CODE31 女子高潜入ファイル・突然の保護者面談!(4)

甲斐かいさん、ごめんね、わたし……」


 やっと少し落ち着いたらしい美弥みやちゃんが、下を向いたまま途切れ途切れに言葉をつなぐ。


「甲斐さんが、せっかくわたしの歌を聴きたいって言ってくれたのに、ずっと断ってて……。今日だって、わざわざ心配してこんなところまで来てくれたのに……」


 折賀おりがに「保護者面談」だと言われて無理やり連れてこられた事実は、永久に封印することにしよう、うん。


「俺の方こそごめんね。自分が聴きたいからって、無理にお願いしちゃって」


「ううん、もう無理じゃないの、わたし」


 顔を上げた美弥ちゃんは――まだ少し目と鼻が赤かったけど、その身をとりまくピンク色は、さっきよりもずっと澄んでいて、純粋で。


「前は、人に歌を聴かれるのが怖かった。自分の『役』に申し訳ないから、ミュージカルだけは出てたけど……。それ以外の場所で、わたしのことをどう思ってるのかわからない人たちの前で歌うのが、本当に怖かった。その気持ち、きっと歌にも出ちゃってて、真剣に歌ってるほかの子たちにすごく迷惑かけちゃったと思う。でも……」


 潤んだ大きな瞳が、その場の全員を順番に見渡していく。


希優まゆちゃんと真季まきちゃんのおかげで、少しずつ、『歌を聴いてもらっても大丈夫な人』が増えたの。だから、少しずつ合唱部以外の人たちにも聴いてもらおうと思って」


 俺が気づかない間に、美弥ちゃんの中で大きな変革があったんだろうか。

 つらい記憶に歌声をしばられた少女は、もうどこにもいない。


 どうやら、俺と折賀が説得するまでもなかったみたいだな。


「だから、バスケ部に頼まれた来月のステージには出るつもりです。でも、やっぱり急にステージに立つのは怖いので、その前に録音を聴いてもらおうかなと思って」


「――という美弥さんの希望もあって、これからテスト録音を始めたいと思います」


 言葉を継いだのは森見先生。その手には小型ボイスレコーダー。


 これから歌を聴かせてくれるのか! 思わず「やった!」と小声でガッツポーズ。


 美弥ちゃんが音楽室のほぼ中央に立ち、二人の友達が左右に立つ。


「美弥っちファイト!」


「大丈夫だからね」


と、声を掛け合いながら。


「『スカボロー・フェア』。聴いてください」


 美弥ちゃんの目は、俺の方を見てはいなかったけど――


 その歌声は、すっ……と俺の全身にみ込んできた。



  ◇ ◇ ◇



 初め、ほんの少し震える声が英語の詞をつむぎ始めた。


 美弥ちゃんのソロ。無伴奏。

 メロディ、歌詞、ともに俺でも知ってるくらいに有名な歌だ。


 小さく震えながら空気に溶けていく歌声は、徐々に震えをなくし、芯の通った高音を部屋いっぱいに響かせる。

 透き通るような柔らかな声に合わせて、ピンク色の淡い光が、きらきらと空中を舞う。


 そのうちに、左右の友達の声が控えめに重なり始める。

 ひとりは美弥ちゃんと同じ詞をアルトのメロディラインで支え、もうひとりはまったく別の詞で二人をそっと追いかける。

 二人の声が美弥ちゃんの声とからんでは離れ、また絡み合い、自然に溶け合っていく。

 二人の優しい息遣いとまなざしが、美弥ちゃんの声に力を与えてくれる。


 音楽室の中に広がる色は、まぎれもなく淡いピンク色。

 三人の呼吸と同じように、小さな光の粒となってみんなの頭上に降り注ぐ。


 最後は、三人が同じ詞で声を重ねて――そのまま静かに、歌を締めくくった。


 最後のビブラートが完全に空気に消えるまで、俺は動くことができなかった。


「――お疲れさまでした。三人とも、ありがとう」


 先生の声で、やっと空気が動く。


