第34話 練習とJK
今日もそれなりに仕事を頑張り、帰宅してご飯を食べてからまったり。
二人と暮らし始めてから、この生活サイクルもかなり体に染み付き始めてきた。
帰宅してすぐ風呂に入る日もあるが、今日の風呂は俺が最後の番だ。
そういうわけで、俺は何をするでもなくリビングでくつろいでいた。
今は奏音が風呂に入っている。
二人と暮らし始めてわかったのは、女子の風呂は長い、ということだ。
最低でも30分、遅い時は1時間くらいかかる。
まだ時間がかかりそうだし、テレビでも見るか。
リモコンに手を伸ばしかけた時、俺の部屋からひまりが出てきた。
「あの、駒村さん。ちょっとお願いがあるんですが……」
「ん、どうした?」
「練習に付き合ってほしいなって……」
「何の練習だ?」
絵の練習だろうか。
俺が協力できることがあるのか? まさかモデル? ――と考えた直後、ひまりはモジモジとしながら答える。
「せ、接客の練習です」
「接客……? て、もしかしてバイトの?」
一瞬意味がわからなかったが、何とか理解する。
「はい。奏音ちゃんがお風呂に入っている間だけでいいので……」
「別にそれは構わんが」
「本当ですか? ありがとうございます!」
素直に喜ぶひまりだが、俺は少し疑問を抱いていた。
ひまりはあまり人見知りをしなさそうだから、接客は得意な方だと思っていたのだ。
「しかし意外だな」
「え? 何がですか?」
「そろそろバイトは慣れたと思ってたんだけど」
「そうですね……。お仕事の内容はだいぶ慣れてきたんですけど、口調がまだ慣れなくて……」
「口調?」
ひまりは言いにくそうに視線をウロウロとさせてちょっと恥ずかしそうにした後、意を決したように続ける。
「その……語尾に必ず『にゃん』と付けないといけないんです。でも私はよく忘れてしまって……」
「にゃん!?」
俺にとってそれは、想像の斜め上を行くインパクトだった。
「はい。メイドは全員猫――というコンセプトのメイド喫茶なのです」
「な、なるほど……?」
俺が抱いていたメイド喫茶のイメージは、テレビの情報番組で見たやつしかない。
入口にメイドが勢揃いして「お帰りなさいませ、ご主人様」と言って丁寧な扱いをしてくれる所――という認識しかなかったので、ひまりの説明に少し驚いてしまった。
世の中にはまだまだ俺の知らない世界がたくさんあるんだな……。
「そういうわけで、駒村さんにはお客さんの役をやってもらいたいのですが……大丈夫ですか?」
「そういうことなら協力しよう」
「ありがとうございます! ええと……。それじゃあちょっと待ってくださいね。私も『入る』準備をしますから」
「入る? どこに?」
「メイドになりきるってことですっ。やっぱり家とバイト先じゃ雰囲気が全然違うから、わ、私もちょっと勇気がいるんですっ」
ひまりは顔を赤くして説明した後、リビングの端の方に移動する。
そして耳を塞いで「む~~ん……」と小さく唸り始めた。
なるほど……。つまり『役に入る』ってことか。
てことは、ある意味メイドも役者みたいなものなのかもしれない。
数秒経ったのち、ひまりは振り返り――。
「お待たせしました。行きます! それじゃあ駒村さん、『お店にやって来た』ところからお願いします!」
「あ、あぁ……」
いまいちどういうふうにすればいいのかわからんが、練習に付き合うと言った以上やるしかない。
俺は一旦リビングから出てドアを閉める。
一呼吸置いた後、再び入り直した。
ドアの前にはひまりが良い姿勢で立っていた。
そして笑顔で俺を出迎える。
「おかえりなさいませご主人様! ………………にゃん!」
おい、いきなり不自然な間が空いたぞ……。
ひまりも一瞬「あ」という顔になっていた。
まぁ、そのための練習だからツッコむのはやめておこう。
「こ、こちらのお席へどうぞにゃん」
今度は大丈夫だった。
ひまりは俺をソファに誘導する。
誘導されるがままソファに座る俺。
ひまりは机の上に置いてあった、奏音の数学の教科書を俺の前に置く。
