九十九ふくふく堂  おいしい日本茶は癒しの味

服部匠

第1話 真夜中の日本茶カフェ

 黄金の急須が、たおやかではあるが、するどい手つきで振るわれる。その様子はまるで、打ち出の小槌のようだった。

 しんと静まりかえった店内に、ぽちゃん、と小さなしずくが湯呑に落ちる音だけが響く。

「最後の一滴まで注ぎきるのが、おいしいお茶になる秘訣です」

 急須をふきんで優しくなでながら、カウンターの中の男性は言った。

 狸のようなふくふくとした丸い顔と、小柄でずんぐりむっくりした体型。

 それでいて、謎の安心感を覚える彼――日本茶カフェ「九十九つくもふくふく堂」店長・福富ふくとみは、惚けた顔で一連の作業を眺めていた俺に向かって、お盆を差し出した。

「お待たせいたしました。日替わりのお茶とおにぎりです。お茶は静岡の本山ほんやま茶です」

 お盆の上には、小さな湯呑と、湯呑とおそろいのスープカップのような容器。おにぎりがのった皿。そして――黄金の急須。

 湯呑には、綺麗な緑色をした日本茶。そして、おにぎりの海苔の香りに、このところまともな食事を摂っていないこともあり、食欲が刺激される。

 そっと湯呑を手に取れば、ほんのりと温かい。

「ごゆっくりどうぞ」

 お決まりの文句のはずなのに。福富の言葉には、湯呑と同じような温かさが感じられた。


 :::


「……ツイてない」

 夏が間近になり、雨に翻弄される六月中旬の夜。会社からの帰り、突然の雨に降られ、ずぶ濡れになった挙句、目の前で最終バスに乗り遅れた。

 中部地方の片隅にあるこの町は、少し歩けば駅に着く都心部とは大違いだ。これから最低でも三十分かけて、水を吸って重たくなったスーツや革靴と共に徒歩で帰宅しなければならない事実は、地味にダメージが大きい。

「なにも今日じゃなくたっていいのに」

 苛立ちを隠せず、だれもいない道に遠慮なく吐き捨てる。

 ここまで苛立っているのは、雨に降られバスを逃しただけが原因ではなかった。

 小さなIT系企業に勤めて三年。この春、今まで下っ端だった自分に、初めて後輩ができた。ようやっと先輩風を吹かせられると意気込んでいたが、俺の下にきたのは、なんともつかみ所のない奴だった。

 話を聞いているのか曖昧な返事。いつも眠たげな目。声も小さいから、なにを言っているのかいまいち聞き取れない。仕事も確認が多いくせに、手順も見ててイライラするような遅さ。

 なによりむかつくのは、新社会人にあるはずのしおらしさや、謙虚さがないことだ。

 こっちは先輩としていろいろ教えてやってるというのに。自分で考えることくらいしろよ!

 そんな鬱憤が溜まっていたのが原因だった。今日ついに、ある業務のことで雰囲気が悪くなり、険悪なムードで仕事を終えてしまった。

「ああーっ、後輩の教育とバックレたクソ上司の炎上案件、どっちもやれってかー!?」

 蝉の声が鳴くだけの夜に、再度叫ぶ。どうせこの辺りは川沿いな上、民家とは距離のある郊外の町なのだから問題ないだろう、多分。

 そう。頭を悩ませているのは後輩だけではない。

 四月早々、いろいろとトラブルを起こした挙げ句、逃げるように退職した元上司の尻ぬぐいを、俺がすることになったのだ。

 元々馬が合わない上司だったこともあって、まったく気が進まない。無茶ばかりしていた元上司と同じことを求められ、毎日が残業だ。そのくせ、客も営業もアラを見つけては言いたい放題。正直、いっぱいいっぱいだ。

 時計を見ればすでに二十三時を過ぎている。コンビニで飯を、と考えても、胃がそれはやめてくれとキリキリ叫んでいた。さすがに毎日コンビニ弁当とカップラーメン、チューハイのセットは胃が痛い。かといって自炊する気力も材料もない。

 この辺りは大きな道路や駅からも離れている工業・住宅地帯。つまるところ、夜中に営業している飲食店もない。

 雨で蒸し蒸しと気持ち悪く、気分は最悪。

 そのときだった。

 暗い視界の左側に、ふ、と灯りが見えた。温かな電灯の光がやたら恋しく感じて、いつのまにか足がそちらへ向いていた。あわよくば飲食店だったらいいな、と期待して近づくと――そこには黒く、四角い建物があった。

 灯りの下には看板があり「日本茶カフェ 九十九ふくふく堂」と書いてある。

 カフェ、という言葉に、一気にテンションが上がる。カフェなら食事があるだろう。この際、日本茶であることは完全に無視をした。

 期待を抱いて、俺は吸い込まれるように重たい扉を開いた。



「お茶と、おにぎり……だけ?」

 カウンターに座り、メニューを見た瞬間、俺の期待は一瞬にして消え去った。

「はい。お食事のメニューはその一点のみです」 

 追い打ちのように落とされた言葉。それは、お冷とおしぼりをカウンターから出してくれた男性店員からだった。

 年の頃は二十代後半。清潔感あふれる黒髪のショートヘアー。ちょっと太くて丸い眉に優しく垂れ下がった目と口元、ふくよかな顔と体型を包む白のワイシャツと深緑のエプロン。よく言えば柔和でお人好し、悪く言えばすぐにだまされそうな愚鈍さが感じられる風貌だ。

