まじょのゆめ

空薇

第1話 魔女の少女


むかしむかしあるところに、ひとりのわるいまじょがいました。

まじょはもりをもやしたり、たくさんのひとをころしたりと、

たくさんたくさんわるいことをしつづけました。

するとあるひ、まじょをたいじするために、

きしさまがたちあがりました。

そしてまじょはたおされ、このくにはへいわになりましたとさ。

めでたしめでたし。

 これはこの国で一番よく知られる昔話だ。この国に生まれた子供は親からこの昔話とともに、魔女と同じ赤目黒髪の女性は魔力を持っているから近づくな、と教えられるそうな。

 それ故に、この国では赤目黒髪の女性への差別が黙認されている。


 夢を、見た。唯一私に優しかった母様の夢。幼い私は優しく笑いかけてくれる母様が大好きで、だからずっと母様と一緒にいて……。

『ごめんね、ユウヒ。母様、もう、無理だ』

 はっと、飛び起きる。小さな、ろくに家具の無い古い家。幼い頃と大きさは変わらないけれど、家具は確実に減ったし、大好きだった母様はいない。

 たくさんのヒビが入った鏡で徐ろに自分の顔を覗き込む。そこにいるのは、病的な白い肌に鋭いルビーの瞳、まっすぐ伸ばした夜色の髪をもつ、魔女。

 我ながら笑えてくる。母様は碧い瞳に金の髪、私が生まれたとともに消えたという父親は髪は黒くとも、瞳は母様に似た蒼だったというのに。

 本当になんの因果だよ、と思う。この国で最も忌み嫌われる魔女にそっくりの容姿を持って生まれてきたくせに、できることは普通の人間と同じどころか力も体力も平均以下なせいで、それより少ない。

 変な夢を見たせいで、今日は朝から嫌なことばかり考えてしまう。ため息をつきながら簡素な服に着替え、腰のあたりまである艶やかな夜色の髪を一つに結い上げる。そしてその結い上げた髪を隠すために上着を羽織りフードを被る。この村の人間は私の容姿などとっくの昔から知っているけれど、こうでもしないと何もさせてもらえない。ひっそりと生きていくしかない自分の人生を呪いながら、今日も私は家を出る。


「ユウヒ、何をしていたの!? 来るのが遅い!!」

 仕事先の屋敷に着くなり、思いっきり頰をぶたれる。

(いつもより早めに来たのに、ねぇ……)

 母様は村一番の仕立て人で、その技術は私にも受け継がれている。その腕を買って私なんかを雇ってくれた点だけは感謝しているが、こうやって毎日なにかと暴力を振るわれると、自分で雇ったくせに、と思わざるを得ない。

「……すみません」

 うつむきがちに答えると、謝るのに相手の顔も見ないなんて…などと雇い主はぶつくさ言いだすが、目を合わせたら合わせたで大騒ぎされるのだ。雇い主の愚痴がようやく終わった時には、私がここについてから半刻もたってしまっていた。

「本当に、なんて理不尽な世界……」

 誰もいない布が山積みにされた部屋でつぶやいた声は、妙に響いた気がした。


「ユウヒ、昼食」

 そう言って部屋に入って来たのは、同じ屋敷に勤めている少年。彼は露骨に私を嫌がらない変人で、名をユアンというらしい。2年ほど前から私の監視係をやっているけれど、知っていることはこのぐらいだ。

「ありがとうございます」

 一応礼は告げるけれど、用意されているのは三口ほどで食べ終われる粥のみ。ユアンの時間をとるのも悪いので、ろくに咀嚼もせずに一息で食べきる。いつもはそこで食器を回収されて終わるのだが、飲み込むのに失敗したらしく、息がつまり咳き込んだはずみで食器を倒してしまう。

「大丈夫か!?」

 なぜかユアンが心配そうに近寄ってくる。利用価値があるから私を殺すなとでも言われてるのだろうか?

「平気、です。だからとっとと戻ってください」

 半端な同情はいらない。それがどれだけ残酷なのかは、母様の件でわかってる。もともと鋭い目に力を入れて睨むと、ユアンは一瞬肩を震わせて部屋を後にする。

 久しぶりに人と目を合わせた。怯えた瞳を向けられるのは、いまだに苦手だ。

「ユウヒ」

 蹲っていると、外に出て行ったはずのユアンの声が扉の奥からして、今度は私が肩を震わせる。

「さっき伝え忘れたことが1つ。今日は、旦那様の大切なお客様が来るから、いつものように裏の森を抜けて定刻で帰るように、と」

「わかりました」

「付き添いは…」

「必要ありません」

 一呼吸も開けずに断ると、ユアンの気配が消える。裏の森は野犬が出るから危ないと言われている。だからこその申し出なのだろうが、どうせ野犬より私と2人という状況に怯えるのが関の山だし、野犬が出ないルートはとっくの昔に把握している———つもりだったのだが、まさか黒髪の少女が行き倒れているとは思わなかった。

