【閑話4】 猟犬コンビの恋愛事情? ?(2)

 レイくんの保育園は、片野原女子大学の近くにある。


 いつもと変わらず、朝からランニング。「いいトレーニングになるから」と、レイくんは俺の背中にポイッと乗せられた。

 折賀おりがは、レイくんと、美弥みやちゃんの自転車に乗せられたケーキが落っこちないように見張る役なんだと。頼もしいことで。


 そんなわけで、朝から五歳児しょって走る俺。重いっ!


 保育園にレイくんを預けてそのまま大学へ向かい、「世の親たちはいつもこんな大変な朝を過ごしてんのか」と社会の過酷さに思いをはせながら正門をくぐると、そこにアティースさんが立っていた。


「せっ、先輩! おはようございます!」


 ピンと背筋を伸ばした美弥ちゃんが、上気した頬をさらに赤らめながら挨拶すると、とたんに周囲から「キャーッ!!」と黄色い歓声が上がった。


 な、なに??


 なぜか周囲に大量の女子が群がってる。女子大生だけでなく、制服の高校生もいる。さらになぜか、女性の教員まで。


 世衣せいさんが、「あー、そこ、写真撮影はご遠慮くださーい」なんて警備員よろしく女子軍団の誘導に動き回ってる。なんのイベントだよ。


 美弥ちゃんは観客に動じることなく、ケーキが入った箱を持って前に進む。合唱部だけあって、ステージ度胸はたいしたものだ。

 箱がそっとアティースさんの前へ差し出される。


「先輩、これ、わたしの気持ちです! どうか受け取ってくださいっ!」


 心地よいソプラノの声に、落ち着きのある大人の声が重なる。


「ありがとう……私の大事な人」 


 何コレ!!


 アティースさんの、金色のまつげに縁どられた宝石のような瞳が美弥ちゃんを見つめ返す。

 その手がそっと美弥ちゃんの柔らかそうな頬を撫で、指が小さなあごを優しく持ち上げる。


「キャー! アティースさまーー!!」


「美弥ちゃん可愛いー!」


「どどどどうしよう折賀! 美弥ちゃんがイケメンに食われるー!」


 大爆発する会場で、俺はうっかり宝塚の観客席に紛れ込んでしまった一般男性のようにうろたえた。

 ちゃっかりと熱いシーンをスマホで撮影した世衣さんが、「はーい、これあとで販売するから名前書いてってねー!」と、あくどい商売まで始めている。


 女子大生たちだけでなく、大学の女性教授や、清掃の腰のオバサン(俺のバイトの先輩)まで列に並び始めたのは、見なかったことにしておこう……。


「美弥、いい加減にしないと遅刻するぞ。アティースも悪ノリし過ぎだ」


 突如現れた(ように観客には見えた)イケメン黒コート男の登場に、さらに歓声が上がる。麗しの宝塚トップスターとライバル役の黒コート男が、互いの視線を交差させ、娘役ヒロインをめぐって火花を散らす。彼らにこれでもかというくらいスポットライトが向けられ、ドラマチックなBGMまで流れ出した。


 ……また俺の白昼夢なのかと思ったら、ほんとに誰かが音楽を流してた。

 ここはもう、まごうことなき宝塚ショーステージだ。舞台から退場していく役者たちのあとを、観客たちの名残惜しそうなため息が追いかけていく。


 なんとか大学の熱狂を抜け出し、美弥ちゃんを高校の正門まで送ると、そこでもセーラー服軍団が待ち構えていた。


「折賀さーん! チョコ受け取ってくださーい!」


「美弥ちゃん可愛い! 歌ってー!」


「はーい、チョコの受付はこちら! 並んで並んでー!」


 今度は美弥ちゃんの友達、希優まゆさんと真季まきさん(合わせてまゆまきさん)が、受付と整列係に精を出していた……。


 どうやら俺たちは、この花園におけるバレンタインデーを甘く見ていたらしい。


 最近は男性にあげるチョコよりも友チョコの方が数多く飛び交ってるって、話には聞いてたんだけどね。


 そこに、女子学園ならではの華やかなイベントノリと宝塚熱と美弥ちゃんの魅了チャームスキルが加わって、朝からとんでもない盛り上がりを見せたのだった。


 なんで学校側が止めないのか謎。ここの学長はあの金髪ロン毛叔父さんの息がかかってるらしいから、まともな対応を求めるだけムダなのかも。


 あの叔父さん、今ここにいたら美弥ちゃんのチョコを金と権力で独り占めにしたに違いない。日本にいなくて本当によかった!



