日本・片水崎市

 【閑話3】 猟犬コンビの恋愛事情? ?(1)

2月14日


 ついに、この日が来てしまった。


 今まで、恋とはほど遠い、なけなしの義理人情にすがるだけだった。聖の文字がつくと言われる日。


 今年は違う。目の前に、俺が心の底から恋している女の子がいる。朝早くからキッチンで、ずっとそわそわ何かの作業をしている。


 俺の心もそわそわ。家中にただよう、甘くてコクのある香り。

 横には眉間にしわ寄せ、目をギラつかせながらウロウロしてる相棒。


 って、お前兄貴だろ! なんでもらう気満々なんだよ! 獲物を狙う獣の目になってるぞ!


「お二人に、大事なお話があります」


 キッチンから、エプロン姿の美弥みやちゃんが出てきた。ピンクのストライプのエプロン、すごく可愛い。


 いよいよ、記念すべき瞬間がやってきた!


「ごめんなさい。ケーキ、三つしか作れなかったの」


 ……へ?


「エルさんの急な出張でレイくんがやってきて、ちょっとバタバタしてたでしょ。みんなに配るカップケーキを作ったら、大きなケーキの材料が三つ分しかなくて。買い足しに行く時間もなかったの……」


 美弥ちゃん、しゅんとしてる。


「謝ることないよ。美弥ちゃんいつも忙しいんだし。言ってくれれば材料くらい買ってきたのに」


「ケーキを渡したい相手に材料買ってこさせるなんて、悪いと思って……。それに、おととい出張から帰ってきてから、お兄はかつてないほど爆睡かましてるし、甲斐かいさんもちょっと疲れてるみたいだったし」


 そうだった。アメリカで本部の奴らに受けた理不尽な仕打ちと、コーディのことで、俺はしばらく落ち込んでいた。美弥ちゃんに心配かけちゃったんだな。


「で、その三つのケーキを誰に渡すんだ」


 ずいっと前に出てくる折賀おりが。だから、なんでお前がもらう気なの!


「ひとつはアティース先輩。これは絶対に譲れません」


 キッチンから、神々しい光を放つチョコレートケーキが運ばれてきた。


 上部を飾るのは、きらきらと光あふれる華やかな世界。たくさんのスポットライトを浴びた、そう、これはショーステージだ。凛とした歌声とバックミュージックまで聞こえてきそう。


 ショーの主役は、ショートカットを撫でつけた麗しの美形シンガー。背中に重さ十キロはあると言われる背負い羽根をしょっている。そうだ、これは美弥ちゃんが好きな、宝塚トップスターの世界……!


 間違いない。このケーキは、アティースさん以外が食べることは決してできない。まさにアティースさんのためのケーキ。悔しいけれど、完敗だ。


「……甲斐さん?」


 はっ! 俺は今、何を?


 目の前のチョコレートケーキには、きれいな花模様のデコレーションがほどこされてるけど、大階段もなければ羽根をしょった男役もいない。今のは俺の白昼夢だったのか。


「ふたつ目は、レイくんにです」


「レイくん!?」


 思わぬ伏兵が潜んでいた!


 当のレイくんは、折賀部屋の千羽鶴をチャンバラでたたっ切ろうとして黒鶴くろづるさんに叱られている(聞こえてないけど)。

 ヴァージニアの研究施設ファウンテンに潜入しようとしてくれてるエルさんが留守の間、折賀家で預かることになったのだ。


 って、デカいホールケーキまる一個を、五歳児にやるのかよ!

 体のサイズ的に、その他大勢用のカップケーキで十分じゃん!


 と思ったが、美弥ちゃんが運んできたケーキは、まさにレイくんのためのケーキだった。


 ゾウさんにキリンさん、ネコさんにウサギさん。たくさんのおともだちが、仲良くすべり台で遊んでいる。公園には花が咲き、空にはかかったばかりの七色の虹。なんて平和で夢のある世界なんだ。間違いない、これは俺たちが食べていいケーキじゃない。


「うわーすごーい! ボクのケーキ!」


 五歳児のきらきらと輝く目が、宝塚のスポットライト以上にまぶしい。


「……甲斐さん?」


 はっ! 俺は今、何を?


 よく見ると、ペンでレイくんの名前とネコさんを書いて旗を立てただけの、即席デコレーションだった。美弥ちゃん、いったいどんな魔法を使ったんだ。


 と、なると。三つめは……


「甲斐さん。ほんとなら、三つめは甲斐さん用にして、お兄にはカップケーキでいいと思うんだけど……お兄が今にも泣きそうな顔してるから、二人用ってことでいいかな?」


 折賀が泣きそうな顔!?


 見るとそこには、かつてないほどの禍々まがまがしい暗黒のオーラを背負った地獄の死者みたいな男が、炎を噴き出しそうな目で俺をにらんでいる。


 美弥ちゃん、俺には殺人鬼か暗黒破壊神の顔にしか見えないよ?


