掛け違い

苦艾たまき

第1話

砂埃のついたサブバッグを玄関で軽く払い、通学靴を掃き出しに脱ぎ捨て、青のジャージ姿の少女は居間のソファーに飛び込む勢いで寝転ぶ。


母親にだらしないと一喝されるも、金曜の部活直帰の中学生は疲労困憊。返事もせず、額に手の甲をのせてためいきをつく。


母親もわかっているのか、それ以上は何も言わず、作り置きの料理に一手間を加えながら夕食の支度をしている。


【十分休んだら、お母さんの手伝いしなきゃ】


週末なのは親も同じなのは彼女もわかっている。だからこそ、少し猶予が欲しいのだ。


そんな時スマフォの通知音が響く。

出るのも面倒なくらい疲れてる時の通知音は本当に腹立たしい。

けれど一応目を通し適切なスタンプを送っておかないと、後々もっと面倒になる時がある。


彼女は起き上がり、テーブル端に置かれたスマフォ入れから自分のものを取り出す。

同じクラスで吹奏楽部の鞠華だ。


『今日、頑張ってローストビーフ作っちゃいました☆菜由実もたまには親孝行しなよね』


メッセージとともに綺麗にサラダと一緒に盛り付けられたローストビーフの画像が送られてくる。

鞠華はたまにこういう画像を彼女ーー菜由実に送ってくる。


【そういえば今日、吹奏楽部休みかあ。いいなあ、文化部って平日に二日も休みあるんだもん】


菜由実は好きだからこそテニスに入部したが、毎日の朝練といつもの部活練、土曜午前も当然のようにクタクタになるほどの練習の日々を考えると、たまに楽そうな文化部に入ればよかったと邪念がよぎる。


特に鞠華からこうやって親孝行してるとか、高校の先輩とカラオケとかしてるのを報告される度、羨ましいなと思う。


とはいえ、絵が描けるわけでもなく、楽器にも興味なんてないし、パソコンなんて肩がこる事したくも無い。記憶力があまり良く無いので演劇も出来ない。

といって帰宅部に入ってテニスクラブに所属するなんてお金がかかる事はしたくない。


だから菜由実は鞠華のメッセージを見て、返信する。


『鞠華は料理上手だね!私じゃ無理だわー。羨ましいな』


という正直な気持ちと共に、可愛いスタンプを送って終わらせる。

そんな事をしていたら、なんとなく疲れが一時的に吹き飛んだ気がしたので、菜由実は母親の手伝いをすべく洗面所に手を洗いに行った。


手を洗ってすぐに母親の手伝いをはじめ、一つ下の弟・海斗が帰宅してきた。

弟は野球部で大会が近い為に菜由実より遅く、玄関で泥まみれの靴下を脱いで、常時備え付けの足拭き用タオルで軽く拭ってから洗面所で手を洗いジャージを脱ぎ、洗濯カゴに入っていた諸々の衣類を洗濯機に入れて起動させてから、体操着姿で居間に入ってきた。


