ミッション:アメリカ・インディアナ州
CODE45 少年よ、廃車の山を越えて行け!(1)
2月7日
――
――甲斐。いい加減、起きろ。
鼓膜をくすぐるような、あったかい声。
頰にかかる優しい息が、相手の確かな存在を教えてくれる。
ものすごく、あったけー……。
誰かと共にいる布団が、こんなにもあったかくて気持ちのいいものだなんて知らなかった。
起きたくない。ずっとこのまま、温もりの中に身を沈めていたい。
優しい手が、俺の髪を撫でる。
仕方なく、薄く目を開けると、目の前には見慣れた黒い瞳。
「
『甲斐があまりにも気持ちよさそうだから、布団とはどのような感覚かと思ってな。確かに出たくなくなるな、これは』
「出るも何も、首から下が完全に布団と同化しちゃってるんだけど……」
『ではこれからは、布団の中に私が入るための空間を空けておいてくれ』
「それ、俺が風邪ひいちゃう」
最近黒鶴さんは体温スキルまで習得したらしく、触るとちゃんとあったかいのだ。なんかの精霊なのに、どんどん人間っぽくなってる。
容姿だけでなく、体温まで実は俺の妄想なのかもしれんけど。
「甲斐さん、さっきからお布団で何話してるの?」
ガバッと飛び起きると、美弥ちゃんは
折賀はベッドの布団を畳んでいる。
「もうすぐ卒業だから、クラスの女子に話しかける練習でもしてんだろ」
「何その哀しい練習!」
「甲斐さんって面白いねー」
クスクスと笑う声に、小鍋を火にかける音が重なる。
続いて棚から食器を取り出す音。
大きなひびの入った食器棚のガラスには、間に合わせでテープが貼られている。
これが今の、俺の日常だ。
目を覚ますと部屋には精霊と相棒がいて、大切な女の子が、俺のために朝食を作ってくれている。なんて幸せなんだろう。
この幸せは、いつまでも続くわけじゃない。
いつかはそれぞれが新しい人生を歩いていくために、この空間を出ていくことになる。いつまでも三人(プラス一体)一緒にはいられない。
それがわかっているからこそ、この日常を大切にしたいと思う。
「甲斐さん、もうすぐできるよー」
その声に、慌ててジャージからジャージへ着替え、顔を洗うために洗面所へ飛んでった。
◇ ◇ ◇
近所のどこかから、けたたましい犬の吠え声が聞こえてくる。
それを聞きながら、俺はふと「十五年前」の出来事に思いを馳せた。
十五年前。折賀と美弥ちゃんのお母さんに、犬が吠えかかった。飛びかかろうとした。
ひょっとしたらその犬は、お母さんの常人ならざる能力に気づいたのかもしれない。きっと、すごく利口な犬だったんだ。
その犬は、叔父さん調べによると、数日のうちに死んでしまったらしい……。
ああ、可哀想な犬。その飼い主は、正直どうでもいいけど。
飼い主こと亀山のおっさんは、ここ数日、毎日アティースさんに怒鳴られている。
「もっとしっかり思い出さんか! 群衆の、美女ばかり鮮明に記録して、それ以外がボケまくってるじゃないか!」
「ひええー! すみませーーん!」
亀山のおっさんは、イタリアから帰国してからずっとこの調子で、何度も何度も
街頭監視カメラはジェスさんが片っ端から洗ってるので、あとはコーディたちのそばにいたおっさんの記憶に頼るしかない。
コーディ。あれからどうしてるんだろう。左腕は治ったんだろうか。
「
あの、勝気そうなのにすがるように俺を見る目が、ときどき頭から離れなくなる。
◇ ◇ ◇
美弥ちゃんの高校が休みなので、三人でショッピングモールへ出かけることになった。普段はバイト三昧だから、三人そろって遊びに出るのは初めてだ。
目的地へは、折賀家から駅まで十五分歩いたあと、電車に乗って二駅目。
特に決まった目的があるわけじゃないけど、美弥ちゃんはお菓子の材料を見たいと言ってた。それって、時期的に、もしかして……。