「本日もお疲れ様でした…………にゃん。こ、こちらから本日のメニューをお選びくださいにゃん!」
ミスを誤魔化すかのように、ちょっと声が大きくなる。
がんばれ。
と咄嗟に心の中で応援してしまう。
どうやらひまりは話し始めに『にゃん』を付けるのが苦手らしい。
こういうのは『慣れる』以外の解決策がない気がする。
とにかく、俺は客に徹しよう。
俺はメニュー表に見立てられた奏音の教科書を何気なくパラリと開き――。
「…………うゎ」
思わず声が出てしまった。
教科書の端に、奏音が描いたであろうラクガキがあったのだ。
それも複数。
見ると脱力してしまいそうな、へにょっとした顔の猫が描かれていたり、数字の『2』に線を書き足してアヒルにしていたり、『←ひっかけ問題。うざ』という言葉で文句も書かれていたりした。
教科書に文句を書くなよ……。
しかし奏音の絵はなかなかに味があるな。
決して上手くはないのだが。
「もしかして仲間?」
俺はへにょっとした顔の猫を指差しながらひまりに聞く。
「こ、この子は……種族的には同じですけど、他所の子ですね……にゃん」
ぷるぷると肩を震わせながら笑いを堪えるひまり。
ちょっと意地悪だったかもしれないが、こういう想定外の質問も実際のメイド喫茶で聞かれるかもしれないし練習になるだろう。知らんけど。
「えーと。それじゃあおすすめのメニューは?」
「当店での一番人気は『すぺしゃる☆オムライスコース』ですにゃん!」
「なるほど。じゃあ――」
「でもでも、最近はこちらの『ぱわふる☆ミートスパゲッティコース』も人気急上昇中なんです! 私も食べたけどとっても美味しいですよ! コースメニューのオプションには、猫メイドと一緒に写真を撮るプランか、私たちのダンスショーを観るプランか、どちらかお選びいただけます!」
メニューについて明るく元気に説明をしてくれるひまりだったが――。
「ひまり、『にゃん』が抜けてるぞ」
「あっ――」
ひまりは一瞬固まった後、しゅんと肩を落とした。
「はぁ、ダメです……。私は猫になりきらないといけないのに……。私には役者魂が足りないってことですよね。というより、猫としての気持ちが足りない……? うー、ダメだ。もっと猫にならないと!」
「いや、でもメイドだろ?」
思わずツッコんでしまった。
「確かにメイドですが、でも猫なんです。猫だけどメイドなんです!」
……よくわからんが、メイド喫茶で働くというのは大変そうだ。
「これはあくまで俺の意見なんだけどな……。『毎回語尾をちゃんとしよう』って、そんなに
「へ?」
「後で付け足してもそれほど問題ないというか。大事なのは語尾じゃなくて、お客さんを楽しませようという心の方じゃないか? って、これはただの素人意見だけどな」
正直なところ、言い直すところも含めて俺は可愛いと思うんだけど。
それが店的に正解かどうかまではわからない。
ひまりはしばし目を丸くしていたが、やがてコクリと頷いた。
「確かに駒村さんの言う通りですね……。お客さんのために――という気持ちを危うく忘れてしまうところでした。ありがとうございます、駒村さん。私なりにこれからも頑張ってみます!」
と、その時洗面所の扉が開く音がする。
奏音が風呂から出てきたのだ。
俺とひまりは慌てて奏音の教科書から離れる。
教科書のラクガキを見たことは黙っておかなければ。
バレたら酷い目に遭いそうだ。
奏音はすぐにリビングには来ずに冷蔵庫に一直線。
風呂の後の水分補給のためだろう。
奏音はコップを持ったままリビングに入ってきた。
「あ、ひまりー。スポーツドリンク今のでなくなったから、ひまりの分もコップに分けて入れといたよ」
「うん、わかった。ありがとにゃん!」
「えっ? 何? にゃん……?」
さっきまで練習していたから、咄嗟に出てしまったんだろうな……。
「あっ――な、何でもない、よ……?」
この時の痛々しい空気は、傍から見ていた俺にもなかなかクるものがあった。
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