CODE5 黒き風、来襲!(1)

 彼女のお願いを断る理由なんてない。


 目的の場所へは、五分も歩けば到着するという。

 俺たちは小学校を離れ、そのまま並んで夜道を歩いた。


「ごめんなさい、まだ名前言ってませんでしたね。わたし、折賀おりが美弥みやといいます。片野原かたのはら女子高の二年です。よろしくお願いします」


「あ、片水崎かたみさき高三年の、甲斐かい健亮けんすけです。こちらこそ、よろしく」


 美弥ちゃん、一こ下か。

 ……って、あれ? 今この子、「オリガ」って言った?


「片水崎の三年、ってことは……」


「――折賀おりが美仁よしひと……?」


 俺たちは同時に同じ人物を思い出し、美弥ちゃんはまた明るく手を叩いた。


「兄のことご存知なんですね! 偶然!」


 俺は記憶を大急ぎで巻き戻した。


 あいつは確か……一年以上前にいきなり学校辞めて、それっきりだ。

 しかも文実委員なのに、文化祭前日という本当に意味のわからんタイミングで、一言のあいさつもなしで。

 近くに住んでるはずなのに全然姿も見えんから、校内で失踪説とか重傷説とか、タチの悪い犯罪説まで流れたほどだ。


「あいつって今どうしてるの? いきなり学校辞めてビックリしたんだけど」


「アメリカに行ってるんです。一応留学ってことらしいけど、めったに連絡してこないのでわたしにもよくわかりません。叔父がたまに向こうで会ってるようなので、大丈夫だとは思うんですけど。そろそろ日本に帰ってくるみたいです」


 アメリカ!

 よくわからんけど、普通に生きてはいるんだな。よかった。


「今年の一月だったかな? 井出いでさんって方が、兄の文化祭Tシャツを持ってきてくれました。去年の文化祭、兄がご迷惑かけちゃったと思うんですけど、ちゃんと無事に終わったって教えてくれました」


 井出……気をきかせてるように見えるけど、持ってくのちょっと遅すぎない?


「じゃあ、井出はアメリカに行ってることをそのとき聞いて知ってたってこと?」


「うーん、どうでしょう。あの人、あまりお話ししないでさっさと帰っちゃったから」


 井出ェ! お前がもーちょいしっかりしてれば不穏な噂は消せたはずだろー!


「あ、着きました。ここです」


 ふいに、美弥ちゃんが進む方向を変えた。



  ◇ ◇ ◇  



 そのまま、広大な敷地の中を建物に向かって歩いていく。

 敷地の門の横に刻まれた文字は、「片水崎総合病院」。


 やっぱり、あの大量の折り鶴の意味は――


「ここに、母が入院してるんです」


 入院病棟で受付を済ませ、慣れた足取りで階段を上りながら、美弥ちゃんは事情を説明していく。


「六年前から、原因不明でずっと昏睡こんすい状態なんです。自発呼吸ができたりできなかったり、ほんのたまに急に意識が戻ってみたり、と思ったらまた意識なくなったり――ほんとにわけのわからない状態が続いてます。今は呼吸もできてただの睡眠状態と一緒だけど、またいつ急変するかわからないから、バイタルサインモニタはずっと外せないままなんです」

 

 ある病室の前で、彼女の足が止まった。

 入り口に掲げられた札には「折賀美夏」と記名されている。個室らしい。


 扉を開けると、俺がついさっき見たばかりの映像が目に飛び込んできた。


 病室の壁のあいている部分をすべて埋め尽くすかのような、色とりどりの無数の折り鶴たち。そう、千羽鶴だ。


 その千羽鶴に囲まれるように、女性がベッドの上で眠っている。

 美弥ちゃんの説明のとおり、腕に細いコードやチューブをつながれている以外は本当にただ眠っているだけのように見える。

 とても六年も入院しているとは思えないほど血色がよくて、髪にも肌にもつやがあって、どことなく美弥ちゃんに似ていて――つまり、とてもきれいな人。


 ただ、生きている人間から発せられるはずの『色』は、どうしても見えない。


「この前母が目を覚ましたとき、わたし、修学旅行に行っていて会えなかったんです。帰ってきたときには、また眠ってしまってて……。今度はいつ目を覚ましてくれるのか、全然わかりません。また『今度』があるのかどうかさえも、わからないんです」