 そう、まるで狸のような。

 人のよさそうな笑顔を浮かべる彼の表情が、逆に俺の感情を逆なでした。エプロンに付けられた名札には「福富ふくとみ」とある。

「他のもの、ないんですよね」

 刺々しい物言いになってしまう。しかし、福富は困ったような顔で微笑みつつも「申し訳ございません」と言うだけだった。

 ――灯りに吸い寄せられるように店内に入ったのはよかったが、食事メニューには「日替わりのお茶とおにぎり」としか書かれていなかったのだ。

 ここが繁華街なら別の店を探したかもしれない。しかし、他に飲食店がないことは知っている。……あれ、こんなところに店なんかあったっけ?

「お客さま、よかったらこれで体や服を拭いてください。まだ、濡れてますよね」

 浮かんだ疑問に首をひねっていると、ふわふわのタオルを差し出された。

 言われてみれば、服は湿ったままだ。「どうも」と受け取り、遠慮なく拭かせてもらう。

「湿ったままだと気分のいいものではないですし。雨に降られて災難でしたね。特ににわか雨は当たると痛いですし、冷たいし、いいことないです」

 この人、雨に対してなにか因縁でもあるのだろうか。優しい態度とは裏腹な、雨への辛辣さに少し驚く。

 だけど、こうして気遣ってもらって悪い気はしない。ささくれていた気持ちが、少しだけ和らいだ。

 ……さて、注文はどうしようか。腰を落ち着けてしまったこともあって、今はコンビニですらめんどくさく感じる。

 こうなったら選択肢は一つしかない。

「あの「日替わりのお茶とおにぎり」ください」

 かしこまりました、と福富が準備を始めた。

 食事が出てくるまで退屈だからとスマフォを出したが、不思議なことに電波が届いていない。SNSのチェックもゲームもできず、仕方がないので、店内を見回してみた。

 コンクリート打ちっ放しの壁や床。灰色と白、差し色の黒がシャープな印象を与えている。少し照明を落とし、カウンターしかないという小さな店内は、カフェというよりはバーに近い。

 しかし、メニュー表を見ると「日本茶」らしき名前しか並んでいない。

「牧之原、やぶきた……? 鹿児島、ゆたかみどり……?」

 メニューに書かれている名前は、馴染みのないものばかり。狭山、伊勢、佐賀など産地が書いてあり、ここで初めて、全国各地で日本茶は作られているのだと知った。

 実家でも自分で日本茶を淹れるような機会はなかったし、せいぜいペットボトルのお茶を飲むくらいだから、日本茶はこんなに種類があるのかと、驚きも感じた。

 そこでやっと、店内にほうじ茶の香りが満ちていることに気がついた。香ばしく、それでいてどこか甘く感じるそれは、祖父母の古い家を思い出すような懐かしさにあふれていた。

 やっと手に取ったおしぼりはまだ温かく、キツい柔軟剤や洗剤の匂いはしない。さっきのタオルと同様、心地よく感じた。

 すると、どこからから水がチョロチョロと落ちる音がした。顔を上げると、福富と目が合う。

「今、お茶を淹れますので、お待ちくださいね」

 カウンターと客のテーブル部分の高低差がないらしく、なにをしているかがよく見えた。

 彼の手には、茶道で使うようなひしゃくが握られている。慣れた手つきでひしゃくを動かし、コンロの横にある釜のようなものから、煮えているお湯をすくっている様子が見えた。

 真剣だが、どこか楽しそうな微笑みを浮かべている福富の姿がやけに気になって。

 いつの間にか、俺は彼の一挙一動をジッと眺めていた。


 :::


 お盆の上には、小さな湯呑と、湯呑とおそろいのスープカップのような容器。おにぎりがのった皿。そして――黄金の急須。

 湯呑には、綺麗な緑色をした日本茶。そして、おにぎりの海苔の香りに、このところまともな食事を摂っていないこともあり、食欲が刺激される。

 そっと湯呑を手に取れば、ほんのりと温かい。

「ごゆっくりどうぞ」

 お決まりの文句のはずなのに。福富の言葉には、湯呑と同じような温かさが感じられた。

 しかし、だ。

 やっぱりこれだけですか? と、抗議の目線を込めてカウンターの中の福富を見る。しかし彼は、ふくふくしい顔に微笑を浮かべた。

「どうぞ、お召し上がりください。手前味噌ですが、うちのおにぎりはおいしいんです。まかないで食べると、うっかり食べ過ぎてしまうくらいでして」

 ……その言葉は、失礼ながら、体型も相まって信憑性があった。「いただきます」という言葉が自然に口から出た。

 まずは、喉を潤したい。それに、ここは日本茶カフェだ。いきなりおにぎりにがっつくのも悪くないが、それは丁寧にお茶を淹れてくれた福富に対し、申し訳なく思えたのだ。

 湯呑のお茶を、一口、含む。

「……⁉」

 想像よりもぬるい。が、口の中に広がる、えも言えぬうま味に、まず頭が真っ白になるほどの衝撃を受けた。

「なっ……なんスか、これ! 甘い? うま味? どういうことっすか」

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