさえすればいいんだから、そういう意味ではラッキーだったのかもな、アノヒトタチ」
一粒ずつ取り出すのがもどかしくなったのか、トーノが麦チョコを一気に口の中に流し込む。リスみたいに頬を膨らませて、麦チョコの食感とシンプルな甘さの関係性を言及しているのを見ているうちに、オレは。
(何だよ、それ……!)
ぐつぐつと、腹の底が熱くなっていた。
「そんなテキトーな扱いされてムカつかねーのかよ!」
「わっ、びっくりした」
トーノがびくっと肩を竦ませる。その呑気な態度にも苛立ちを覚えた。
「お前、完全に被害者じゃん。なのにそんな、……まるでペットみてーな」
いいや、今日びペットの方がよっぽど大事にされている。
会ったこともない院長やその娘にも腹が立つが、当の本人があっけらかんとしているのが気に喰わない。
「何で千風が怒るんだ……」
マジになったオレを、トーノが不審がる。知るかそんなの。当たり前だろそんなの。
「お前が怒らないからだよ。怒って当然の扱いをされてるのに、のほほんと受け入れやがって」
トーノはきょとんと、ガキみてーに目を丸くする。
本当の本気で、オレが言うまで思いもしなかったことらしい。
どんだけボケっとしてやがんだ。自分に対して、無頓着すぎる。
「……怒って当然、か」
そんな感情は忘れていた――とでも言わんばかりだった。
「千風は俺のために怒ってくれるんだね。久々だ、そんなこと」
見たことのないような儚い笑み。
トーノを形づくる輪郭が妙にぼやけて、希薄になっていく気がした。そんな錯覚を振り払うために、オレは殊更強く言った。
「いいように解釈すんな。ムカついたからそう言っただけだ」
「あはは、そうだよね。ごめん。ありがとう。千風は優しいな。好き」
「ゴホッ!」
驚きのあまり肺から空気が競り上がって、咳が出てしまった。
謝罪の次が感謝でその次は誉め言葉で、何で最後に「好き」なんて言葉が出てくるんだっ!
「何言ってんだてめー!」
「俺、変なこと言ったかな?」
わざとらしくトボけてみせる。天然キャラだと思ったけど違うようだ。コイツはなかなか小賢しい。
毒気を抜かれて熱も冷まされて、オレは深いため息をついた。
なんかドッと疲れた……。
そんなオレをトーノはにこにこして見るし、なんかもうヤだコイツ……。
壁に背中を預けて、毒のない話題を振る。
「妹と、仲良かったのか?」
するとトーノは、途端に満面を明るくさせ、
「うん。とても元気で優しい子でね。『えーちゃん』って呼んで慕ってくれる」
「へぇ、名前呼びなんだ。うちは『
「千風、とおるって言うんだ」
「今更すぎんだろ。最初に名乗ったっつーの」
「ごめんごめん。……妹、ちょっと千風に似てるよ。目が大きくて表情がくるくる変わるところ。あと、俺によく物をくれるところ」
そう言ってトーノは、ポケットから手のひらサイズのピルケースを取り出した。
見覚えがある。
痛み止めの薬が入っているヤツだ。
不透明なピンク色のケースで、リボンやうさぎの小さなシールがぺたぺた貼られている。
「これも妹がくれたんだ。可愛いだろ」
くるっと裏返すと、『とおの えいいちろう』と拙い文字での記名があった。
「字ぃうまいな」
「だろ?」
妹の名前も教えてもらった。『遠野チカ』だと聞いて、オレは驚きを隠せなかった。
「千風の名前を聞いた時、心が震えたよ。久しぶりに」
最初からやたら懐っこかったのはこのせいだったのか。奇妙な偶然に感心した。
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