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翌日、トーノと出会って四日目の朝。
右手に口止め料の手土産を持って、『つばき産婦人科』前に着く。
日曜日の今日、外来は休みだがその代わり見舞い客が多いようで、駐車場の前に何台もの車が列をなしていた。中には明らかな高級車もあって、セレブ向け産院の名は伊達じゃねーな、と思った。
あの場所に向かうと、トーノがオレを待っていた。
「やぁ、千風。来てくれて嬉しい――あれ、今日は私服なんだね」
お決まりの文句の後でそう指摘する。
「日曜日だから」
ついでに昨日の土曜日は普通授業の日だった、と続ける。
「ああ、そっか。曜日の感覚ないから忘れてたよ」
そしてオレの、白いパーカーとブルーのジーンズという可もなく不可もない服装をじっと見て、言うのだった。
「私服もいいね。可愛い」
……ひょっとして、口説かれてるんだろうか。
昨日の膝枕に引き続き、同性に対する言動じゃないそれらに、やにわに疑惑が生まれる。
「本日の口止め料。牛丼」
駅前のチェーン店でテイクアウトした、大盛牛丼セットを手渡す。ちなみにオレの分もある。
トーノは整った相好を呆気なく崩して、「ぎゅ――ど――ん」とハートマークと音符を乱舞させて喜んだ。
隣に座ろうとしたら、真っ白なクッションがあることに気づいた。
「何このクッション」
「それ、使ってよ。昨日コンクリ固くて痛いって言ってたから、待合室のを失敬してきた」
「いいのか? なんか高そうだけど」
四隅に飾りのタッセルがくっついている真新しいカバーは、手触りがよくて汚れひとつない。実用というよりインテリア用のそれをケツに敷くのは、なんとなく憚れる。
「いっぱいあったから、いいんじゃないかな」
適当なことを抜かすトーノは興味なさげだった。まぁいいやとオレも遠慮するのをやめた。
弾力が強くて快適な座り心地。
ついでに、というわけじゃないけど、トーノにもうひとつ疑問をぶつけた。
「トーノってさ、オレと同じ高校の二年なんだよな?」
「そうだよ、千風よりひとつお兄さん。遠野先輩と呼んでくれて構わないよ?」
「ぜってー呼ばねーよ」
校内で見たことないんだけど、と続けるつもりだった。
「でも、一年の夏休み前に辞めちゃったんだ。身体がしんどい上に周囲の負担が大きくて」
あっさり最初の疑問が解消した。
高校中退なのは分かっちゃいたけど、時期は全然カブってなかった。道理で見たことないわけだ。
が、別の疑問が浮かんだ。
「なら何で、制服着てるんだ?」
初対面の時も日曜日の今日も、トーノは制服だった。
濃紺のブレザーにチェックのスラックスとネクタイ。胸ポケットには青のエンブレム。シルエットがスタイリッシュと評判の制服は、オレには少しブカブカで不格好だけど、トーノはばっちり着こなしていた。
トーノは器用に口と片手で割り箸を割り、紅ショウガの小袋を開けて、
「制服以外に、人前に出られる服がないから」
肉とつゆと紅ショウガのバランスを慎重に吟味しながら、あっさりと答える。
「……どゆこと?」
「俺、これ以外は寝間着か昔の服しか持ってないんだよ。ここ一年で急激に背が伸びちゃって、全部つんつるてん。制服なら毎日着られるし、学生の正装だから変な目で見られないし、気分もしゃっきりするしね」
つゆを追加して、スラスラと答えてくれた。
だけど疑問は晴れるばかりか深くなった。
サイズが合わなくなったら買い替えればいいじゃないか――そう言おうとした直前、昨日聞いた『本』のことを思い出した。
新しい本を買ってもらうよう頼むのに、躊躇する。
だってどうせ死ぬから。
(……って、本と服は違うだろ)
片や娯楽で片や生活必需品。それなのに、トーノと、トーノの家族(なのか?)にとっては同列なのか。
よぉく見れば、トーノのワイシャツの襟元は汚れていた。ブレザーも所々ほつれている。
「……もったいない」
我知らず、ぼそっとつぶやいた。
「え?」
トーノが牛丼から俺へ、目線の向きを変える。
「もったない。おまえ、せっかくイケメンなのに」
「服のこと? 仕方ないよ。新しく買っても、たぶんすぐ遺品になるし。――どうせ死ぬんだから」
予想どおりの返答。だけどそれだけじゃない。
「うん。だからもったいないっつってんだ。トーノはイケメンなのに、もうすぐ死ぬなんてもったいない」
普段のオレなら、冗談でもこんな物言いはしない。
とんでもなくデリケートに扱わなきゃいけない『死』を気安く口にするなんて絶対にしない。
そのはずだったのだが、その時は、トーノに対して言ってやりたかった。
牛丼を食べるトーノの手が止まり、ぱちくりと目を見張る。
やがてその端正な面立ちが、徐々に破顔した。
トーノは声を上げて笑った。おかしくてたまらないと言わんばかりに腹をよじらせて地面に転がる。
何じゃその反応は?
「ち、千風……今のやばい、お腹痛い」
「何だよっ、今の笑うよーなことかよっ」
「笑うよー笑うともさー。俺、病気のこと人に話したら、よく『もったいない』って言われるけど」
ははは、とまた大笑い。
「それって『その若さでもったいない』って意味なんだよね。だから、千風みたいな、変な惜しまれ方されたの初めてだ……ふふふっ」
目に涙を浮かべながら、トーノは弾んだ声で「ありがと、千風」と礼を言った。
「そっかー俺は死ぬのがもったいないほどのイケメンなのかー」
調子乗りすぎだろ。
言いながら自分でウケて、トーノはもっぺん笑いの渦に身を浸した。それでも牛丼がこぼれないように、手だけは器をしっかりホールドしている。
「あー笑ったら腹減った。いただきまーす」
散々笑ったトーノは満足げに割り箸を持ち直し、牛丼攻略に取りかかった。
変なヤツに変だと言われてしまった。
なかなかに屈辱的だな――と思いつつも、オレはトーノに乞われるまま、自分の分の紅ショウガを渡した。
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