CODE42 折賀さんちの真っ黒な事情(3)
おそらくアティースさんの
肝心の叔父さんがピンピンしてて、ダメージを受けたのはツッコんだ「オリヅル」専用車、それと――
「あの、大丈夫ですか?」
思わず心配になるほど、痛そうな本音を隠してやせ我慢とともに突っ立っているおっさん。
いや俺、『色』を見れば、なんでもなくないことくらいわかっちゃうんだけど……。ここはおっさんの
その辺で
矢崎さんによると、この方々はある組の
折賀が若頭もひっくるめて全滅させたおかげで無用の抗争を未然に防ぐことができて、組長さんも町の皆さんも大喜び、なんだそうだ。
俺が退場させた不良どもといい、俺と折賀のケンカは決して無駄ではなかった――けど、すべてが叔父さんの
また車に乗るよう誘われたけど、きっぱり断って、折賀と一緒に大学まで走ることにした。
ここからだとたいした距離じゃない。指令室で報告だけして、さっさとバイトに行かないと。
もうすぐ大学正門というところで。折賀はふと立ち止まり、大学の敷地をざっと見渡しながら言った。
「
「――なにそれ?」
「すべて、あの叔父の息がかかっている。母親をあの病院へ入院させ、俺たちをこの町に引っ越させ、美弥を高校へ入れ、大学にチームの拠点を設置したのは、すべて叔父の力だ」
マジか……。
金持ちだとは聞いてたけど、そんなにすげえ人なのか。
「お前の目には、かなり奇異に映るだろうけど。あの格好は、固すぎて息の詰まる官僚時代の反動――らしい。あれでもアメリカとトルコの大使館で二等書記官だった。今は外交コンサルとして、昔の人脈を駆使して外務省に先んじた海外危機管理対策業務を行っている」
「え、海外危機管理……って、どんな?」
「日本人が海外で天災・人災に遭遇したとき。国が肝心なことを即決できずモタモタしてる間に、対象国の政府なり企業なりと交渉、現地での安全確保、帰国手配。それらをすべてあらかじめコーディネートして、日本政府からの要請に即座に応えられるようにする。叔父が会社を設立してから、事件発生時の日本への帰国が平均三日は早くなったらしい。現地軍事会社と提携して、テロから日本人一家を守った実績もある」
すげえ人だということは、よくわかった。
見た目に反して、やっぱり頭がいい人なんだということも。
「……うーん……でもあの人、どっか得体が知れない気がするんだよな」
「お前がそう言うなら、そうなんだろうな」
折賀は一応、俺の「
「俺も
「すげー怪しい……大丈夫なのかよ、あの人」
「今はアティース、つまりCIAが叔父の身元を保証している。母親の実弟であることは間違いない、らしい」
折賀は遠くを見るような目で、軽くため息をついた。
「もう少し普通に出会っていればな。叔父のやっていること自体は、理にかなっているし、誰かがやらなくてはならないことなんだ」
その言葉の色に、叔父さんへの軽蔑のようなものは見られない。それどころか――
「叔父さんの仕事、ずいぶん認めているんだな」
俺の言葉に、一瞬目を丸くした折賀は、そのまま考え込むように目を伏せた。
「あんな叔父だけどな。仕事には、正直、興味がある」
「やってみたいってこと?」
「今の『オリヅル』の仕事も、ゆくゆくはそっちに活かせれば、と思う。俺がやってみたいのは、『国際情報官』。今の日本に圧倒的に足りなくて、絶対に必要な仕事だ」
折賀が将来の夢みたいなことを話すのは、初めてだった。
最近医学書なんて読んでるから、
こいつなら、一度スタートを切れば夢に向かってどこまでも突き進んでいけるだろう。アティースさんが評したこいつの美点は、「努力・勤勉」だ。
