【真実というパズルの頭脳戦】3/5

 見当違いも良い所...と、言いたい所だったが。





「...なんで、そう思った?」


「...なんで?」


「...気になったから」





 そう。これはあくまで俺の興味本位だ。決してこいつを図ろうとか、こいつの力量を見てみたいとかそう言う訳ではなく、ただ単純に、どうしてそう思ったのかを知りたかったから。それだけの理由である。





 他に理由なんてない。あってはならない。





 だから俺は興味本位という形で、こいつがそう言った真意を問いただす事にした。





「そう思った理由は?」


「...兄さん。私に何か隠してる」


「...隠してないよ。さっき俺が言った事が事実。俺の全部だ」


「嘘...」


「ほんとだよ。俺の母さんが俺達家族を巻き込んで、堪え兼ねた父さんが憂さ晴らしに俺に暴力を振って家族は崩壊した。それだけの話」


「...やっぱり。嘘吐いてる」


「...何が」


「今の話だと、大事なものが不足してる」





 大事なもの...あの家の大事なものなんて元々欠如しているようなものだが。





「なんだよ。その大事なものって」


「...才能」


「...!!」





 その一言。ただの一言は俺の心の内側を会心の一撃で抉りとる。誰かが今の今までの話を聞いた所で、この少女は何を言っているんだろう。まったく話が噛み合ってないなあ。なんていう感覚だろう。





「才能」





 ただそれだけだが、俺は気味の悪さと言うか、心霊的なものとはまた違うおぞましさを少女から感じ取っていた。何故ならその言葉こそ。俺が少女から言われる事を最も恐れていた言葉なのだから。


 この世の中に溢れ返る言葉という言葉の中から無作為に一つの言葉を抽出したとして、この言葉に辿り着く可能性ははっきり言ってゼロに等しい確率だ。それを表情一つ変える事無く言ってみせたのだ。この少女は。


 偶然なんかじゃない。そんな曖昧には片付けられない。狂いや戸惑い一つなく、はっきりと俺に言ってみせたのだから。





「兄さん...」





 くくるは大きな服を揺らしながら俺に近寄ってくる。少女の瞳には俺の体が映し出されている。俺は思わず後ずさりをし、壁際まで追いやられると、くくるはそっと俺の胸元に手のひらを当てた。





「...なんだ...よ」


「...貴方のお母さん。葛西志津の作品はどれも万人受けするものでは無かった。確かにそうかもしれない」


「...ちょっと待て...」


「...なに?」


「どうして俺の母さんの名前を...」





 俺は今の今までの会話で母さんの名前を一度でも上げただろうか。...いや。上げた覚えは無い。それなのに...なぜこいつは母さんの名前を知っている?





「...有名人だから。その人の名前は良く知ってる。それが貴方のお母さんだとは、今日の今日まで分からなかったけれど。それくらいに貴方のお母さんは有名人なの。だから、私は真実に辿り着く事が出来た」


「...真実」





 この瞬間から、疑念は確信にへと変わっていく。


 くくるは俺から手を離すと、淡々と話を続ける。





「まず、貴方に対してお父さんがしたと言う暴力によるストレスの発散。普通その不満や苛立は、兄さんではなく直接貴方のお母さんに飛んでいく筈。だけどお父さんはそうはしなかった。向かうべき不満が本来向かうべき対象にへと向かっていかない。...そんなの、理由は一つしかない」





 くくるはまっすぐ俺を見る。





「貴方のお父さんは、貴方のお母さんの事を心から尊敬していたから。尊敬していて、お父さんの手の届かない様な雲の上の存在だったから。だからその怒りの矛先は貴方に行く事となった」


「うそ...だろ」





 俺は...大事な所を隠して...省いて話したんだぞ...?


 それも一度きり。あの一回きりの自分語りで、こいつは数少ないヒントから推論を立てて俺の過去を解き明かそうとしている。あり得ない...そんなの。人間が成せる技じゃない...。


 言うべき事ではないから。ではなく。敢えてその事実には触れない様にしていた。もう思い出したくないから。考えたくもない地雷がそこにはあるから。真実を避けて、ぶつからない様に遠回りして、そして嘘偽りない未完成を完成に見立てた真実を作り上げ、こいつに語ってみせた。


