アサイラム

鳥谷綾斗(とやあやと)

1

「ねぇ、そこの君。そんなことをする前に、ちょっと、俺の命をたすけてくれないかな」


 初めて会った時、ヤツはそんなことを言った。

 後で聞いたところ、それはヤツなりのナンパだったらしい。

 ……何だよ、それ。





 高校の通学路の途中に、病院があった。

 病院と聞いて、思い浮かぶイメージは無機質な白い建物だろう。窓がついた豆腐みたいな感じの。

 でも、オレの眼前にそびえ立つ病院は、そのイメージを裏切るものだった。

 漆喰風の外壁に、細長い上げ下げ窓。切妻屋根がくすんだブルーの三階建ての建物は、『つばき産婦人科』と書かれた看板がなければとても病院には思えない。実際、それがウリでそこがウケて、セレブ御用達の産院として名を馳せているわけだが。

 正面玄関――豪華でレトロな装飾が施されたガラス張りの自動ドアには向かわず、オレは裏に回った。

 いつまでもこんなところに留まってちゃいけない。制服姿のオレはひどく目立つから、そっこーでに声をかけられて学校に通報されてしまう。

 裏手には、建物の影に隠れるようにして利用者専用の庭園があった。今が旬を迎えるバラやツツジが満開の、人工的な気配がプンプンする庭。

 しかし、そこもスルー。

 奥へ進むと、時期を終えてすっかり寂れた桜の木が、ひっそりと並んでいた。

 それらを横目にさらに奥へ――右手に下げたハンバーガー屋の袋、特に紙コップに入ったジュースを気にかけながら。

 サビだらけの『立ち入り禁止』の看板が目に入る。ロクに整地されていない荒れた裏庭だった。

 鬱蒼した植え込みをかき分けると、剥き出しのコンクリートの地べたに座り、本を読んでいる男の姿があった。

 物音を聞きつけたそいつはゆっくりと顔を上げ、オレに向かって手を挙げた。


「やぁ、千風ちかぜ。来てくれて嬉しいよ」


 そいつ――遠野とおの永一郎えいいちろうは、昨日とまったく同じ挨拶をして、実に幸せそうな、とろけるような甘い笑みをオレに向けるのだった。



 出会って三日目の人間に、こんな、まるで竹馬の友か実の弟に向けるような親しみ深い表情をするなんて。

 変なヤツ。

 こそばゆさを覚えながら、オレは持参した手土産のハンバーガーを突き出した。


「ん。今日の口止め料」

「どうもありがとう。今日は何かな何かなー」

「駅前のバーガー屋のキングサイズセット」

「え、千風、どうして俺の食べたかったものが分かるの?」

「昨日、トーノがリクエストしたじゃん」


 トボけた問いにツッコむと、トーノは「そーだった」とへらっとした。

 無邪気ささえ感じる笑顔。

(……コイツ、マジでオレよりひとつ年上なのか?)

 チラッとトーノの胸元を見た。オレと同じ高校の制服だ。

 胸ポケットのエンブレムは、入学した年によって色が違う。オレは緑で一年生。トーノはひとつ上、二年生の青だった。

 本来ならトーノは、名前に『先輩』をつけて敬語で話すべき存在だ。

 でも、ここではオレたちは単なる『サボリ友達』だった。


(いや、実質サボリはオレだけなんだけど……)

 悶々と考え込んでいたオレの袖を、トーノがちょんと突っつく。

「千風千風。大変」

「何が?」

「ハンバーガー、でっかすぎて口に入らないよ。これ、分解して食べるの?」

 使い捨てランチボックスを開け、店でいちばんボリューミーなハンバーガーを前に、トーノは戸惑っていた。アホか意味ねぇよ。

「付属の紙で包んで、いっぺんぐしゃって潰すんだよ」

 慣れてるオレはちょちょいと十センチメートルはありそうなバーガーを紙で包み、容赦なく上から押しつぶして口に入るサイズにした。

 トーノはやたらキラキラした目でオレの手際の良さに感激している。拍手でもしそうな勢いだ。

「ありがとう。いただくね」

 手渡すと、トーノは大きくかぶりつく。繊細な見た目に似合わない豪快な食いっぷりだ。

「んーっ! チーズが濃い、ケチャップが濃い、パティから肉汁すごく出る。ベーコンがしょっぱくて、レタスとトマトがシャキッと爽やかで、ピクルスの酸味がやばい」

「長い。つまり?」

「つまりうまい! ありがと千風ー、買ってきてくれてー」

 ハンバーガーに舌鼓を打ちながら子どもみたいに喜ぶ。反応がよすぎてこっちも嬉しくなる。うちの幼稚園児と小学生の弟妹きょうだいたちだって、こんなにはしゃいでくれない。

「コーラもうまいなぁ。この香料の力技を感じる味が最高」

 変なヤツは誉め方も変だ。呆れていると、ふと思い立った。

「……ってトーノさ、昨日もオレが買ってきたジャンクフード、がっつりいってたけど、そもそも食っていいわけ?」

「え? 何で」

 今更な疑問を口にするオレに、トーノが首を傾げる。

「だってお前、ここの患者なんじゃん?」

 そう言って指さしたのは、この建物――『つばき産婦人科』だった。

 そう。このお気楽な様子からは信じられないことだが、コイツは『病人』なのだ。

「患者、っていうのは少し違うかな。だって俺、男だし。産婦人科に男は入院できないだろ?」

 それはそーだけど。

「お世話になってるのは確かだけど、ね」

 意味ありげな笑みを浮かべる。

 ワケありの気配がする。っていうか、こいつとは出会った経緯からしてワケありまくりだった。

「それに食事療法してないし。無意味だから」

「……無意味」

「どうせ死ぬんだから、何を食べてもいいんだよ。本当なら」

 がぶっと一層大きな口で、ハンバーガーという食物を取り込んで、さりげなく言いのける。

 そう。

 このお気楽で能天気な様子からじゃとても信じられないけれど。


 トーノはもうすぐ死ぬらしい。

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