「う、うん。それでいいよ」


 不本意だけど、これ以上美弥ちゃんに負担をかけるわけにはいかない。忙しい美弥ちゃんが、朝早くから一生懸命作ってくれたんだ。それだけで俺はもう、この先一年を幸せな気持ちで過ごせる自信がある!


「ちゃんとしたケーキ、また今度作るからね!」


 そう、なにもバレンタインじゃなくても、俺はいつだって美弥ちゃんの手作り料理を食べさせてもらってるんだ。この最高に幸せなピンクな笑顔とともに。これ以上贅沢ぜいたく言ったら罰が当たる。


「じゃ、今から名前書くね~」


 るんるんとハミングしながら、美弥ちゃんは三つ目のケーキにデコレートペンを走らせていく。


 ハート形の大きなケーキ。ローマ字で、左右に折賀と俺の名前。真ん中におっきなハート。なぜか周りにも、小さなピンクのハートをたくさん。


 ……えーと……


 これ、俺と折賀がカップルみたいなんだけど??


「ケンカしないで仲良く分けてね~!」


 上機嫌な美弥ちゃん、学校へ持っていく分を手早くラッピングして、身支度のために自室へ戻る。


 レイくんにまで、「うわー、らぶらぶだねー!」なんて言われた。


 これに入刀すんのかよ。二人初めての共同作業かよ。


 すると折賀が、禍々しい色を背負ったまま、キッチンからケーキナイフを持ち出してきた。


「ま、待て、早まるな。入刀前に、ちゃんと長さや角度を測って公平にだな」


「誰が、お前と公平に分けると言った」


 ギロリと睨む視線がすでにナイフ状だ!


 やつの握るナイフが、ケーキにではなく、真っすぐに俺に向けられる。(よい子はマネしちゃダメ!)


「ま、まさかお前……このケーキ、独り占めする気かよ!」


「ケーキを食いたきゃ、この俺を倒していくんだな!」


『お前ら、馬鹿か? 美弥は喧嘩けんかするなと言ったぞ』


 もちろん、黒鶴さんの声は折賀には聞こえない。


「おぉー! アツいタタカイがはじまるぞー!」


 レイくんの歓声を浴びて、今、ケーキ争奪戦のゴングが鳴った!



  ◇ ◇ ◇



「お待たせー! あれ、二人のケーキは?」


 美弥ちゃんが身支度を済ませた頃。


 ほとんど粉と化したケーキの残骸ざんがいを、俺と折賀は何とかかき集めてそれぞれの胃袋に押し込んだ。レイくんにもけっこう持っていかれちまった。


 いい年して顔と手をチョコまみれにした俺たちが、美弥ちゃんと黒鶴さんに呆れられたのは言うまでもない。



  ◇ ◇ ◇



<おまけ>


 俺がこれまで義理人情以外のチョコを受け取った経験がないのは、すでに述べた。頼むからこれ以上ツッコまないでほしい。


 折賀はどうかって?


 こいつがそんなにモテるように見える? 妹のチョコのために相棒を刺そうとするやつだぞ?


 高校んときどうだったかというと、部活もせずにバイトと神速下校に明け暮れてたから、やっぱりチョコをもらうような時間もなかったらしい。


 こいつは女子高生とのイチャイチャよりも、お母さんと妹の方が何倍も大事なんだよ。家族命。こういうやつだ、仕方がない。


 いつかはこいつも、恋に目覚めたりするんだろうけど。今んとこ、まだ想像もできねーわ。




<さらにおまけ>


「お前、美弥に真剣なんじゃなかったのか……」


「えぇ!? いや真剣だけど! なんで?」


「帰国して以来、緑と黒の折り鶴ばかり折ってんじゃねえか。誰のことを考えてんのか一目瞭然すぎる」


「うそー! 気づかなかった!」


「だいたい黒は美弥が折るって決まってるんだ。俺の部屋にお前の残念な鶴を飾る気か」


「いやこれ以上部屋に黒鶴さん増やすのよそうよ! お前の部屋、悪魔教の祭壇通り越してブラックホールがダークマター化してきてるよ!」


「今度はエア彼女の登場か。バレンタインだからって浮かれ過ぎだ。しばらく生贄いけにえになって頭冷やしてろ!」


「うへあぁー! ゲフォッ! 天井はりつけ、反対……ッ!」


「ちょっ、お兄! 甲斐さんを天上の暗黒大魔神への供物くもつに捧げないで! 今すぐやめないと、お兄のパンツをお兄のお箸でつまんで洗濯するからねー!」


 俺は床上に落下し、約十秒後、飛んできた森見もりみ先生に銃をつきつけられた。



 折賀家は相変わらず、こんな感じです。


 次は、美弥ちゃんの高校と「チーム・オリヅル」のバレンタイン模様をお送りします!

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