CODE44 折賀さんちの真っ黒な事情(5)

 気がつくと、もう夜の九時を回っていた。


 ラーメンチェーン店の窓際の家族席に、向かい合って座る四人の男。テーブル上には四つのコップ。

 状況は、まるで注文したラーメンや餃子が運ばれるのを待っている男四人グループだ。


 一帯に漂う中華百パーセントの香りが、胃を空っぽにしたばかりの身には重くこたえる。

 目の前には怪しいおっさんといかついおっさん。

 横には今にもおっさんズに飛びかかりそうな、血気盛んな相棒。

 こんなやつらに囲まれて、ストレスでますます胃が収縮しそう……。


 紅一点(?)の黒鶴くろづるさんは、ふよふよと調理場の奥に隠れてしまった。


「えーとそんじゃ、餃子でもつまみながら話そーか? えっいらない? あ、そう」


 のらりくらりと追及をかわそうとしていた叔父さんも、折賀おりがの無言の圧を前にして、ようやく腹をくくったようだ。


「そんじゃま、改めてこの怖いおじさんの紹介をします。このおじさんの名前は笠松かさまつ武文たけふみ、年はちょうど五十歳。で、人を眠らせちゃう能力の持ち主です。あ、言うまでもなくこの話も全部オフレコだからね?」


「…………」


 折賀の強い視線がまっすぐに笠松さんを刺す。

 やっぱり、折賀の母さんを眠らせていたのは笠松さんだった。それも、実弟である樹二みきじ叔父さんと結託して。


「で、僕たちがなんで姉さんを眠らせたのか知りたいんだよね? けっこう長い話になっちゃうんだけど……」


「余計な前置きはいらない、全部話せ」


「ですよねー」


 叔父さんは水をひとくち飲んで、大きく息を吐き出した。



  ◇ ◇ ◇



「十五年前になるかな。美仁よしひとが三歳で、美弥みやはまだ一歳だった。僕と笠松は、二人で姉さんのところへ遊びに行ったんだ。もちろん、可愛い甥っ子と姪っ子の顔を見るためにね。


 当時の僕はまだ外務省北米局の下っ端で、日本とアメリカを行ったり来たりしていた。笠松とは仕事でたまたま知り合って、なんとなく意気投合してよく一緒に飲んでたんだ。姉さんと三人で飲んだこともあるから、その日もいつものように、軽い気持ちで一緒に姉さんと子供たちに会いに行ったんだよ。


 美弥をベビーカーに乗せて、五人で散歩に出かけた。あの、ちょうどきみたちが暴れた片水野かたみの川だよ。覚えてないかもしれないけど、姉さんと子供たちは昔っから片水崎かたみさきに住んでたんだ。

 美仁は、自分がベビーカーを押すって言ってきかなくてね。美仁が自分で押してるつもりのベビーカーを、姉さんはこっそり後ろから押しながら、土手沿いをゆっくりと歩いていた。


 突然、若い男が連れている犬が吠え始めた。姉さんに向かって、牙をむきながら突進してきたんだ。姉さんも僕たちも驚いたよ。姉さんは犬に背を向けて、ベビーカーと美仁に手を伸ばした。二人を守ろうとしたんだ。


 ――そのとき何が起きたのか、正直、誰にもわからない。

 のちに姉さんは、自分の体の中の何かが砕け散って、体の外へ飛んでいったと話した。かつて経験したことがないほどの強い頭痛とめまいに襲われて、視界が真っ白になって。僕も、笠松も、姉さんも――その場の全員が、路上に倒れてしまったんだ。

 犬の飼い主の男もそうだったと思う。子供たちが泣く声と、どこかで誰かが騒ぐ声で、僕は意識を取り戻した。そのまま、誰かが呼んだ救急車に乗せられて、全員で病院へ行って検査を受けた。


 検査では、誰も、なんの異常もなかったんだ。犬とその飼い主にも、特に何もなかったとあとで聞いた。


 だけどね。その日から、色々とおかしなことが起こるようになったんだ」


 叔父さんは息をついて、上半身の体重を椅子の背もたれに預けた。

 笠松さんは、相も変わらず重々しい顔で押し黙っている。

 二人とも、嘘をついている様子は見えない。


 折賀の『色』からは、怒りの感情は消えている。

 たぶん、話に出てきた内容を何ひとつ覚えていないんだろう。戸惑っているのが明白だった。


「何日か経ったあと、姉さんは家で食器棚の上の物を取ろうとして、手を滑らせた。ちょうど足元に美弥が来た。落下物が美弥にぶつかるより先に、姉さん自身が、その場から三メートルほども吹っ飛んでしまった。幸い、軽い打ち身程度で済んだけど――なんでそんなことが起きたのか、わかるよね、美仁」