だいぶ変な形とはいえ、憧れの仕事を持つ大人の男がそばにいる。
でもそういうのって、本来はまず父親の役目だよな。こいつの父親って、いったい……。
◇ ◇ ◇
指令室へ顔を出すと。
先に到着していた叔父さんがアティースさんにネチネチ嫌みを言うという、実に恐ろしい光景を見てしまった。
「アティ、まだ敵組織の正体もつかめてないってどういうこと? 分析官は本部も含めてこき使いまくってるって聞いたけど? たったひとりの女の子幹部に
「……力及ばず、まことに申し訳ございません」
うわぁ……アティースさん、表面上はにこやかに応対してるけど、内心はらわた煮えくりかえってるぞ。恐ろしや。
「また予算が足りないとか設備がしょぼいとか言いたいの? 僕からロディに口きいてあげようか?」
「いえ、それには及びませんので」
「ロディ」ってのは、現CIA長官、ロディアス・ハーツホーン氏のことらしい。
つまり、俺たち「オリヅル」を含めた大組織・CIA全員のトップに君臨する人物だ。そんだけの大物と親しいアピールかよ。
叔父さんの後ろで、笠松さんは相変わらずの無言・無表情。
せっかく折賀が憧れるような仕事持ってんだから、もっとそれらしくしゃきっとすればいいのに。
軽い報告だけ済ませて、俺と折賀はそそくさと指令室を出た。
『あの男、確かにいけすかない顔をしているが、
ふよふよと空中を漂いながら、
『美仁が組織に捕らえられたあと、わざわざアメリカまで乗り込んできたしな。美仁が施設の実験動物とやらにならずに済んだのは、あの男の交渉手腕だと言ってもいい』
折賀兄妹を中学の頃から見守ってきた黒鶴さんが言うんだから、まあ本当なんだろうな。
じゃあ、あの人の『色』に見える「得体の知れなさ」は、いったいどこから来るんだろう……。
◇ ◇ ◇
食堂のバイトがもうすぐ終わるころ、突然世衣さんが駆け込んできた。
「おーい!
「世衣さん、そんなに慌てなくても、大学芋ならまだ残ってますから」
「違ーう! さっき病院から連絡があって! 美仁くんたちのお母さんが!
言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。
「え、えーと……ほんとですか?」
「美仁くんはすぐに飛び出してった! 美弥ちゃんは、今ボスが送ってるとこ!」
二人のお母さんが、目を覚ました。二人がずっと願っていたことが、現実になった。
「ほら、甲斐くんも早く行きなよ!」
「え、でも俺、家族でもないのに」
「家族みたいなもんでしょ? ちゃんとご挨拶してきなよ。ほら行った行った」
世衣さんに後押しされて、俺も慌てて食堂を出て走り出した。
二人のお母さん。俺が、勝手に思念を見てしまった人。どんな顔して会えばいいんだろう。
でも、やっぱり会いたい。一目でいいから、挨拶をして。一言でもいいから、話をさせてほしい。
走れば二・三分で着く距離なのに。
普段よりも長く苦しく、もどかしく感じた。
◇ ◇ ◇
病室では、折賀兄妹と
美弥ちゃん、お母さんにしがみついて泣いてる。とぎれとぎれに
お母さんは、そんな美弥ちゃんを両腕で優しく抱きとめている。
眠っていたときとまったく変わらない、白くてきれいな肌。美弥ちゃんを見つめる、優しそうな目。
――ん?
いや、さすがにちょっとおかしい。
眠ってるときからずいぶんきれいな人だとは思ってたけど。
確か、去年ちょっと目を覚ましたのが最後で、それから八カ月近くは眠りっぱなしだったはず。
「美弥、ずいぶん大きくなったね。でも泣いてばかりだと、また赤ちゃんに戻っちゃうよ?」
え、見えんの?
眠りっぱなしで、体中の筋肉が衰えているはずなのに?