  ◇ ◇ ◇



 俺たちはそのあと女生徒軍団にもみくちゃにされながら、なんとかいつもの指令室へ出勤した。


 美弥ちゃんから預かった、チーム分のカップケーキの箱を隅のデスクに置く。

 俺から男メンバーに手渡しなんて絶対嫌だから、箱に「ひとり一個ずつ、美弥ちゃんから」とペンでキュキュッと書いておいた。


「えーと、ジェスさん、ケーキいらないんですか?」


「あとでもらうから! 今、愛しのキミとアツい恋の語らいしてんだヨ!」


 モニターの中で、フリフリのメイド服を着たMAYAちゃんが、ジェスさん相手に将棋を指している。仕事しろよ!


 折賀が近づくと、MAYAちゃんが瞬時に金髪グラマー美女さんに切り替わった。モニター破壊は無事回避された。だから仕事しろよ!


「写真いっぱい売れそうだな~。いくらになるかな~。あ、美弥ちゃんのケーキ! わーい!」


 ゲスい人が鼻歌歌いながらやってきた。


甲斐かいくんは美弥ちゃんになんか贈るの?」


「え、お、俺ですか?」


「そーそー、海外じゃ男性の方が女性にプレゼント贈ったりするんだよー。甲斐くんも何か気のきいたもの贈ってあげなよー」


 マジか!!


 助けを求めるように辺りを見回すも、今ここにいるのはジェスさん――は戦力外、あと折賀。


「お前、何か用意したりしてんの?」


「別に日本式でいいだろ、一ヶ月後で」


 ずいぶんと面倒くさそうな答えが返ってきた。その一ヶ月の間に、女子の期待値が三倍に膨れ上がったりするらしいけどね。何をどうするか、今から考えとかなきゃ。


 その前に、そもそもちゃんと美弥ちゃんにお礼言ってない! ケーキ争奪戦のせいですっかり忘れてたー。

 あとでちゃんとお礼言って、あと日ごろの感謝とか、色んな気持ちを……こう、あの人みたいに顎をクイッと……


 うわー! ムリ! あんなのぜってームリー!!


『別に美弥の顎くらい、触りたければ触ればいいだろう?』


「あの子に触るなんてムリですッ!!」


 だから俺の思考をハンパに読むのやめて黒鶴くろづるさんッ!


 折賀がドス黒い色をただよわせながら何か言おうとしたが、その前にニヤニヤしながら俺を見てる世衣さんに急いで質問を返した。


「せっ世衣さんは今夜ご予定でもっ??」


「私ー? 私はけいちゃんと、ホテルのオサレなラウンジバーへ殴り込みをかけに行くよ!」


「前半だけロマンチック! それってデートと襲撃どっち!?」


「形態はデートだけどね。今日京ちゃん連れてったら貧乏神スキルでどんだけのカップルが破局するかなーって、見物、もとい調査しに行くの」


「やめたげて!!」


 あとで現れた矢崎やさきさんは、「まあ、こんな僕でも世衣さんの役に立つんなら……」と、気の抜けた笑顔で語ったのだった。役に立ってないから、やめたげて!!



  ◇ ◇ ◇



 そのあと普通にトレーニングとバイトして、指令室へ戻った。

 折賀はとなりのミーティングルームにいるらしい。


 なんとなく様子を見に行った俺は――扉を開けた瞬間、とんでもないものを見てしまった。


 男女が二人、向かい合って立っている。折賀と、アティースさん。


 折賀の両手が、アティースさんの細い首に回されている。

 少しうつむいた彼女のさらりとした髪が、折賀の両手にかかる。


 なんだ、これ。


 二人があまりにきれいな絵になってて……まるで本物の恋人同士のようで、俺は、言葉を失った。


 アティースさんが、ゆっくりと顔を上げて、俺に向かって微笑みかける。


「甲斐。美仁よしひとがプレゼントしてくれたんだが、似合うか?」


 彼女のきめ細やかな鎖骨周辺を、細いチェーンが囲んでいる。


 って、あ、アクセサリー!