いつもならそのまま食器棚の前に向かってコップや茶碗を出す海斗が、気色ばんだ顔をしてテーブルに目を落としている。


「姉ちゃん、なんか鬼通知きてるけど?」


母親がフライパンで炒め物をしていた為、隣で煮物を盛り付けていた菜由実は、通知音に全く気づかなかった。


「ちょっと、あんた!人のスマフォ覗かないでくれる?!」

「玄関からピコンピコンうるせーし、戻ってもまだ鳴ってるから、一瞬見ただけだっつの!」


海斗は顔をしかめ、菜由実を軽く睨んでから茶碗を取り出し始める。

菜由実も海斗が姉のスマフォに興味を持つタイプでない事は理解していたのだが、見られた条件反射的な態度を取ってしまったのだ。

しかし何より、確かに通知音はまだ鳴っており、菜由実はなんだか恐ろしくなった。


「見てきたら?」


母が苦笑いをして菜由実を促す。コドモ社会に理解のある親でよかったと思いながら、彼女はスマフォを手にし、絶句した。


相手は鞠華だった。


『もう我慢できない』

『いいこぶって』

『ほんとは羨ましいんでしょ?』

『かっこつけてるのバレバレ』

『良い人ぶって嫉妬隠れてないよ』

『超ダサいんだけど』


……延々と、怒りや嘲笑うようなスタンプと共に罵言が送られてくるので、菜由実はどうしたらいいかわからなかった。



立ち尽くす姉に、顔をしかめつつも海斗は彼女の横に立つ。


「なに、ネットいじめ?」

「……や、鞠華怒らせたみたい」

「鞠華……あー、あいつかあ」


海斗が知っているのは、菜由実と共に鞠華の幼馴染だからである。小学生の頃はよく一緒に駄菓子屋に行ったり、共通の同級生とで遊んでいた程度には知り合っていた。


「姉ちゃん鈍感だから、あいつの神経逆撫でしたんじゃね?」

「えっ、別にそんな」

「ちょい見せてみ」


有無も言わさず海斗は菜由実のスマフォを取り上げ、履歴を確認し始める。

いつもなら怒鳴るところだが、海斗の言う通り菜由実は時折覚えなく友達を怒らせる事があったので、よもや幼馴染にまでと軽くパニックになっていた。


刹那、海斗が吹き出す。


「ヤベー。昔からなんかヤベーと思ってたけど、やー……」

「わ、私、何やったの」


恐る恐る問いかける姉に弟は、笑顔で顔を横に振った。


「姉ちゃんはとりま、一旦電源切っときな。俺と将真で話つけるよ」


将真とは鞠華の兄で、海斗とは同じ野球チームであった頃からよく休日に遊びに行く仲だ。

菜由実は不安と焦燥で訳がわからなかったが、言われるままに電源を落とし、能天気に口笛を吹いて皿を運ぶ弟の背中を見つめた。



金曜の夜は疲れていて十時を越すこともできず就寝してしまう菜由実は、不安で眠れないまま、ベッドの中で午前零時を迎えた。


明日も朝練があり、日中の気温は真夏日と、夕飯後のBGMとして流しっぱなしのテレビから聞こえてきたのを思い出すと余計に憂鬱になり眠気は逃げていく。

気休めだろうが温いミルクを少し飲んでみようと、階下のリビングへ足を運ぼうと部屋の扉を開けた時、ちょうど海斗の背中が見え、彼もリビングに降りようとしていた。


背後から音が聞こえたからか、海斗は振り返り菜由実に歯を見せて笑う。


「解決したよ、姉ちゃん」


野球部は日曜に大会だからか、明日は自主練を宿題とした部活休養日らしく、海斗は少し夜更かししても平気だと言うことを菜由実に告げながら、グラスに牛乳を注ぐ。


「それはいいんだけどさ」


つい、菜由実は自信が気になることを急いてしまってから慌てて口元に手を置き、そんな姉に失笑しながらも海斗は言った。


「鞠華の送ってきた画像さ、インスタからのパクりだったんだよ」

「………え?」


菜由実はSNSには疎い。

精々ラインで地元の友人達とグルチャ位しかしていない。

インスタも、バズったものを友人がグルチャやマックで開いてそれを覗き見る程度だ。

海斗は将真含む年上の幼馴染が多いので、インスタは友人限定の非公開設定で、将真含む高校生の幼馴染と好きな芸人や野球選手のみをフォローし、見る専門で楽しんでいるのは知っていた。