ふいに、折賀と目が合った。視線が「余計なことを言うな」と語っている。
そのままそっと病室を出ようとすると――
「いらっしゃい。あなたが甲斐くんね」
穏やかで、しっかりと芯のある声。
ツッコミどころは多いけど、これが美弥ちゃんの大好きなお母さんの声であることは間違いないんだ。俺は普通に挨拶することに決めた。
「はじめまして。片水崎高の、
「甲斐くん。たった今、美弥が話してくれたの。ヨシくんと、美弥と、仲良くしてくれてるって。おかげで毎日、全然寂しくないって。いつもありがとう」
「は、はい」
こんなとき、普通はなんて話すべきなんだろう。
言葉に迷ってると、叔父さんが「ほら、姉さん無理しないで」と、なかば起きていたお母さんの体をベッドに横たえた。
ふと扉に目をやると、アティースさんがくいっと指を曲げて俺を呼んでいる。
「ちょっとすみません」と断って、外へ出て扉を閉めた。
正直、助かった。
あの場所で、俺はどんな役割を演じればいいのか皆目わからない。
美弥ちゃんの気持ちを考えれば、素直に喜ぶべきなんだろうけど。違和感が、どうしても
「しばらく家族だけにしておこう」
アティースさんは、いつもと変わらぬ冷静な声。『色』だって変わらない。
「あの、アティースさん。失礼かもしれないけど……あのお母さん、ちょっと変じゃないですか?」
「言いたいことはわかる。きみの目には、彼女は何色に見えたんだ?」
「……銀色です。すごく落ち着いてるけど、滅多に見る色じゃない……」
アティースさんは、ぽんと俺の肩に手を置いた。
「以前も話したと思うが、彼女は何らかの
ここが叔父さんや「オリヅル」の息のかかった病院でなければ、今頃大騒ぎになっているところだ。
「もうひとつ、違和感があります」
俺は勇気を出して、今まで折賀にも美弥ちゃんにも聞けなかった疑問を口にした。
「二人のお父さんって……亡くなったんですか?」
「わからない」
即答だった。
「彼女に婚歴はない。二人には、美弥が二歳の頃亡くなったと説明していたそうだ。折賀樹二にも心当たりはないらしい。
だったら今、聞くべきでは。
そう考えた俺に、アティースさんは突然予想もつかない言葉を投げかけた。
「甲斐。私たちは、きみの両親のこともすでに調べてある。もしも知りたければ、いつでも教える準備ができている」
「…………」
それこそ、何て、言えばいいんだ。
その情報を、俺はずっと誰にも尋ねず完全に遮断してきた。施設の「ばあちゃん先生」にさえ
折賀たち家族の姿を見て、俺が心変わりするとでも思ったんだろうか。
俺は答えなかった。
しばらくすると、病室からお母さん以外のメンツがぞろぞろと出てきた。さすがにもう帰ろうという話になったらしい。
「美弥ちゃん、よかったね」
そっと声をかけると、まだ赤い目をしている美弥ちゃんは「ありがと」と、こぼれるような極上の笑顔を見せてくれた。
◇ ◇ ◇
「それじゃー帰ろうかー。いやー、美弥の手料理楽しみだなー」
この叔父さんまで折賀んちに来るって、マジか。
兄妹は微妙に複雑な顔をして、歩き慣れた病院内を歩いていく。
ふとそこで、俺はひとり足りないことに気づいた。
「あれ、笠松さんは」
「あいつは仕事を思い出して先に帰ったよー。よかったじゃん、あんなエンゲル係数高そうなやつがいなくなってさ」
あんたがいなくなった方がよかったんじゃ、とツッコむより先に。
俺はまた、かすかな違和感に気づいてしまった。
――この叔父さん、嘘をついている。
他のことはわからないけど、今の笠松さんについては嘘だ。なんで嘘をつく必要が?
思い出せ。ここに来てからの、叔父さんや笠松さんの様子はどうだった?
笠松さんは、どんな顔で折賀の母さんのそばにいた?
(この笠松も、昔っから姉を知ってるからね)
叔父さんは、そう言ってなかったか。笠松さんは、ずっと何か思いつめたような顔をしていなかったか。嫌な予感がする。
「悪い、ちょっとトイレ。走って追いかけるから、先帰ってて」
そう言ってトイレの方に向かい、みんなの姿が見えなくなるのを待って、すぐに階段を昇った。
気のせいなら、それでいいんだ。
もう一度だけ、折賀の母さんの無事な顔を見て、そしたらみんなを追いかけて――
病室の前へ来ると、扉の向こうから何かが聞こえてきた。
ぼそぼそとくぐもっていて、よく聞こえない。でもたぶん、男の声だ。
急に、扉の隙間から怪しい『色』が漏れ出てきた。
青紫色。笠松さんの色だ。それが、急激に増幅している。
扉を少しだけ開けて、中を
ベッドの上に座っている折賀の母さんの額に、右手をあてて。目を閉じて、苦しげな表情で。
ふいに、『色』が消えた。笠松さんは手を下ろし、ハァハァと浅い息を繰り返す。その彼の目の前で――
折賀の母さんが、ベッドの上に倒れている。
笠松さんは、大きく息をつくと急ぎ足で扉を開けた。腰を抜かしかけた俺と、バッチリ目が合ってしまった。
「……!」
ぎょろっと
その背中を数秒間見送ったあとで、俺はそれどころじゃないことに気づいた。
「たっ、大変だ! 誰か――」
振り向いて走ろうとした俺の腕が、グイと誰かにつかまれた。
その男は、得体の知れない薄気味悪い笑顔で、俺の腕にギリギリと力を込めた。
「ダメだよー、甲斐くん。あの兄妹のことが心配なら、今見たことは絶対に話さないこと。いいね?」
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