イーティング,マイ・ポンポン・ペインズ・ミー.

玉手箱つづら

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 無職の友人を打擲する動画をあげたことで有名になった過激派YouTuber「のどかなセイグリッド」が「次の動画はまた話題になると思う!」と期待を煽るツイートをして以来、私は密かにワクワクしていた。無味乾燥の日々にジャギーな祭りの予感。冷蔵庫に甘い缶チューハイとビールをいくつか眠らせておき、断線したイヤホンを買い直した。

 別に「のどかなセイグリッド」が好きなわけではない。賢くも面白くもないし、声ももちゃもちゃして気持ち悪い。背が低く、髪が汚く、目が小さい。歯だってグチャグチャで、言葉選びのセンスもなくて、おまけにどうしようもないナルシストだ。

 唯一「のどかなセイグリッド」が人より優れているのは頭のネジの飛びっぷりで、この男には普通の人間が心の中に持っているブレーキが無い。これが、これのみが、インターネット上において尋常でない集客力を発揮した。

「無職の友人をぶん殴ってみた」はその品の無い内容から本来のYouTube視聴者層には白い目で見られたが、ゲテモノ見たさのヨソ者たち──そのインモラルさが時おり問題視される某インターネット掲示板の利用者たち、には大いにウケた。動画の内容を一字一句余すことなく書き起こした文章はYouTubeの話題が出たところに必ず貼り付けられる定番コピペとなり、テレビ番組の企画で好きなYouTuberを問うネットアンケートが作られた際には、不正ツールをも駆使した組織投票によって「喉からセイグリッド」が七位にランクインした。「喉からセイグリッド」とは「のどかなセイグリッド」の自己紹介時の滑舌の悪さを揶揄した彼のあだ名で、時には隠語的に「喉」の一文字まで省略される。

 こうした扱いからも察せられるように、「のどかなセイグリッド」の動画の視聴者たちは決して彼のファンではない。「のどかなセイグリッド」のパフォーマンスを最前列で見、ハットに金貨を放り込み、惜しみないスタンディングオベーションを送るこの群衆、その正体はまぎれもなく嘲笑者だった。「のどかなセイグリッド」のエンターテイメントはその愚かさを笑われることでのみ成立した。

「のどかなセイグリッド」は頭の回転が遅い。だからなのか焦って何かを言おうとすると、意味不明な言葉が口を突いて出ることがままある。思考と口とがうまく結び付かないとこういうことが起こるらしい。

「パウロ」はこうした言葉のひとつで、使われた文脈から「頑張っていこう」のような、なにか励ましの意味を持つ言葉ではないかと「推理」した嘲笑者たちは「喉語」としてこれを愛用した。「のどかなセイグリッド」に関係のない話題の場でも多用されたため、やがてまとめサイト等にも「パウロ」があらわれるようになり、そこにある揶揄的な背景はいびつに忘却されたまま、「インターネット言語」の一つとして広く知られるようになった。

 今では女子高生ですら試験前に「パウロ」「パウロ」とツイートする。世界のエラーを覗き見ているような奇妙な愉快さが心を這いまわり、私たちの火を掻き回す。

 今夜、「のどかなセイグリッド」の新作動画があがる。

 私は買ってきた安い肉を炒め、文字起こしされた「ぶん殴ってみた」を眺めながら、何の気なしにつぶやく。

「最高」

 ふつふつとスマホの温度が上がる。皆、道化の喉を刺すその瞬間を、今か今かと待ち続けている。

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