第7話 朝食とJK
ダイニングキッチンのテーブルの上には、昨日の宅配で買ったペットボトルのウーロン茶と、目玉焼きが3人分並んでいる。
絶妙な焦げ目が付いた目玉焼きは、奏音が焼いたものだ。
俺が起きた時には(少し寝坊した)既に皿の上に用意されていた。
立ったままその目玉焼きを囲みながら、俺たちは朝からギスギスした空気を醸し出していた。
「お前ら正気か? 目玉焼きには醤油だろうが」
「いやいやいや、何言ってんの。ケチャップが一番に決まってんじゃん」
「塩です。塩以外認めません」
全員の主張は見事に交わらない。
緊張感がさらに高まる。
それはまるで国連会議のごとく。
「日本人に生まれたからには料理に醤油は必須だろうが? この絶妙なしょっぱさが味気ない白身に染み込んだ美味さ……。それがわからんとは、子供だなお前ら」
「はいダウトー。その白身に一番合うのはケチャップですからー? 何なら黄身にも合うしー?」
「絶対に塩です。シンプルイズベスト。これ以上ないくらい目玉焼きには塩の方が合います! 何より塩をかけた時が、一番目玉焼きがきれいです!」
「いや、キレイさで言ったらそれこそケチャップっしょ? 白と黄色に赤色が加わるんだよ? 見た目的にも完全勝利じゃん」
「白と黄色に黒。これこそ芸術的な配色。言うなれば究極形態だ」
見えない火花をバチバチと散らす俺たち。
いや、非常にくだらんことで言い争っているのは自分でもわかっている。
だがくだらんとわかっていても、人間には主張をしないといけない時がある。
それが今だ。
5秒ほど沈黙が続いたのち、場の空気を和ませるかのように電子レンジがピーッと鳴った。
どうやら食パンが焼けたらしい。
俺は静かにその場を離れ、焼き上がった2枚の食パンを皿に移す。
続けてまだ柔らかい食パンを1枚、電子レンジの中に入れて『トースト』のスイッチを押す。
トースト機能がある便利な電子レンジだが、1回で焼けるのは2枚だ。
「ほら、先に食え」
焼けた食パンをテーブルに並べると、渋々といった様子で2人は椅子に座る。
ひとまず今朝の静かな戦争は終わりを告げた。とはいっても一時休戦なだけの気もするが。
冷蔵庫から取り出したマーガリンをテーブルに置くと、奏音が「ひまりから塗って」とバターナイフを彼女に渡した。
「あ、ありがと。じゃあ先にいただきます」
ひまりは早速バターナイフでマーガリンを取ったのだが――。
「おまっ――⁉ 縦に突き刺すなよ⁉」
「へっ⁉」
あろうことか、ひまりはバターナイフを縦に突き刺し、
化石を掘るかの如く、丁寧に丁寧にマーガリンの表面を薄く削っていく派の俺からしたら、信じられない暴挙だった。
「マーガリンは上から使うものだろう⁉」
「そうですか? うちでは端から縦に使っていたのですが……」
「あ、うちもうちもー」
まさかの奏音の援護に俺は凍りつく。
「なんだと……。お前ら、それ世間では絶対に少数派だからな?」
「えー、そうかなぁ?」
「まあ仮にそうだとしても、ここでは私とひまりで多数派だから」
そう言うと、ひまりからバターナイフを受け取った奏音は、マーガリンを縦にグッサリ。
「だから! 俺のマーガリンに穴を空けるな!」
残念ながら、俺の主張は女子高生二人には聞き入れられることはなかった。
食パンが焼けた後、二人に開けられた穴を埋めるように俺はマーガリンの表面を念入りに撫でる。
くそっ。穴が全然埋まらねえっ……!
椅子が2脚しかないので、俺は立ったまま食べていた。
行儀が悪いのは承知だが仕方がない。
奏音が焼いた目玉焼きは、焼き加減が絶妙で俺好みだった。
自分で焼くと、つい焼きすぎて裏が焦げてしまうんだよな。
目玉焼きは黄身が完全に固まっている方が好きだ。その方が腹に溜まるから。
醤油を全体的に回しかけ、箸で白身の部分を一口サイズに切り分ける。
そして醤油がかかっていない部分を皿に溜まった醤油に浸けてから、一口。
……うん。やはり目玉焼きには醤油だな。
奏音とひまりの方をチラリと見ると、それぞれケチャップと塩で食べていた。
ちなみに昔見た映画を真似て、目玉焼きをトーストの上に乗せて食べる――ということをやったことがあるのだが、味気なさすぎて失望したことがある。
ので、今回は提案しなかった。
やはり目玉焼きには醤油をかけた方が良い。
パン食なのに箸も使うという奇妙な食事風景だが、別に俺は気にならない。
しかし改めて考えてみるが、トーストに目玉焼きだけという朝食ってかなり質素だよな。
女子高生的にはアリだったのだろうか。
まぁ、考えたところでそれ以外の食料がないわけだが。
「なぁ……。俺は朝食はかなり雑に済ましてしまう方なんだが、インスタントの味噌汁くらいは用意した方が良いか?」
ふと気になり聞いてみる。
あと、ご飯派かパン派かも気にした方が良いのだろうか。俺はパン派だけど。
「え。お味噌汁ってインスタントで作る物なの?」
「え。インスタントで十分じゃないのか?」
箸を止め、互いに目を丸くする奏音と俺。
「いや、お味噌汁をインスタントとかお金もったいなさすぎ。まさか昨日のピザみたいに、毎回ご飯にあんなお金かけてんの?」
「そんなわけあるか! さすがに破産するわ。味噌汁って一人暮らしで作っても余るだろ。だからインスタントでちょうど良いかなって」
自炊はまったくしないわけではないが、ああいう汁物系は量の加減が難しい。
余った味噌汁を次の日に食べようとしたことがあるのだが、暑い季節だったせいか、明らかに匂いがおかしくてぬめっていた時がある。
それ以来、食べきれない量のご飯を作るのが苦手だ。
「確かに一人ではインスタントで十分かもしんないけど、三人になったわけだし。味噌汁くらい私が作るけど? ていうか、料理全般作るけど」
「え……。本当にいいのか?」
「まぁ、家に置いてもらうわけだし。それくらいはするよ」
ふいと顔を逸らし、なぜか不機嫌そうに言う奏音。
俺としては非常に助かる提案だ。
仕事で疲れて帰ってきて料理をするとなると、気力も体力もかなり消耗するんだよな。
だからついコンビニの弁当だったり、スーパーの総菜を買うだけで済ませてしまう場合が多い。
「奏音ちゃん、お料理できてすごい……」
「まぁ、母親と二人暮らしだったからね。自然と作れるようになってたというか……」
「目玉焼きもサッと作っちゃったもんね」
「いやいや。目玉焼きなんて焼くだけじゃん」
「私も何回か作ったことあるけど、いつも真っ黒に焦がしちゃうから……」
「あ、あぁ~……」
気まずそうに目を逸らす奏音。
ひまりは料理が苦手らしい。まぁ、箱入り娘って感じがするもんな。
俺も得意な方ではないが、さすがに真っ黒に焦がすほどじゃない。
『強火』はいらん。『弱火』か『中火』だけ使っておけばいい、というのが俺の一人暮らしで得た持論だ。
とにかく、奏音が率先して料理をしてくれるのはありがたい。自炊は節約の基本だからな。
しかし、女子高生の手料理か……。
目の前にあるのは、変わったところなど何もない、普通の目玉焼き。
それでも『俺が作ったものではない』という事実が、今さらだが妙にくすぐったく感じるのだった。
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