 はっきりと、折賀が息をのんだ。

「片水崎小学校事件」が初めてではなかったんだ。


「覚えてないかな。ほかにも色々不思議なことが起きたよね? 小学生のとき、美弥をいじめていた子がなぜか急に骨折して入院しなかった? 中学生のとき、美弥をいじめていた子が急に学校のベランダから落ちて入院しなかった? まだほかにもあるよ。きみ、昔っから美弥に何かあると無意識のうちに『能力アビリティ』を発動しちゃってたんだよ」


 テーブルの上に置かれた折賀の右拳が、かすかに震えている。

 言われた内容に、今まで何ひとつ気がつかなかったんだ。

 そのことを後悔してるのか。自分を責めているのか。


「変な『能力アビリティ』に目覚めてしまったのは、きみだけじゃなかった。笠松の『昏睡能力アンコンシャス』――人を眠らせる能力の方も、わりとすぐ発現しちゃってね。彼の両親が昏睡しちゃったんだ」


 笠松さんの眉が、わずかにピクッと動いた。


「笠松の能力で眠らせた人は、眠っている間、一時的に自発呼吸ができなくなることはあるけど、根本こんぽんの身体機能が衰えることはない。今の姉さんと同じくね。ただ、目覚めるまで半年から一年はかかるんだ。まるでコールドスリープみたいだよね。もちろん最初はそんなこともわからなくて、目覚める保証もないから、笠松はそうとう錯乱していた。


 犬に吠えられたあの日から、半年くらい経ったとき。姉さんと子供たちはまた、外出先で同じ体験をしたんだ。

 今度はブレーキの壊れた自転車が猛スピードで美弥にぶつかりそうになって――自転車に乗っていた子のほかに、そばにはボール遊びをしていた小さな子供が二人いた。その子たちと、少し離れた所にいたその子たちの親。全員まとめて病院送りになってしまった。


 姉さんは入院中、その子たちの親に連絡先を聞いた。

 あとになって、僕にその子たちがどうなったのか調べてほしいと頼んできた。


 調べたよ。自転車の子は、ある日突然窒息して死んでしまった。ボール遊びの子のひとりは、周りの人が赤いとか青いとか、嘘をついてるとか、変なことを言い出したらしい。その子の親は、父親がアメリカの人だそうだけど、気味悪がってその子を児童養護施設に入れてしまったんだ。ひどい話だよね」


 ――え。


 三人の視線が、いっせいに俺に集中した。


「その子は施設に入るとき名前も変わってしまったし、僕も仕事が忙しくて。その子の行方はそのままわからなくなってしまったんだ。結局、パーシャと『オリヅル』が見つけてしまったけど」


 息が、苦しい。どういうことだよ。


「で、ボール遊びのもうひとりの方は、特に何もなかったみたいだけど……つい最近、やっぱり変な能力アビリティが発現しちゃったんだってね。『セルフ・サジェスチョン』――自己暗示能力、だっけ?」


 タクだ。俺とタク、そんな小さなときに一緒に遊んでたのか。全然知らなかった。


「だからね。姉さんは、おかしくなっちゃったんだよ。自分が周りの人間を『超能力者』に変えてしまってるって。


 自分の息子に笠松、さらに知らない人まで大勢巻き込んで、怪我したり昏睡したり、死人まで出てしまった。本当に姉さんが原因かどうかはわからない。でも、そうとしか思えない状況証拠もある。


 笠松の能力アビリティは、何もしないでいると年に一度は勝手に暴走して、無差別に周囲の人間を昏睡させてしまう。だから姉さんは、頼んだんだ。他の人を眠らせるくらいなら、自分を眠らせてくれ、って」


 呼吸が、おかしい。心臓が暴れて、息ができない。コップを取ろうとしたけど、つかめない。


 倒れかけたコップを、折賀の手が支えた。ふらついた俺の体も、折賀の腕が支えた。ほんの少し、呼吸が楽になった。


「……悪い」


 折賀は視線を俺から外して、まっすぐに叔父さんを見た。


「今の話が本当だとして……母さんの言うことも、仮に全部本当だとして。このまま『オリヅル』に、何もかも隠し通す気なのか?」


「もちろん」


 叔父さんの返答に、ためらいはない。


「僕は姉さんの頼みでずっときみたちの面倒を見てきたし、きみたちが『オリヅル』や『アルサシオン』のやつらに見つかったあとも、『ファウンテン(超常現象研究施設)』に監禁されたりしないように尽力してきたんだ。今CIAにバレたら、姉さんともども今度こそ『ファウンテン』行きだからね。これからも、危険が去るまでずっと隠し通すから、そのつもりでねー」



