【閑話1】 ゲームバトルでケーキ屋強盗襲撃事件!(1)

美弥みや、そこへ座れ」


 その瞬間、俺は覚えのある空気を感じ取った。


 あ、これ知ってる。

 国民的お茶の間アニメで、髪の薄い父親が小学生の息子を呼びつけるときの、あの空気だ。


 美弥ちゃんも同様の空気を感じたらしく、ベッドに座っている兄の前に恐る恐る近づき、畳の上にちょこんと正座して答えた。


「……なんでしょう、お兄さま……」


 兄、ぺらっと一枚の紙を広げる。

「保護者面談」で先生にもらってきた成績表。


「俺の言いたいことはわかるか?」


「……ふぁい……」


「お前が忙しいのはじゅうぶんわかってるけど、国立に行く気なら対策を始めた方がいい。もう一年もないんだから。家事は甲斐かいがめいっぱい働くから、その分の時間を対策に回せ」


 ここで「俺がやる」って言わないのがこいつなんだよな。まあ、実際にはこいつもちゃんとやるんだけど。


 しかし、家族でもないのに、家族会議で思いっきり当事者のひとりにされてる俺っていったい……。

 台所の拭き掃除をしながら、聴覚だけは常に折賀おりが兄妹の会話へロックオン。美弥ちゃんが窮地きゅうちに立たされたら、俺が盾になって兄貴の魔の手から守ってあげないと。


 それからしばらくは折賀のありがたい訓話が続いた。

 各教科の対策法から、昨今の大学受験事情にいたるまでいろいろと。

 こいつ、一年以上前に学校辞めたのに、なんでそんなに詳しいんだ? と思ったら、机の上に「大学受験案内」他の分厚い書籍が数冊積まれている。いつの間に。


「そんなに詳しいんなら、わたしよりお兄が大学に行くべきじゃないかな……」


「大学は必要になったら行く。高認は夏に受けるつもりだけどな」


 俺なんかと違って自分のやるべきことをちゃんと考えてて、そのうえで美弥ちゃんにも目的意識をはっきりと提示する模範回答。付け入るスキがねえ……。


「どの大学・どの学部を受けるにしても、英語がかなり重要になる。お前、ちょっとこの辺の英文読んでみろ」


 折賀が手渡したテキストを、素直に読み上げる美弥ちゃん。

 いつもながら、耳に心地よい、とってもいい声……。


「全然ダメ。英語ですらない」


「がーーん!」


「切る場所もアクセントも適当過ぎる。日本語なら『それはわ・たしのじんせ・いさい?・ごのしょ・くじでし?・た』と言ってるようなもんだ」


「例文がひどい」


「歌の発音はよかったのに、なんで話す方はダメなんだ」


「それは、歌の方はオリジナルを何度も聴いて、細かいとこまで気をつけるから……」


「だったら同じことをやればいい。子供が言葉を覚えるのと同様、何度も聴いて、マネして話す、それを繰り返すんだ。教材は検索でいくらでも探せるし、学校でも借りられるだろ」


「……ふぁい……」


 正論過ぎる……。


「甲斐。お前も他人事じゃねえぞ」


 ダークブルーの矢が俺の方まで飛んできた!


「やっと聞き取りやすいイギリス英語がちょっとわかるようになったレベルで、話す方は全然だろ。チームはお前の前では日本語だが、込み入った話を自分たちの言葉で話すこともある。そのうちついていけなくなるぞ」


