第45話 未遂とJK

「ひまりの様子がおかしい」


 ひまりが風呂に入っている間、テレビドラマを見ながら奏音が真剣な声で呟く。


「ん……?」


 スマホで今日のニュースを流し見していた俺は、その一言で顔を上げる。


 ソファに座る奏音の眉間には、皺が数本寄っていた。


「おかしいって?」


「いや、今日バイトから帰ってきてから何かおかしいじゃん」


 奏音に言われて思い返す。


 ――が、俺はひまりが帰ってきた時にちょうど風呂に入っていた。


 その後は遅れて夕食を取るひまりに向けて「おかえり」と一声かけただけ。


 ひまりはちょうどその時ご飯をいっぱい頬張っていて、コクコクと無言で頷いたのだが――。


 俺は、ひまりがおかしいか判断できるほどの情報を得ていなかった。


「俺、帰ってきてからまだひと言しか話してないからな。具体的には?」


「ん~……。そう言われると困るんだけど、何かいつもと雰囲気が違うというか……。元気がないというか」


「なるほど……。ひまりが風呂から上がったら、ちょっと注意して見てみる」

「ん」


 まぁ、その異変の原因を本人から打ち明けてくるかもしれないし。


 そもそも奏音の勘違いかもしれないし。


 しかし、そこで俺ははたと思い出す。

 奏音の家に一時帰宅をした時、彼女は村雲が室内に入った痕跡を感じ取っていたことを。


 奏音の勘が鋭い方だというのであれば、勘違いという線は薄くなるかもな……。


 と、そこで急に奏音が「ふゎっ……!?」と小さく声を発した。

 奏音は顔を真っ赤にしている。


 すぐに理由はわかった。

 ドラマがラブシーンに突入していたのだ。


 キングサイズのベッドに、半裸のイケメン俳優と美人女優が座っている。


 これまでの話を見ていないので二人がどういう立ち位置なのかはわからないが、何やら悪巧みのような内容を囁き合い、お互いの上半身に手を這わせている。


 その手の動きはとても淫靡いんびで、次第に二人の呼吸も乱れてきて――。


「………………」

「………………」


 俺も奏音も、意識的に互いの顔を見ないようにしていた。


 これは…………気まずい…………。

 大変に気まずいな…………。


 子供の時、家族揃って居間のテレビで見ていた映画の中で、濃厚なキスシーンが始まってしまった時以来に気まずい……。


 ――とか考えてたら、まるで俺の思考をなぞるかのように、二人ともベッドに倒れて濃厚なキスシーンが始まってしまった。


 頼む、これ以上は勘弁してくれ――と願ったその瞬間、場面が暗転し別のシーンへと移る。


 決して長いシーンではなく、むしろ短いシーンだったのだが、部屋の空気が一変してしまうには十分すぎて。


 そのタイミングで、風呂場のドアが開く音がした。

 ひまりが出てきたのだ。


 思わずギクリとしてしまい、風呂場がある方へ顔を向けていた。


 当然だが、ひまりは着替えているのですぐには出てこない。

 その事実を確認して、なぜか俺は安堵していた。


 何もやましいことはしていないのに、何だろう、この気分は……。


 再びテレビの方を向いたその時、奏音と目が合った。


 既に真っ赤だった奏音の顔は、湯気が出そうなほどさらに赤くなっていた。


 そしてドラマはCMに突入。


 やけに明るいナレーションの声で微妙に部屋の空気が変わるが、気まずい空気はまだ引きずったままだ。


「あ、あのさ……」

「ん?」


「か、かず兄は……その……」


 奏音はそこで言葉を途切らせる。

 CMが変わり、どこかで聞いたことがある優雅なクラシックが流れ始めた。


 その曲が聞こえているのかいないのか。

 ちょうど曲の区切りの良いところで、奏音は再び口を開く。


「キ、キスしたことってあるの?」

「――!?」


 不意打ちすぎる質問だった。


 まさか奏音の口から「キス」という単語が出てくるなんて思ってもいなかったので、激しく動揺してしまう。


 なんてことだ。俺はそんな娘に育てた覚えはないぞ?

 いや、元々育ててないわ。


 と、咄嗟に頭の中で一人ツッコミをしてしまう程度には混乱してしまって。


 とにかく落ち着け俺。

 ここは大人の余裕を見せるところだぞ。


「その、いや……」


 大人の余裕はどこに行った?

 正直に本当のことを言ってしまったじゃないか。

 今さらながら、ここは大人として少々見栄を張るべきだったかもしれない。が、既に遅い。


「そ、そっか……」


 その瞬間、奏音の顔がホッとしたように見えたのはたぶん気のせいではない。


「彼女、いたことないの?」

「学生の頃は部活一筋だったしな……。働き始めてからもそういう出会いはない」


「友梨さんは?」

「いや、あいつはただの幼馴染みだって」


「ふーん……」


 奏音は興味がなさそうに返事をするが、やけに嬉しそうな顔をしている。


 それは決して、この年で色々未経験な俺を馬鹿にするようなものではなく。


 だから俺は、奏音の胸を内を察してしまった。


 この場合もっと自分が鈍感だった方が幸せだったのかもしれないが、残念ながらそうではなかった。


 …………これは、いかん流れではないか?


 俺は彼女の気持ちに応えられない。

 応えてはいけない。


 大人だから。


「あ、あのさ。もし――」


「お風呂上がりましたー」

「うひゃぅっ!?」


 突然リビングに現れたひまりに、奏音は肩を大きく跳ねて驚く。


「はえっ!? お、驚かせちゃってごめん」

「う、ううん。大丈夫だから。じゃあ私、お風呂入ってくる!」


 奏音は着替えを手に取り、慌てて脱衣所に向かう。


 バタバタと慌ただしく脱衣所に駆け込んだ奏音を見送ったひまりは、軽く首をかしげる。


「……? 何かあったんですか?」


「いや、別に……。ドラマで怖いシーンを見たからじゃないか?」


 俺はひまりに何も悟られないよう、適当に誤魔化した。


「あ、そうだったんですね。奏音ちゃんて怖いの苦手なんだ」


 ひまりの中にある奏音像に、勝手に違う設定を付け足してしまったかもしれない。


 まぁ、奏音の家に行った時「幽霊か?」と言ったら異様に怖がっていたので、あながち間違いでない気もするのだが。


 とにかく、奏音のことは一旦置いておこう。


 次はひまりだ。


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