 それなのに、...まるで穴埋め問題の様に、推理一つでこいつは真実のピースを型埋めしていっている。





「...もしかして貴方のお父さんは...お母さんと同じ様に何か作品を作っていたんじゃない?」


「...!」


「暴力なんていう憂さ晴らしを、態々蹴り飛ばす事で解消だなんて、手間がかかる事この上ないもの。普通だったら拳で体を殴りつける方がよっぽど解消的で手段としては有用なものだと思う。なのにそうしなかった。それは貴方のお父さんも、手を大事にするようなものに励んでいたから。ただのサラリーマンが手に気を使うなんて事はない。だったらきっと、貴方のお母さんと同様、貴方のお父さんがものを作る趣味を持ち合わせていたからだと考えられる。となると貴方のお父さんとお母さんが結ばれるきっかけになった理由も、その同趣味に関係があったのかな」


「...お前...どこまで...」





 くくるの話は止まらない。明かされ、はまっていく。俺の過去というパズルが。隠し持っていた筈のピースは複製されて、埋められていく。





「だけど、貴方のお父さんはどれだけやっても実を結ばなかった。次第に自分の作る作品に嫌気をさしていった筈。自分の嫁の名前だけがどんどん膨れ上がり、次第に世間で名を残す様になっていった。勿論批難の目は沢山あったのは事実。だけど、ただただ気味悪いだけの作品が、そこまで世間を騒がせる事が出来るのかな」


「...」


「適当に気味悪く描いた所で、その絵がつまらないものであれば人は鼻で笑うだけで振り向きもしない。そもそも絵画の世界において実力の無い人が「名前」を残す事自体が不可能と言っても良い。だけど貴方のお母さんは間違いなく名前を残している。ネットで検索すれば一発で出るくらいには。つまり、普通ではない画風に世間から批難され罵声を浴びさせられた貴方のお母さんには、間違いなく画家としての「才能」があった。」


「...さい...のう」


「そういった作品が誰からも受け入れられていない筈が無い。ネットで検索すれば一発で出る様な人の作品がただただ狂気的で非人道的なだけの筈が無い。一部の著名人や、絵を知り尽くした絵画のエキスパートから見た時。その絵は芸術としてもメッセージ性として十分に過ぎる程の作品の風貌を見出していた。お母さんを気味悪がって馬鹿にしていたのは、絵画の価値を計れない無能な人か、その才能に嫉妬し、己の無能さを嘆くような凡人だけ。芸術の価値を知らない愚かな人たちが寄ってたかって、面白半分で袋叩きにしていた醜い現実を、貴方は見てみぬふりをしていた」


「...」





 無能。凡人。俺が父さんに過去に言われ続けた言葉。

















—お前なんか。どうせ何したって無駄なんだよ...!お前なんか!!!結局何も出来ねえぽんこつなんだよ!!

















「...っ」





 脳裏をよぎる父さんの言葉。俺と重ね合わせ、無能という「自分像」と向き合う事を恐れた嘆きの言葉。くくるの話は続く。俺にはもう、彼女の話を聞き入れる余裕なんて無かった。というよりも、こいつは既に真実にまで辿り着いてしまっていたからだ。





「どれだけ懸命にやろうと、誠実な絵描き上げようと名前さえ残らない自分。周りから批難され、それでも数少ない人から認められている自分の嫁。そんなもの、誰から見ても実力の差は歴然のもの。」


「...やめろよ」





 才能。俺には無かったもの。





「仮に貴方にも、お母さん同様の才能があったとすればお父さんの暴力の対象になるとは考えられない。となれば...兄さんは...」


「...やめろ」





 どうやっても手に入れる事が出来ない。失われるべき理想。





「つまり推測するに、貴方のお父さんは貴方に対して同族嫌悪な感情を抱いた。まるで無力な自分を重ねて、自分の弱い所を鏡合わせで見ている様な感覚に陥っ」


「もう十分だ!!」





 俺は声を荒げる。防音室特有の音の吸収で、俺の声は発せられた瞬間に滞り、そっと葉が落ちるみたいにして、響く事無く消えていった。





「全部...お前の言う通りだ...もう...分かったから...」





 静寂に包まれた部屋で俺は嘆く。...お手上げだ。誰が見ても分かる完全敗北。俺は情けなくも、義理の妹との頭脳勝負に惨敗してしまったのだ。


 空白問題です。好きな場所を埋めて話をややこしくしなさい。その主導権を握っているというとんでもないハンデを貰って。初対面の俺という対戦相手の縛りプレイをしながら。ともあれこの出来事で俺は全てを理解した。こいつが学校に行かない理由。こいつが他の人では持ち合わせない様な「才能」を持っているという事を。





「...見事だよ。くくるちゃん」





 やっぱり親子なのだろう。今なら少しだけ、父さんの気持ちが分かる気がした。

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