 そのうえ、海外出張先で危険な能力者アビリティ・ホルダーどもと渡り合うかもしれんのに、英語もできないんじゃ話にならんぞ――と、以前からさんざん言われている。

 だから俺なりに、少しずつ頑張って勉強してはいるんだけどさ。

『色』がわかる能力より、言葉がわかる能力の方がよかった、って何度思ったことか。


「なぜ多くの日本人がいつまで経っても英語を話せないのかわかるか。それは『英語を話せなきゃ死ぬ』という状況に置かれることがないからだ」


「ひゃー! だってわたし片水崎かたみさき国民だもん!」


「たとえば、お前がバイトしてるケーキ屋に、突然外国人強盗グループが押し寄せて立てこもったとする。お前はやつらの要求が理解できず、最初に撃たれて死ぬ」


「こわ! 片水崎こわい!」


「折賀、美弥ちゃんはちゃんとやるって言ってんだし、わざわざ怖がらせるようなこと――」


「ひとつ、案がある」


 無視かよ。


「俺演じる強盗犯が、これから美弥のケーキ屋に立てこもる。美弥は店員、甲斐はたまたま居合わせた客。英語で強盗犯と渡り合い、自分たちの安全を確保してみせろ」


 折賀は一枚の白紙を取り出し、そこにザッザッと線を引き、何かを書き込み始めた。


「これはケーキ屋の見取り図。これに沿って各自の位置を決める」


「なんで、お兄が『ハニー・メヌエット』の裏側や二階の造りまで知ってんの……」


「やったことないんだけど、ええと、英語で進めるテーブルトークRPGみたいなもん?」


「たぶんな。俺もやったことないけど」


 よくわからないまま、俺たち三人の即興英語劇がスタート。

 気軽なゲーム感覚で始まったはずのそれは、徐々に遊びでは済まされないハードな様相を呈していくのだった――。



  ◇ ◇ ◇



「『お前ら動くんじゃねえ! いいか、これは本物だぞ。死にたくなければ両手を挙げてそっちの壁に寄れ!(※アメリカ英語)』」


「えええ? 今なんて?」


 美弥ちゃん、さっそく撃たれた。


 本物の立てこもり事件ならスマホに触れるわけがないけど、俺と美弥ちゃんにはスマホや辞書などで調べる許可が下された。でないとろくに喋れねーからな。


「なんで、こんな日常のカケラもない野蛮な英会話をやんなきゃなんないの?」とブーブー言ってた美弥ちゃんは、「アティースはこの手の物騒な話が大好きなんだ」という言葉であっさりと懐柔された。事実だから反論できない。


 何度目かのリプレイで、ようやく俺と美弥ちゃんは強盗犯の要求どおりに動き出した。

 あらかじめ用意した各自専用のコマを持って、それを見取り図の上で壁ぎわに動かしていく。


 ほっとしたのもつかの間、強盗犯の英会話攻撃が洪水のように流れだす!


「『ハリー、入り口と窓を完全に封鎖。エドは裏口、トビーは上へ行け』」


「『あぁ? 裏口ってどこだよ!』」


「『自分で探せ!』」


「『ネッド、こいつら縛るんだよな?』」


「『ああ、頼む。電話や武器になりそうなものを持っていないか念入りにチェックしとけよ』」


「ちょっと待てー! 強盗犯、何人いんだよー!」


 今度は俺が撃たれた。


「『お前らに教えるわけねえだろ、バカか』」


「……ちょっと作戦会議……」


 俺と美弥ちゃんは折賀から離れ、台所の隅で作戦を立てることにした。


「まず強盗の人数や位置を把握しよう。はっきりしたやつから順にコマを置けるはずだ。できればそれぞれの名前や性格、話し方なんかも」


「なんで立てこもったのか、要求も聞かなきゃ」


 英会話練習というより犯罪心理戦に近くなってきた。


 何度か撃たれたり怒鳴られたりした結果、どうにか相手は五人確認できた。

 折賀の野郎、ちゃんと五人分の設定を作り込んでやがる。アクセントや言い回しまで変えてくれちゃって。

 アティースさんたちなら、それぞれの出自を言い当てられそうだ。


 これは簡単に解決できそうにない。

 強盗犯との駆け引きは、それから数日にわたって続けられたのだった。



  ◇ ◇ ◇



 俺たち二人は後ろ手に縛られているので(※設定上)、行動が制限されている。

 たとえばそこら辺に落ちてる物をすぐに拾ったり、ドアを開けて外に逃げるなんてことはできない。


 従業員口や二階の状況も把握しておきたい。

「『トイレへ行かせてください』」という初級英語で、俺はパットと呼ばれる男に見張られながら店の奥のトイレへ向かった。


 数日の間に、ケーキ屋の見取り図は食卓の半分を占めるほどの立派な大きさに変わり、キャラクターコマも美弥ちゃんお手製の可愛い布製ワッペンみたいな物になった。コマにはそれぞれの名前が書き込んである。 


 俺がトイレの方へ自分のコマを動かすと同時に、折賀がパットのコマを動かす。

 ドアを抜けると、従業員口の位置にエドのコマが配置された。くそー、スキがねえな。


 ゲーム開始直後のやつらのセリフから、ネッドってやつがリーダー格で、二階にトビーがいることはわかってる。


 電話は早々に取り上げられた。

 逃げるのも外部へ助けを求めるのも無理、となると――


「『なんで強盗なんて始めたんですか?』」


 パットに殴られた(らしい)。


「そんな直球の質問に強盗が答えるわけねえだろ。徐々に相手の素性や心理を探りながら、自分は危険のない人物だと思わせる。基本だろうが」


 母国語のみならず、『色』の透視能力まで封印された俺に無茶言わんでくれ!

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