「あのローストビーフの画像さ、俺が好きな芸人が友達ん家で撮った奴だったもん」

「……でも鞠華は作ったって」

「将真兄ぃん家、カレーだったって言ってたし、友人限定公開で将真兄ぃがカレー作ってんのインスタ載せてる」


本当はこんな時間に携帯を開くのは家族の間ではルール違反なのだが、両親は日常に支障をきたさない程度ならと黙認している。

それに今回は恐らく許してくれるだろうという確信もあってか、海斗は躊躇いもせずにスマフォを開き菜由実に見せた。


確かに18時45分、将真の大きく浅黒い手がお玉を握りカレーを掻き回している。

【今日はシーフードカレーだよーん】

彼のふざけた口調が聞こえ、彼の母の含み笑いが聞こえる。


「ほら、姉ちゃん。これ」


将真の手際ばかりを見ていた菜由実に、海斗が画面右端を指差す。

ソファーに寝転がり、鬼のような形相をした鞠華がスマフォを激しくタップしている。


「この時間帯って確か、姉ちゃんに鞠華から鬼通知来た時だろ」

「………」

「将真兄ぃに聞いたら、夕飯中も絶交するって騒いでたって」

「だから、なんで。何がヤバかったの」


菜由実は涙目で声を震わせる。海斗は軽く溜息をついてから、軽く頭を振る。


「違うって。鞠華が一人で自爆してるだけ」

「……何、それ」

「あいつ昔っから、姉ちゃんより凄いアピールしまくってたんだよな」

「………そうなの??」


姉の反応に海斗が今度は深く溜息をついて、彼女の肩を軽く叩く。


「俺より将真兄ぃのが上手く説明出来ると思うから、ちょっと話しなよ。まだ起きてるからさ」


菜由実は目を瞬かせつつ首を傾げながらも、

海斗のスマフォを借り、鞠華の兄・将真と会話することにした。


結論からすれば、将真からの話を聞いて全て理解した。

菜由実はただ悲しかったが、安心は出来たので一時になる前に就寝し、部活の朝練も問題なくこなせた。


しかしやはり理解できない事があった。


【嫉妬なんて、されたいものなのかな】


鞠華は綺麗な顔立ちで、菜由実よりも成績が良い。吹奏楽でもフルートのソロを任されたりしていて花形ともいえる。

そんな鞠華が幼馴染で、今でも仲がいい事が菜由実は嬉しかったし、色々な報告をしてくるのも自分への指摘も鞠華が自分の為を思っての行動だと思っていたのだ。


けれど実際は、いくら自慢しても嫉妬を交えるような羨ましがり方を一切しない菜由実の劣等感をなんとか引き出そうと、鞠華は必死になっていただけだったらしい。

遂にはインスタの有名人の画像を使って嘘の報告をし始めた。


【昔から菜由実は自分の好きなもの優先で、私を適当にあしらってる。ムカつく】


菜由実以外の幼馴染達にいつもそんな愚痴をこぼしていた為、鞠華は小学校からの知り合いとは疎遠になっていったのだという。


コートの掃除をしていると、微かに吹奏楽部の練習する音楽が聞こえてくる。


鞠華は数週間前に吹奏楽部を辞め、テニススクールで夏みっちり訓練し、二学期にテニス部に入ると言っていたらしいが、昨日将真と海斗に嘘自慢を暴露され、入部を辞め吹奏楽に戻ると聞いた。


【あいつには、なっちゃんにいじめとかやらかしたら、今回の事全部、今の友達や親や先生に言うって言った。あいつとは仲良しグループみたいなやつも違うみたいだし、距離を置いたほうがいいと思う。正直俺もマリの言ってる事、わけわかんないから】


昨日話した将真の提案を思い出しながら、菜由実は項垂れる。


鞠華の言う、嫉妬を交えたような羨ましがり方というものを菜由実は理解出来ない。

色々な友人に、嫉妬しないの?とか、腹立たない?とか鞠華について言われてきたが、全く怒りが湧かなかったからだ。


因みに嫉妬しないかと聞いてきた友人は、鞠華と今もよく一緒に行動している。


【なんか、ごめんね。鞠華】


ただの仲がいい幼馴染と思っていた菜由実は、彼女の心の奥底を理解できなかった事がただひたすらに申し訳なく思った。

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