CODE69 千の丘の先へ、草の色と空が溶け合う場所まで(4)

 ルワンダの地に連なるのが千の丘なら、ルワンダの夜空を飾るのは、数字で表すことなんてできない一面の星だ。


 俺たちはいつの間にかプラネタリウムにいて、天井にざあっと人の手でまかれた白い砂でも眺めているんだろうか?


 でも、ひとつひとつの砂の粒は、大きさも色もすべてが違っている。

 ときおり吹き抜ける風が、プラネタリウムじゃなくて本物の空なんだと教えてくれる。

 どんだけ首を回したって、全部の星を視界に入れるなんてできやしない。


 美弥みやちゃんに見せてあげたい景色が、またひとつ増えた。

 今、俺の前にいるのは、残念ながら彼女の兄貴だ。


「――――」


 アフリカの、満天の星の下で。

 折賀おりがは小さく、自分の「正直な気持ち」をつぶやいた。



  ◇ ◇ ◇



 俺たちの怪我は、幸い入院するほどではなく。

 タブレット越しに、アティースさんに『もう帰ってこい』と言われた。 


 今回の旅は、何だったんだろう……。

 確かに、ここへ来てハレドの過去をたくさん知ることはできた。

 でも、俺たちが調べようとしなければ、少なくともこの地では犠牲者を出さずに済んだんじゃないだろうか。


 アティースさんは、『それは違う』ときっぱり言い切った。


『やつはルワンダだけでなく、ブレーメンや北京でも多数の犠牲を出している。対象以外も含めて殺害するのは施設ファウンテンのときと同じだ。

 ルワンダでは関係者の顔を見て能力アビリティが暴走したかもしれんが、他の地点でも明らかにヒクイドリ化が進んでいる。それはきみたちが原因というわけじゃない。

 やつはこれからも殺戮を続けるだろう。やつの手から守れなかった命すべてを『自分のせい』だと抱え込む気か。重荷に耐えかねて動けなくなるだけだ』


 そうかもしれない、けど。

 今のあいつは、パーシャの指令が変わってなければ、まだ俺を標的にしてる。無関係というわけじゃない。


『二人とも、もうわかっていると思う。これ以上の犠牲を止めるには、方法はひとつしかない。覚悟を、決めてくれないか』


 どんな叱責の言葉よりも、その言葉は重く深く響いてきた。


 俺たちは、あいつが多くの人間たちに対してやってきたことを、あいつにやろうとしている。



  ◇ ◇ ◇



 さすがにこのケガですぐ帰国するのは無茶なので、首都・キガリに一泊することになった。


 病院からキガリまで、車で二十分ほど。

 その道を、徒歩で行くと言い出したのは折賀だった。歩きながら、考えを整理したいからと。


 結局ケガの養生にはなってねえけど。

 雄大な景色を眺めていると、確かに時間をかけて歩いてみたいとも思う。

 徒歩だと、ええと、たまにちょっとランニングも混ぜて、三時間くらい?


 駐在員さんには先に行ってもらって。

 茶葉とかトウモロコシとか、実に様々な緑の畑が連なる丘を、いくつも越えてひたすら歩く。

 赤茶色のたいして広くはない道沿いには、石やレンガを積んだ小さな家が並び、道端に座り込んだ女性や子供たちが何かの農作業をしている光景も見られた。


 大きなかごを持った男の子に話しかけられた。周りには、もっと小さい子たちもわらわらと。どうやら、かごの中のオレンジを買ってほしいらしい。


 俺たちは、駐在員さんに念のためにと渡されたおさつしか持っていない。ちなみにここの通貨はルワンダ・フラン。

 一番少額のお札を見せて、「これで足りる?」と聞くと、ビックリしてかごの中のオレンジを全部くれた。十個以上あったので、子供たちに一個ずつ渡してあげた。


 みんな笑いながら、その場で皮をむいてかじり始める。

 俺たちも、同じようにかじってみた。

 手と口がベタベタになったけど、ジューシーで、すげーうまい。


 持ってたウェットティッシュで手と口をきれいにすると、今度は自転車の後ろに男の子を乗せた男性に呼び止められた。

 男の子はこの国の子で、男性は日本人だ。


「すみません、この道で日本の人に会うのって珍しいので」


 男性は青年海外協力隊の隊員として、ルワンダにサッカーを教えに来てるんだそうだ。


「と言いつつイベントの手伝いとか水道管の修理とか、色々駆り出されるけど楽しいですよ!」


 教えてる子が熱を出したので、家まで送ってあげている途中だとのこと。

 起伏きふくが多いのに自転車って、大変だな。


 彼がひょろひょろと漕ぎだした自転車の周りには、サッカーボールを蹴りながら何人もの子供たちが群がって追走してる。賑やかで、楽しそう。


 同じ国から同じ国へ来たのに、俺たちとあの人とでは目的がまったく違う。こんな生き方もあるんだな。


 日没が近い。

 丘の向こうへ沈みゆく太陽が、坂を上っていく彼らの後ろ姿を、眩しいオレンジ色に染め上げていった。



  ◇ ◇ ◇



甲斐かい


 歩きながら(たまに走りながら)、一本道をしばらく行ったあと。久しぶりに折賀の言葉がこっちへ向いた。


「何?」


「今思ったんだけどな。お前には、ああいう仕事、向いてるんじゃないかって」


 ああいう仕事?