 俺は何も言えず、ただただ惜しみない拍手を送った。

 俺の後ろからもうひとつ、俺よりも少しゆっくりな拍手が聞こえた。


 息を整えながら深々とおじぎをした三人は、顔を上げるときゃあきゃあ言いながら抱き合った。


「めっちゃよかったよ、美弥っちー!」


「うん、美弥、すごかった!」


「やーん、もう、ありがとー!」


 今日、ここに来てよかった。


 勇気をとりもどした美弥ちゃんの歌を、特等席で聴くことができた。

 歌に詳しくはないけど、こんなに心に残る歌を聴いたのはたぶん初めてだ。


 そのとき、ずっと俺以外の方に向けられていた美弥ちゃんの視線が、まっすぐに俺に重なった。


「甲斐さんは、『歌を聴かせるのが怖い人』じゃなかったんだよ。全然逆で、わたしの大好きな――」


 え?


「――――お友達だから! 恥ずかしかったの! それだけ!」


「ひやあああ! なに今の! だいたーん!」


 美弥ちゃんの声をもかき消す大音声だいおんじょう


「今の、絶対怪しいよ!?」


「全然違うから! 間なんてなかったから! ちょっとんじゃっただけだよー!」


 浮かれ騒ぐ友達と、真っ赤になって叫んでる美弥ちゃんと……


 俺の頭では、たった今聞いたばかりの言葉が無限にぐるぐる……


 え、今のって、え。


「今のシーン、ちゃんとってありますから全員で検証してみましょうか」


「せんせえぇ! 頼むからやめてえー!」


 思考が現実に追いつくより先に、折賀に「もう帰るぞ」と乱暴に声をかけられた。


 あ、こいつめっちゃ不機嫌。

 いつもそばにいる黒さんも思わず離れていくほど、不機嫌。


「美弥ちゃん! 歌聴かせてくれてありがとう! すごくよかったよ! またあとでね!」


 大急ぎで言い終えてから、折賀のあとを追って慌てて音楽室を出る。

 これ以上ここにいると、恥ずかしさで思考がブッ飛んで大変なことになりそうだ。

 

 先生も扉を開けて出てきた。


「お二人とも、お疲れさまでした。説得が功を奏しましたね。見事なお手並みでした」


「え? 説得って、俺たちは何も」


「美弥さんのためにここまで駆けつけて、美弥さんのために懸命に校内をきれいにしてくれました。お二人の姿は多くの生徒たちが目撃しています。その誠実な姿に、感銘を受けたのは間違いないでしょう」


 そうだったのか……。


 俺の必死の男子トイレ清掃に、美弥ちゃんが勇気を出してくれたのか。

 字面じづらが全然美しくないけど、少しでも美弥ちゃんの力になれたのなら、頑張って本当によかった。


「先生。構内の警備の件は、またのちほど」


 厳しさを含んだ声でそう言い残し、足早に歩きだす折賀。

 大学に戻るべく、俺もまた慌ててあとを追いかけた。



  ◇ ◇ ◇



「ちょっと待てって! なんでそんなむくれてんだ? せっかくいい歌聴かせてもらったのに!」


 高校の校門を出たところで、ぐんぐん俺を置いていこうとする折賀を呼び止めた。

 眉間にしわを寄せた目が、じろりと俺をにらみつける。


「お前も、それに美弥も。些細ささいなことで浮かれ過ぎだ。命に関わるんだぞ。去年のポルターガイストを忘れたのか」


 そうだった。あのときも、こいつは超不機嫌顔でずっと突っかかってきた。


「そりゃそうだけど……!」


 だからって、このまま黙っているなんてできねえよ!


「わかってる、お前の言うことは正しいよ。あのときのことは反省してる。でも俺、自分の正直な気持ちを完全に抑え込むなんて無理だよ! 仕方ないだろ、あんな子に出会ったの、生まれて初めてなんだ! いくらお前でも、この気持ちまで否定されたくねえよ!」


「…………」


 言っちまった!