「……あの、大丈夫ですか?」

 周囲に人の気配がないため仕方なく少女の体を控えめに揺する。呼吸は安定しているし寝ているだけか?と思った時、少女がゆっくりと目を開き、鼓動が跳ねた。

 少女の瞳は、炎をそのまま溶かし込んだような、はっきりとした赤。髪の色だって、黒は黒でもなんの混じりっ気もない闇色で、私なんかよりずっと魔女に近い、そう考えて頭を振る。

(それは、私が思っては、駄目)

 その言葉のせいでどれだけ傷ついて来たか思い出せ、と自分に言い聞かせる。そうこうしているうちに少女の意識ははっきりして来たようで、気怠そうに少女は体を起こす。

「あ……体は、平気?どうしてこんなところにいたの?」

 そう声をかけると、少女は目を丸くする。

「え、お姉さん、私が怖くないんですか……?」

 その反応だけで、この少女もひどい目にあって来たんだろうな、とすぐわかる。私だって、自分がこんな状況になって心配でもされようものならまず相手の正気を疑うだろう。

 ならば、見てもらうのが一番だと、私はフードを下ろし、髪を結っていた紐を解く。

「わたしも、あなたと同じなの」

 安心させようとそう笑いかけると、彼女は顔を歪めて、涙で目をいっぱいにして、ごめんなさい、ごめんなさいと謝りだした。私が泣かせてしまったのだろうか?

 安易に黒髪を晒したことを後悔する。でも、少女はずっと謝罪をしている。なら、私は関係ないのだろうか。わからないけれど、放っておくことはできなくて、とにかく声をかける。

「私が、怖いかしら?」

 少女は力強く首を横に振る。

「じゃあ、どうしてずっと謝っているの?」

 続けての質問に、少女は戸惑ったのか、しばらく逡巡して、ようやく口を開く。

「私が……私が悪い子だから、私とおんなじ人は、みんなにいじめられちゃってるから……」

 その言葉に目を見張る。悪いのは大昔にいた魔女で、少女は何も悪くない。それすらわからないとは、少女はどれだけ劣悪な環境で育てられたのだろうか…。

「あなたの過去に、何があったのかはわからない。でも、私はいまの状況があなたのせいだなんて思ってないし、あなたを憎みも蔑みもしないわ。だから、泣かないで?」

 言い終えた後、少女がさらに泣き出したので、私はそっと少女を抱きしめた。すると、人の体温に安心したのか、少女の力がふっと抜けた。

 かかる体重は軽くて、思っていたより幼かったのかなどと思う。とりあえず放置するわけにもいかないので、家に連れて帰ることにした。


「目が覚めた?」

 寝かせておいた少女が動いた雰囲気がしたので声をかける。

「ここは……?」

「私の家よ。勝手で申し訳ないんだけど、森に放置するわけにもいかないから、私の家に連れて帰ったの」

 少女が小さくごめんなさい、と言う。本当に謝るしか知らないようだ。

「いいのよ、私が好きでやったのだから。でも、もしできるなら名前と、年齢と、あの森で何をしていたのか教えてくれる?」

「……名前は、ユメ、です。年齢は……もう数えてないからわかんないです。あの森では、死ねないか、試していました」

 想像はしていたけれど、こんなに小さな女の子の口から直接死のうとしていた、と聞くとやはりショックだった。

 それにしても、まさか年齢すらわからないとは予想外だった。見た目から予想してもせいぜい10、11といったところか。

「そう……ユメ、ね。私はユウヒ。年齢は18よ。ねぇユメ。ユメさえよければ、私と一緒にここで暮らしてみない?」

 ユメは目を丸くする。意味がわからない、といったように何度も首を振っている。

「ねぇユメ。少し昔話を聞いてくれるかしら? 私にはね、もう家族はいないの。父親は私が生まれた時に逃げ出したらしいわ。母様はとっても私に優しかったけど、村の人たちに色々言われて、それでも無邪気に笑う私といるのに疲れたのでしょうね。ごめんねって言いながら私が8つの時に家を出て行ったわ。だから、ユメ、寂しい私の家族になってくれないかしら?」

 母様が出て行った日のことは忘れない。

 泣きながら、何度もごめんねって言いながら母様が家を出て行った時の悲しさを忘れない。

 何度も夢に見る。実際今日だってそうだ。だからもう一生1人でいるつもりだった。でも、ユメは、きっと私よりひどい扱いを受けていて、放って置けないのだ。まるで、あの置き去りにされた日の自分を見ているかのようで。

「私にも、ユメにも、もう家族はいません。ユメはもうずっとずっと1人で生きて来ました。ユメが悪いってわかってるんです。でも……でも……ユメは、寂しかった……!」

 もう一度、森でのようにユメがポロポロと泣き出す。そんなユメを私は、心の底から守ってあげたいと思った。

「うん、ユメも、私も、寂しいの。だから、私の妹になって、ユメ。髪も目の色も一緒。きっとみんな信じるわ、私とユメが姉妹だって」

 ユメは泣きながら何度も何度も頷く。小さく呟かれたごめんなさいは聞かないふりをして、ユメが落ち着くように頭を撫で続ける。


 この日から、私に妹ができた。

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