  ◇ ◇ ◇



 冷たい水をがぶ飲みしたあと、トイレへ行って、思いっきり顔を洗った。

 体内のモヤモヤを全部吐き出してしまいたくて、大きく深呼吸する。


「あ、やべ、タオル忘れた」


 すると笠松さんがトイレへ入ってきて、黙ってハンドタオルを差し出した。

 軽く頭を下げてから、タオルを受け取って顔を拭くと、笠松さんは心底申し訳なさそうに両眉をハの字に下げていた。


「……ショックだったでしょう」


「え、あ、まあ……い、いえ」


 このおっさんがちゃんと話すの、初めて聞いた。


 彼の声も表情も、まるですべての元凶は自分にある、と語っているように見える。

 でも、よく考えたらこの人も俺と同じ立場なんだ。ただ、俺よりもずっと大人だっただけで。


「正直、まだ混乱してるけど……折賀も美弥ちゃんも、俺と同じなんですよね。美弥ちゃんにはまだ話せないけど、折賀がいるから……」


 折賀と話せば、もう少し落ち着けるような気がする。

 ふっ、と、笠松さんの表情がゆるんだように見えた。


「きみのアパートへ行ったのはね。きみの暮らしぶりを、じかに見ておきたかったからなんです。樹二は口には出さないけど、きみのこともずっと気にかけています。甥っ子と姪っ子の、大事な友達ですからね」


「…………」


「――というのは建前で、本当はこれを盗るためでした。申し訳ないので、やっぱり返します」


「えーと、なんですか、この袋」


「きみの歯ブラシと、あと、下着ですね。きみが本当にあのときの子供かどうか確かめるために、DNA鑑定に回すとか言い出すものだから」


 叔父さん……。ちょっといい人っぽい顔しといて、なんで男子高校生のパンツなんか盗むかなー? 歯ブラシだけでいいじゃん!


 顔をしかめた俺を見る笠松さんの表情は、意外なほどに優しそうだった。


 叔父さんが話を終えてから、ずっと、気になっていた。

 今のこの人の『色』は、青紫じゃない。今目の前に見えるこの『色』を、俺はよく知っている。


 俺を見つめる、澄んだ黒い瞳も。小さな笑みを浮かべる口もとも。

 よく見ると、誰かに似ている。どこかで見た、覚えがある。


「きみには、嘘がつけないみたいですね。もう気づいているかもしれませんが、どうか誰にも話さず黙っていてくれませんか。私には私の、理由があるんです。いつか、ちゃんと話しますので」


 なんと答えていいかわからず、俺は黙りこくってしまった。

 それは彼に対する「承認」の合図になってしまったので、俺はこのあともずっと、彼の秘密をひとりで抱える羽目になってしまった。


 ただでさえ、美弥ちゃんに隠してることだらけなのに。

 さらに折賀にも話せないなんて、こんなんアリかよ! 俺をストレスでハゲさせる気かー!!



  ◇ ◇ ◇



 叔父さんと笠松さんは、当初の予定通りこのまま空港へ向かい、アメリカへ渡る。

 アティースさんには、叔父さんが権力と口八丁を駆使してを通してしまったらしい。このままチームへ戻ったら、代わりに俺と折賀が正座させられるような気がする。


 俺たちは、いつもの折賀家へ帰る。

 折賀とも美弥ちゃんともたくさん話をして、これからのことを色々と考えなきゃいけない。


 お母さんのこと。俺たちの「能力アビリティ」のこと。

 心が落ち着くまで、もうしばらくはかかりそうだ。


 おまけに、美弥ちゃんだけでなく、折賀にまで話せない秘密ができてしまった。いつまで黙ってりゃいいんだ。

 あのおっさんも、叔父さんも、今度会ったら絶対文句言ってやる。今から何て言うか考えとかなきゃ。


 笠松さんの『色』からは、俺たちと話ができたことで罪悪感の色が消えていた。


 残されたその色を、俺はよく知っている。


 どこまでも責任感が強く高潔な、濃い色でありながら澄み渡った濃紺――折賀と同じ、ダークブルーだ。

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