 当の相手の兄貴にはっきり言っちまうとか、恥ずかしいなんてもんじゃねえな。


「厳しい世界に生きてきたお前からすれば、俺が何言ったって甘い考えにしか聞こえないんだろうけど。でも、俺にとってはちっとも『些細なこと』なんかじゃない。俺には俺の、曲げられない真剣な気持ちってもんがあんだよ……!」


「……そうだな」


 折賀は声を落とした。

 今のは肯定なのか。なんなんだ。


「俺はずっと家族のことしか考えられなかったから、確かにお前の気持ちを完全に理解するのは難しい。自分が世間からズレている自覚はある。俺たちの年なら、お前のように異性に夢中になる方が自然なんだろうな」


「…………」


 二の句が継げなくなった。

 ちょっと考えればわかることだったのに。


 俺には俺の真剣な気持ちがあるように、こいつにはこいつの――。


「……仕方ねえよ。お前の家族が大変なのは確かだし……。でも、いつか折賀も、真剣になれる女子に会えると思う」


 気休めかもしれないけど、そんな風に言うのが精いっぱいだ。


「お前が真剣なのは、よくわかった」


 伏し目がちの静かな声が、低めのトーンで続く。


「あの歌がお前のためだったのかと思うと、少し不愉快だけどな」


「え、そうなの!?」


「浮かれるな自惚うぬぼれるな。思考が飛びそうになったらアティースの顔を思い浮かべろ」


「……すみませんえました……」


 折賀は顔を上げた。

 ゆるぎないダークブルーの光が、まっすぐに俺に向けられる。


「俺はやり方を変えるつもりはない。美弥のためになる人間ならそばに置くし、そうでなければ排除する。お前も例外じゃねえぞ」


 なんだそれ。

 ここまでさんざん引きずり込んで利用しておいて、今さら宣戦布告かよ。


 すげームカつくはずなのに、呆れて口元の笑いが止まらなくなる。


「望むところだ! 排除なんてさせねーかんな!」


 そこから一気に、二人で大学構内まで猛ダッシュ!


「あ、そういえばお前にも真剣になれる女子がいたじゃん! 年齢ひとケタの金髪ロリ……ってどわあぁ!!」


 足元をすくわれて、全身が宙を飛ぶ――が、我ながら華麗な受け身で地面を転がり、起き上がる。こっちだっていい加減吹っ飛ばされ慣れてきたわい。


 顔を上げると、そこに見覚えのある顔があった。


「ちょっとあんたー! ちょうどいいとこで会ったよ! これから大学の方のトイレ掃除するから男子の方頼むわ! あんたの上司の許可はもらってあるから!」


 許可って、ア、アティースさーん??


「あんたの仕事ぶり、なかなかよかったよ! 腰がしっかり入るようになったしね! これから毎日よろしくねー! あっはっは!」


 折賀はまた逃げた。


 俺の腰をバシバシ叩く音が、静かな午後の大学構内に不自然なほどに響き渡るのだった――。



  ◇ ◇ ◇



「ここのフェンスがゆるんでいる。外側の鍵は全部取り換えた方がいい。ここの配管のサビがひどい。このあたりの植え込みはもっとまめに刈り込みを――」


 夕方。美弥ちゃんが来月の「卒業生を送る会」と県の合唱コンクールに向けて部活に励んでいる時間帯に、指令室にはオリヅルメンバーがずらっと揃っていた。森見先生もいる。


 その中で、モニターを指しながら高校の警備状況を逐一報告する折賀。

 俺が男子トイレ清掃に奔走している間に、こいつはこいつで抜け目なく校内をチェックして回っていたらしい。いつか不審者として捕まればいいのに。


 折賀の最大の懸念、「森見先生と二人の友達」については、俺が自信をもって太鼓判を押しておいた。

 こんなにいい理解者、そう簡単に得られるものじゃない。

 とはいえ、「オリヅル」メンバーには自分の感情を難なくコントロールできてしまう人間もいるので、百パーセントの信頼はできないかもしれない。九十五パーセントってところか。



 その日以来、俺のバイト業務項目に「男子トイレ清掃」の文字が追加され、構内のいたるところで女子学生たちに目撃された俺に『トイレ清掃業者トイレット・スイーパー』という新たなコードネームが加わったのだった。


 また、非モテスキルが一個追加されちまった……。

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