 話しながら、美弥ちゃんの手はお母さんの手を優しくなでている。

 たぶん、こうして体をマッサージしてあげるのが日課になっているんだろう。


「たまに、夢を見ているのかな、と思うときがあります。ほんの少し口元が動いたり、笑ってるように見えたり……。わたし、母がどんなことを考えているのか知りたい……。母の心が本当にまだここにあるのか、知りたい、です……」


 今にも消えてしまいそうな彼女の小さな声は、俺の心の奥まですうっとしみ込んできた。


 俺の能力ちからが、少しでもこの子を笑顔にできるのなら。

 この子の力になりたい。俺にできることならなんだってやる。きっとできる!


 必ず見えるとは限らない、と断ったうえで、俺はゆっくりその人の腕に触れた。


 数十秒後、結果を伝えると――美弥ちゃんは「お母さん……」とつぶやいたあと、顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまった。


「……甲斐さん、ありがとう……」


 彼女の小さな嗚咽おえつが、とぎれとぎれに静かな病室に響く。

 呼応するように、俺の両目の奥がじぃんと熱くなっていく。


 俺の話を聞いてくれただけじゃなく、信じてくれた。頼ってもらえた。感謝までされた。


 泣きたいのは俺の方だよ、美弥ちゃん……。



  ◇ ◇ ◇  



 数秒後、俺ははっと扉の方を見た。


 病室の外に、

 生きた人間か幽霊かわからんが、めったにお目にかかれないほど真っ黒い『色』が。


 そいつは廊下をすっと移動してきたかと思うと、扉の向こう側で動きを止めた。

 この部屋の中をうかがっている?


「美弥ちゃん、ちょっとこっち来て」


 俺は、美弥ちゃんとそのお母さんを背後に回して扉を注視した。


 視線を固定したまま、ゆっくりと見舞客用のイスを持ち上げて前方にかまえる。

 黒い「何か」が入ってきたら、とにかくこれで防ぐしかない。


 ――扉が開いた!


 次の瞬間、俺の足が宙に浮き、視界が風のように動いたかと思うと、首に、次いで全身に強烈な衝撃!


 世界が、一気に暗転――

 病室のどこかに叩きつけられた、のか?


 ようやく視界をとり戻したあとも、状況を理解するのに数秒かかった。

 千羽鶴がバラッといくつも崩れ落ちる。イスはいつの間にか床に転がっていた。


 ――い、息が……


 何かが、俺の首をギリギリと締めつけている。

 その凄まじい力で、俺の首は病室の大きな窓の上方に固定され、体は宙に浮いたまま。

 俺の両手が、首を絞めるものを引きはがそうともがくが、自分の首をかきむしるだけで何もつかめない。


 眼下に、黒いコートを着た男がいる。

 その後ろに、美弥ちゃんとお母さんのベッド。

 まるで二人を守るように立ちはだかり、俺を見上げてにらんでいる。さっきまで、二人の前にいたのは俺だったのに。


 てか、死ぬ、マジ死ぬ! ヤバイ!


「俺の家族に近づくとはいい度胸だな。誰に差し向けられたか今すぐ答えろ!」


 答え、られねえよ!


「おにいやめて! 甲斐さんが死んじゃう!」


 美弥ちゃんの声と同時に。

 かすんでいく視界の端で、病室の壁いっぱいに飾られた千羽鶴が、ふわっ……と浮き上がるのが見えた。


 空間がたくさんの色に埋め尽くされる。

 折り鶴の一羽一羽が、つないでいた糸さえも振り切って、まるで意思を持っているかのように空を飛んでいる。


 目を見開いた男が、俺から視線を離して――その瞬間、首のいましめが解けて、俺は床に落下した。


 いてえッ!

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