 女性にアクセサリーをプレゼントとか! 大人かよ!


「お、おま、お前、日本式はどこ行ったんだよ……」


「美弥に渡せって言われたんだよ」


 折賀の方は、日本式と言ったときと同じような面倒くさそうな顔してるけど、アティースさんは明らかに上機嫌だ。


 妹から手作りケーキをもらい、兄からアクセサリーをもらえば上機嫌にもなるだろう。兄妹まとめてこの人が陥落させたみたいに見える。

 実際、この人にはそれだけの魅力がある。男らしさでも女らしさでも。この人は誰よりも強くて美しい。


 やっぱ俺は、とてもかないそうにない……。


「お前、心にはいつも金髪ロリっ子がいるくせに。八歳近く年上(推定)と、九歳年下、どっちが本命なんだよ! 範囲広すぎるわ!」


 部屋から出てそう言うと、折賀はやっぱり面倒くさそうに返事もせずに行ってしまった。


 こいつの趣味はよくわからん。

 頼むから、やっぱり妹が本命だとか言うなよ!



  ◇ ◇ ◇



 帰ったら、ちゃんと美弥ちゃんにお礼を伝えるんだ。それから精いっぱいの感謝の気持ちを。


 ちゃんと言おう、ちゃんと言おうと念じながら折賀家へ帰ると、今度は美弥ちゃんが何か見慣れないものを持ち出してきた。


「チョコケーキだけだと、いつもの料理とあまり変わらないかと思って、こんなもの作ってみたの。どうかな?」


 差し出されたそれは、茶色い犬のぬいぐるみだった。すげー可愛い!


「え、こ、これって!」


「甲斐さんだから、甲斐かいけんだよ! 見て、ちゃんと虎毛になってるの」


 確かに、茶色の毛の中にそれっぽく虎のような模様が入っている。


「これ、ほんとに美弥ちゃんが作ったの!? すっごい可愛いんだけど!!」


「よかったー。これからおそばに置いてくださいな。可愛がってね」


「もちろん! すっげー嬉しい! ありがとう!」


 両手で大事に犬を抱え上げる。ふわふわの毛と、まるっとした柔らかボディが心地よい。


「足がちょっとくたっとしてるでしょ。自分でちゃんとお座りできるんだよ」


 あ、そうだ。ちゃんと言わなきゃ。


「美弥ちゃん。この子も、あとケーキもほんとありがとう。俺、バレンタインにこんなに素敵なものもらったの生まれて初めてだよ。一生懸命作ってくれて、ほんとに嬉しい」


「うん。喜んでくれて、わたしも嬉しい」


「……美弥ちゃん。俺ね、ずっと――」


 そのとき。俺の目に、また見たくないものが映ってしまった。

 黒ジャージ男が、黒い犬のぬいぐるみを抱えている。なんでだ。


「あ、お兄のはガゼルハウンドなの。二人のコードネームなんでしょ? アティース先輩が教えてくれたんだよー」


 つまり、俺とやつは同じレベルなのかと。

 しかもやつの方が先に渡されてるのかと。


 俺、いつかアティースさんや折賀よりも、美弥ちゃんのだいじな人に、なれるのかなあ……??



  ◇ ◇ ◇



 それ以来、二頭の犬は、寝るとき以外は折賀のベッドの上に並べて置かれるようになった。

 寝るときは、甲斐犬を俺の布団の中に入れて一緒に寝る。ときどき黒鶴さんが犬に同化してるけど。


 ところで、ベッドに二頭並べたはずなのに、誰もいない時間に甲斐犬がいつの間にか遠くへ飛ばされて落っこちてたり、ガゼルハウンドの枕にされてたりすることがあるんだけど……


 き、気のせいだよな??

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