駅に隣接したショッピングモールは、平日でも数多くの買い物客でにぎわっている。赤やピンクのハートの飾りつけが、あちこちの空間をこれでもかと埋め尽くしている。
広い通路を適当にぷらぷら歩きながら、ウィンドウショッピングしたり、ゲーセンに寄って遊んでみたり。
ちょっとしたことでも花のように笑う美弥ちゃんを見てるだけで、本当に楽しくて。折賀でさえ、美弥ちゃんといると自然に笑顔になる。
三人ともゲームは下手だったけど、普通の高校生らしく、俺たちは今このときをめいっぱい楽しんでいた。
人混みの中に、あるはずのない『色』を見つけるまでは。
「――折賀」
その一声で、折賀の目が鋭くなる。
「ちょっと、ひとりでゆっくり見たいのがあるから。製菓材料、美弥ちゃんと二人で見に行っててくんない? 終わったら連絡する」
「わかった」
折賀は美弥ちゃんの肩を押し、何か言いかけた美弥ちゃんを急かすように、自然な速度でこの場を離れていく。
タクのときと同じ流れだ。
折賀は美弥ちゃんを安全な場所へ連れ出しながら「オリヅル」へ連絡。
その間、俺は人混みにまぎれた対象から目を離さないようにする。
今回の対象は――くたびれたような、濃いグレー。
イタリアで、俺たちに投げナイフの雨を浴びせた男。フォルカーだ。
◇ ◇ ◇
『色』の移動に沿って、俺もゆっくりと動く。
背中にかけていたボディバッグから、時計型端末を取り出して左手首に装着する。
近づくにつれ、確かに見覚えのある姿が視認できるようになった。
スコープで
それに、相手がわざと俺に見つかるように動いているのが明白だ。
下手な真似をすれば逃げられる。あるいは周囲に害が及ぶかもしれない。
やつはフードコートまで俺を誘導し、そのまま隅の椅子のひとつに腰を下ろした。
その一画はまだ客の入りが少なく、周囲の席も空いている。
しばらく迷ってると、こちらに背を向けたまま、やつの右手指がちょいちょいと手招きした。
意を決して、やつの正面へ向かい、俺も椅子を引いて腰を下ろす。
「あんたと話がしたくてね。わざわざこんなとこまで来ちまった。応じてくれて助かったぜ」
前はわからなかった、こいつの言葉がわかる。
正面に、映画のモブ役などにいくらでもいそうな、ぼちぼち
捕獲できなかった場合、話せる時間は限られてる。俺は慎重に質問を繰り出した。
「話って、何」
「あんたたちに、コーディを助けてほしい」
「……!」
唐突過ぎる。こんなとき何て返せばいいんだ?
「場所はあとで教える。あんたと
「え、なんで俺たちがそんなこと……」
「コーディを助けてくれれば、礼としてパーシャの居場所を教える」
「……」
かなり重大な話を振られた。俺が今この場で即決できるわけがない。
「俺ひとりじゃ返事なんてできない。せめて指示を仰ぐ時間をくれないと」
「俺に時間なんてねえんだよ。グズグズしてると『オリヅル』に囲まれちまうだろ? とにかく、あとで連絡するからな」
そう言って立ち上がるフォルカー。
話が急展開過ぎる。俺も立ち上がりながら、必死に食らいついた。
「待てよ! なんであいつを助けなきゃいけないんだ? あいつそんなにヤバいのか?」
「知りたきゃ、俺が指示する場所まで来るんだ。そんで俺を捕まえてみせろ。詳しい話はそのあとだ」
捕まえる? それがコーディを助けることになるのか?
そのまま立ち去ってゆくフォルカーの背中を追おうとすると、目の前に五人の男が現れた。俺の行く手をふさぐように、ただ黙ってその場に立っている。
この五人は、
場所が場所だけに、五人を振り切ってフォルカーを追うのは諦めるしかなかった。
フォルカーはそのまま
三日後。大学の「オリヅル」指令部あてに、一通の封書が投げ込まれた。
やつが指定した場所は、アメリカ中西部にある田舎町。
古びた自動車修理工場があるポイントだった。
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