「ああ、さっきの青年海外協力隊の人?」


 そういや出張前、将来に向けて準備を始めた方がいい、ってこいつに言われたんだった。


「子どもたちに囲まれて、自転車を漕ぐ仕事?」


 自分で言うのもなんだけど。

 俺、確かにああいうこと、けっこうやりそうな気がする。


 少なくとも、人を殺す仕事に比べたら、よっぽど……。


 通信のとき、アティースさんに言われた。

 次の対決も、今回のようにいきなり始まる可能性が高い。

 前もって、自分がすべきことを理解し、シミュレーションし、覚悟を決めておくこと。


 ハレドは――こうなった以上、本人が罪の意識を自覚するよりも先に、命を断ち切ってやった方が幸せだ、と。


 コーディは――どうしていいのか、俺にはわからない。


 今はもう、物言わぬ人形のようなコーディ。

 ハレドを折賀に任せるしかないなら、必然的に、俺がコーディを……


 その思考に吐き気をもよおして、俺は立ち止まった。

 折賀も止まって、怪訝けげんそうに俺を見る。


 コーディは、すぐには現れないはずだ。折賀にけっこうはっきりと左手をやられたから。


 でも、もし「アー」に、樹二みきじ叔父さんのような治癒能力者ヒーラーがいたら?


「甲斐」


「折賀……ごめん……」


 そう言うのが、精いっぱいだった。


 コンビを組んでても、いちばんつらくていやな仕事をお前に押しつけることになっちまう。

 一緒に狙撃したとしても、いざ引き金を引くのはお前なんだ。


 こいつが人を殺すことをどんなに恐れてるか、俺は知ってるのに。


 まだ何の覚悟もなかった、能力の自覚もなかったただの高校生が、いきなり何人も殺す羽目になって。

 それをずっと恐れてるからって、誰が責められるんだ?


 だから……ごめん。

 俺には、代わってやることができない。


「空、見てみろ」


 意外な言葉につられて、うつむいていた顔を上げた。

 いつの間にか、すっかり暗くなってて。

 いつの間にか、広大な空に、様々な色にきらめく星。


「すげー……今更だけど、星ってこんなにたくさんあるもんなんだな……」


 沈んでいた心を引き上げるには、充分だった。


「俺たちがいる地球も、他の星から見たらあんな小さな点のひとつなんだよな……」


「そうだな。ここで俺たちが何を考えて何を言っても、小さなことでしかないのかもしれない」


 こいつが、こんなにしみじみとした口調で星を見上げながら言うなんて。珍しいこともあるもんだ。


「甲斐。今の気持ち、正直に言ってみろ」


 なに、突然。折賀の顔は、相変わらず大真面目だ。


「通信切ったから、指令室には聞こえない。聞いてるのは、俺と星だけだ。今だったら、何を言っても許される、って気にならないか」


「えー、なに? 内緒の恋バナでもすんの? だったら」


「それは聞きたくない」


「正直な気持ち言えって言ったのに!」


 美弥ちゃんへの思いはブロックされたので、仕方なく、という形で別の話。

 本当はずっと、心の底に沈んでいるずっしりとした思い。


「正直に言うと――俺、すげー、怖い」


「何が」


「色々! 全部! こんなのまともじゃねえよ! なんで俺たちが……」


「甲斐、それが普通なんだ。俺だって――」


 折賀は長い息を吐き切ったあとで、ぽつりと言った。


「俺だって、怖い」


 ダークブルーが、不安げに震えている。


「殺したく、ない――」


 それは、俺しか聞いちゃいけない言葉だった。


 殺さなきゃ、もっと多くの犠牲が出る。

 あのとき殺してれば、こんなにも犠牲を増やすこともなかった。


 それを全部承知のうえで。覚悟を決めて。

 それでも決して消えることのない、こいつの本音。


「あのとき、言っただろ」


 もう、ずいぶん昔のことのように感じる。かつて自分が発した言葉を掘り起こす。


「誰かが死んだとしても。殺さなきゃいけなくなったとしても。お前は、間違ってない。お前は、悪くないよ」


 ふっ……と、色が少し軽くなったように見えたのは、気のせいだろうか。

 折賀は俺に背を向けて、再び歩き出した。


「そろそろ急ごう。あと一時間くらい歩けばキガリのホテルへ着くだろう」


「あと一時間かー。ながっ」


「それとな」


 折賀は少しだけ振り返る。それからまた、前を向く。


「将来のことを考えた方がいいと言ったけど。本部の方針転換でオリヅルは廃止、お前は施設行き、って未来もあり得るからな」


「ひでー! 覚悟しとけっての?」


「覚悟。確かにそうだな。そのときは、俺が必ず施設へ行く。だからそれまで、おとなしく首を洗って待ってろよ」


 言い方!


 まあいっか。捕まりたくはないけど、そのときこいつが何するのか、見てみたい気もするな。


 月明かりの中、たまに懐中電灯も使いながらひたすら歩く。

 そろそろ町の明かりが見えてきたころ、アティースさんからの通信が入った。


『二人とも、明日の帰国はナシだ。直接ヴァージニアへ向かってくれ。「爆弾魔ボマー」――テオバルド・ベルマンが、施設を爆破して脱走した』

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